タルホの書簡 菫と百合こそが美少女
稲垣足穂の書簡に関して。
稲垣足穂の書簡で、私が持っている一番古いものが、1947年、昭和22年に書かれたものだ。

これは封筒に入っておらず、戦後3年の時代なので、まさに、野坂昭如の言うところの、焼跡、の、まんま、な状態、のわけだが、この時期は、足穂が東京で代表作の『弥勒』を書き上げて、聖なるものを身を持って会得した、最重要期なのだ。この時期は、タルホにとって重要な4名の女性の一人、萩原幸子さんとも会っている時期で、萩原さんはタルホの死を間近で見た人だし、萩原さんがいなければ、全集完成にも苦労したことだろう。
で、稲垣足穂は、1969年に、三島由紀夫の凄まじい推薦のもと、第1回日本文学大賞を受賞する、の、だが、そこから、足穂ブームが始まり、先進的な若者たちがこぞって足穂を読み始めたのだ。まぁ、そのブームも、数年で終わり、1975年以降、そこから3年弱、足穂は人付き合いも減らして、病気になって、こもりきりになった。
1960年代は、名古屋の同人誌『作家』でも作家賞の審査員をしていたから、活動的、なのだが、世間的知名度は1、であり、それが、一気に25くらいになった形(MAXが100)。
で、1960年代、70年代の原稿や書簡は、比較的容易に入手出来る。それは数が多いのと、作家的知名度、当時の原稿の扱いなどが起因すると思うのだが、なので、世の中に出回っているわけだ。
然し、1950年代、更に遡ること1940年代は大分数が減る。更に遡ること1930年代、1920年代、などは、ウルトラに希少だろう。戦争を挟むと、希少性が2桁は変わる。
で、私の持つ書簡は、封筒もなく、粗末な紙のもの、なのだが、これには、近々対談を控えている江戸川乱歩にまつわる記述があった。この江戸川乱歩との対談が、仙花紙の粗末な雑誌『くいーん』に掲載された、『E氏との一夕』であるのは間違いない。『E氏との一夕』は、粗末な飲み屋で、乱歩と足穂、と、いう、怪人二人が美少年や美少女、同性愛について語り合うという、今思えば奇跡的な企画、で、あり、そこには、汎ゆる文学における秘密の鍵が散りばめられている。

で、足穂、この手紙に、今、真盛ホテルなる場所に滞在している、と書いているのだが、この真盛ホテルは、ホテル、とは名ばかりの、実際には、ただの安宿であり、結構有名なこの写真、この写真が、まさに、真盛ホテル、な、わけである。


で、この真盛ホテルは重要な場所であり、まずは、戦後、『ヰタ・マキニカリス』の原稿を読み、この天才の存在を世に出したいと奔走した伊達得夫も訪れた場所であり、ここで、天体望遠鏡を見ていた、わけである。その天体望遠鏡を嬉しそうに伊達に見せるタルホ、後日、再び訪うと、天体望遠鏡はなくなっていて、「あんなものがなんですか!」とガチギレするタルホ……。
更には、タルホの私小説(全部私小説だが)『戸塚抄』、ここに出てくるユリ子さん、タルホの永遠のジャンヌ・ダルク、彼女もまた、ここに来たのだ。つまりは、この場所は、聖地、で、あり、よく、聖地巡礼、と、いう、言葉があるけれども、一応は、その時期、まぁ、ユリ子さんはこの手紙よりもしばらくは後なんだけれども、まさに、この書簡は、聖遺物、と、言っても、差支えのない、そんな代物。
だって、あの汚いー失礼、あの部屋で書かれたものが、自分の部屋にあるなんて、嬉しいものですよ。神話の一部みたいな感じでね。
ユリ子さんは、さっきのあの、ヒゲの親父の焼き鳥屋にも、タルホといっしょに行っているのだ。そして、タルホの友人の衣巻省三も、こう、三枚目的な佇まいでちょいちょい写真にも出てくるのが嬉しいところだ。
この書簡を購入した時、実は、他の書簡と抱き合わせで買ったのだけれども、そちらが目当てだったの、だが、こちらが大当たりで、狂喜乱舞したものだ。
この書簡には、年代は不明、では、ある、の、だが、私は調べまくった。
まず、タルホが乱歩と対談した『E氏との一夕』は1947年(昭和22年)に『くいーん』に掲載されている。で、この手紙の前半に触れられている『秋夕夢』という作品、これはタルホの1939年の傑作小説『レーディオの歌』の改稿名であり、この『秋夕夢』は昭和23年、1948年に『ろまねすく』1月号に掲載されたのだ。タルホは常にヴァリアントを生み続ける。それは、この頃もだ。
そして、真盛ホテルに滞在している時期とも一致しており、この年に、この場所で、奥様になる篠原志代さんに伊達得夫の仲介で会うのだ。
これらを総合すると、まぁ、年代は、1947年であることは間違いないだろう。
タルホは、志代さんとの文通では、名前を紫夜さん、と、ロマンチックに書いたりして、なかなか隅に置けない男だ。
然し、この時期は、『戸塚抄』などでもあるように、ユリ子さんとの結婚を真剣に考えていたタルホ、本当には、ユリ子さんが好きだったんだね。
然し、ユリ子さんは、タルホとも親交のあった作家山岡明の『小説稲垣足穂』にも登場しており、彼女には少し浮世離れした、恐るべき性格があったようで、彼女はまだ20歳そこそこで、タルホは二周り年上だけれども、彼女から結婚したいのだという。
然し、タルホは初め真剣に考えて、そして決意すると、やっぱり結婚しなーい!と言って、別の青年と結婚する。それで大ショックをタルホは受けるわけだが、そこに、志代さんが現れるわけだ。
このユリ子さんは、小高根二郎氏の『足穂入道と女色』にも登場してくる。
『足穂入道と女色』は、志代さんと結婚し、京都宇治の恵心院の離れに住んでいるタルホのもとに、ユリ子さんが会いに来る話で、まぁ、実話だと思うのだが、そこでも、こう、ハイカラーな感じの赤いワンピースのユリ子さん(だったかな)は、こう、志代さんにとって、嫉妬の対象になるのだ。
で、まぁ、夫である青年がやってきて彼女を連れて帰るわけだが、然し、『小説稲垣足穂』において、その結婚相手の青年が自殺したことを、タルホがどこからか聞いてきて作者に伝える、と、いう、とてつもない幕引きで終わる。
つまりは、タルホにとり聖処女だった女性、一緒に、教会に通っていたジャンヌ・ダルク、それは、『盗まれた天国』というタイトルで作品化することを伊達得夫が聞いていた、そんな女性、ただのファム・ファタルじゃねーか!と、思うわけだが、私は、このユリ子さんという女性について、めちゃくちゃに調べて、本名もわかっているが、まだまだ知らなければならないことがたくさんあるのだ。
ちなみに、タルホが住んでいた恵心院の当時の離れの写真がこちらだ。

まぁ、倉庫みたいなものだ。然し、この場所を、月の宮であるとして、幻想を織り込んだ文章を書いている、と、自負しているタルホこそ、魔術師だろう。彼こそが、天才、だろう。
ちなみに、宇治の恵心院は美しいお寺だ。
