文学系『細雪』、森万紀子の『雪女伝説』
敬愛する方の著作に書かれていたのをきっかけに識った作家である森万紀子。
1934年生まれで、1992年に亡くなった。57歳で孤独死したのだ。
森万紀子の作品は、私は4作品しか読んでいないので、それほど評論できる立場ではないが、最近、森万紀子の評伝、と、まではいかなくても、友人の書いた本、『雪女伝説』を読了したので、その感想を書く。
森万紀子でnoteで検索しても6件しかヒットしないので、世間的にはもう全く無名に近いのだろう、それに、この、森万紀子を書いた本も、評伝ではないのは、森万紀子が、完全に、本のタイトル通りの謎の人であるからだろう。
ただ、生前、30代〜40代は文壇でも名前は識られていたのだ。それが、こう、亡くなったときは、ニュースにもならなかった。現在は、識る人もほとんどいない。
『雪女伝説』を書いた高橋光子も作家さんで、文學界新人賞を受賞している。この時に、森万紀子の『単独者』が佳作で受賞にならず、それが縁で、森万紀子から高橋光子に手紙が来て、仲良くなった。まぁ、森万紀子の、一方的なライバル心である。
で、高橋光子さん、森万紀子さん、そこに、女流新人賞を取った山崎柳子さん(ボーイッシュ系)、丸川賀世子さん、の4人でつるむようになって、何回も、高橋さんの家で遊ぶようになったそうだ。この時、森万紀子さんが30歳で、高橋光子さんが36歳である。
今、高橋光子さんは97歳で、森万紀子が生きていたら91歳になる。
で、高橋光子さんは、愛媛でラジオドラマの脚本を書いていて、それを小説に直した作品『蝶の季節』で文學界新人賞を受賞する。これ以外に、小説はほとんど書いたことがないのだ。なので、こういうのを読むと、今、この記事を読んでいる作家、小説家志望の方は心を砕かれるだろう。けれども、彼女は、戯曲などは勉強しているので、素地があるのだ。
で、そんな彼女、をして、独自の世界観がある森万紀子は、ちょっと、自分より上だな、と、感じたらしい、そんな、すごさ、らしい。
その時の選者たち、井上靖、石原慎太郎、武田泰淳、遠藤周作、大岡昇平、の、うち、そのほとんどが高橋光子さんを支持した。森万紀子さんは、彼女の作風と比べると、可愛げがない、愛嬌がない、とされた。ただ、大岡昇平だけは、彼女の作品を推して、以後、芥川賞候補になったときも、めちゃくちゃに推した。舟橋聖一や三島由紀夫も彼女を推したのだという。
つまり、オリジナリティが、森万紀子さんの作品には圧倒的にあった。逆に、高橋光子さんの作品は、今はもう、読んでいる人はほとんどいない、彼女は以後、芥川賞候補になるが、目立った代表作はない。
森万紀子さんの作品を読んで、高橋光子さんは、とても自分にはこんなに冷たい人間は書けない、と思い、遊んでいる彼女とのギャップ、その落差に戸惑う。誰よりもきめ細やかで如才ないのに、作中では徹底して虚無的で冷たい。
森万紀子さんの作品は、ここでも観念的、と、書かれているが、冷たい感触の、人間性が排された世界だ。こう、なんというか、レトリックを凝らした文章、難しい語彙、などはなく、簡素な言葉の組み立てだが、そこには伽藍があって、寒々しい石のような文体である。
森万紀子さんは、高橋光子さんへ心を寄せていたが、然し、結構、つーか、かなり変わった人、で、あったようで、会うたびに、作家、小説、文学論を語り、賞に関してよく喋ったのだという。とにかく、小説、と、いうものに対してのプライオリティが高く、私も、この本を読んでいて、凄まじいその熱量に驚くばかり。まさに、小説のために生きている、と、いう姿勢であり、そして、新人賞、芥川賞への執着が凄い。芥川賞への執着、と、いえば、太宰治、などがいるけれども、まぁ、森万紀子さんは、4回候補になり、結局取れなかった。最終的には、選評で、作品を褒められた後、もう、森万紀子に芥川賞などは必要ないだろう、と、いう、作家の実力のお墨付きをもらっても、彼女は大分ショックを受ける。
友人の前では、自分は芥川賞候補の次に次くらいに位置している、など、自信満々なのだが、手紙になると、そこには、絶望と失望、自分の能力の無さ、不甲斐なさ、などが、つらつらと書かれていたのだという。会うと陽キャ、手紙だと陰キャ、なのだ。本当には逆の人が多いだろう。逆ネット弁慶のようなものだ。
そして、高橋光子さんが取った、文學界新人賞に、心から憧れているのである。当の高橋さんは、「いや、あんたの方がもう文壇で主流だし、認められてるじゃん、私は傍流で頑張って書いてるだけだけど……」、的な感じ、なのだが、賞というものに、もう、心を奪われており、魅了されており、執着しており、取ることの出来なかった文學界新人賞は、彼女にとって、どんな栄光よりも美しい天上の称号であると同時に、それに近づくには、後は、芥川賞しかないのである。
これは、彼女の郷里での出来事が起因しているのではないか、生い立ちが、この本の後半で少しばかり明かされる。
今作では、冒頭、高橋光子さんの同郷の先輩、第1回新潮同人雑誌賞を受賞した石崎晴央さんについて触れられているが、石崎さんは、そうして東京へ出て、書く、書くが、然し、評価は芳しくない、いつしか、消えてしまった。石崎さんだって、芥川賞の候補、だったが、然し、取れずに、もう、誰も覚えていない。ちなみに、この、高橋光子さんも、芥川賞の候補に2回なっている、なっているが、落選した。で、山崎柳子さんも、芥川賞の候補に、3回なっている。なので、この4人は、
森万紀子さん…芥川賞候補4回
山崎柳子さん…芥川賞候補3回
高橋光子さん…芥川賞候補2回
で、芥川賞の候補生として、エリート、的、で、あり、そして、丸川賀世子さんも、婦人公論女流新人賞受賞を受賞している、ので、皆、エリート、なのだが、然し、これだけの文章家ですら、そのほとんどが夢を成さずにこぼれ落ちていく。
受賞と佳作、受賞と候補、には、とてつもない溝が横たわっていることが伺える。
森万紀子さんは、小鳥を飼っていて、ケージに4匹くらい入れたまま、遊びに来るような人だったという。そして、夫がいて、夫は出張中で、と、いうが、夫という存在が本当にいたのかわからない。高橋さんが家に遊びに行った時、男物の服が部屋にかけてあったが、使用感もなく、同居の痕跡が他には見当たらなかったのだ。
そして、次第に、段々と、森万紀子さんと高橋光子さんとの縁は細くなっていってしまった。高橋さんは、中間小説を書くようになり、中間小説、とは、純文学とエンタメの間、みたいな、感じで、まぁ、正直、今なら、『国宝』、とか、そういう感じだと思うけれども、完全なる純文学畑の森万紀子さんとは断絶があったのだ。中間小説を馬鹿にしている。まぁ、多分、現代の、多くの純文学を書く人の作品は、中間小説であって、純文学ほど、徹底した、透徹したものを書くのはあまりいないのだろう。つーか、書けないのだろう。
そして、森万紀子さんは、他の二人には絶縁状を出す、など、面倒くさい人だったのだ。なので、手紙のやりとりも段々と減り、然し、ある時、森万紀子さんから、『退職した編集者を励ます会』に、一緒に行かないか、私には、あなた達3人くらいしか、文壇に友達がいないから、と、電話がかかってきた時、高橋さんは、忙しかったのもあり、それを断った。結句、森万紀子さんも、高橋光子さんも、どちらも行かなかった、の、だが、森さんの死後、手紙の整理をしていると、電話の前に届いていたであろう、森さんからの、『退職した編集者を励ます会』へのお誘いのハガキが出てきた。何度も、森さんからお誘いがあったのに、なんで、私はこのハガキのことを忘れていたの、電話は、突然じゃなかったのにー。
このエピソードは、よくある話である。誰もが、SOSや、勇気ある誘いに気付かない、ということはあるものだ。私は、『サイコメトラーEIJI』の、『テロリストの挽歌』を思い出していた。暴行された孫娘が祖父にそのことを相談に来た時、その話を聞けないままになり、孫娘が自殺をする、そして、祖父はあとでその事実を識るのだ。
まぁ、背景は全然違うけれども、あの時、あの言葉を真剣に受け取っていたらー、そういうことは、誰にでも、あるものだ。

で、本では、森万紀子さんとの手紙のやり取りを読み返し、そこから、彼女の文学を読んで、段々と過去へと遡る。小説にしか、真実がないからだ。作家、というものは、いや、書く、と、いうことは、その人間の本質が全てそこに立ち現れる。
で、晩年のエッセイや作品から、彼女の被害妄想、留守の間に侵入した誰かが部屋を荒らす、原稿やワープロなどの作品を盗もうとする、そのような、誰かに見られている、付けられている、そのような妄想が、延々と、作品に、根本まで腐らせた虫歯のように、病巣が作品内にまで横溢している。
そして、それが、ずっとずっと、あるタイミングから、森万紀子さんの作品の中で重要なモティーフとして浮遊しているのに気付く。
また、晩年は、出版社に企画を送って、売れる小説を書きたいと言って、それを出してもらった。心ばかりの印税を受け取り、マンモス団地の11階で孤独に過ごす森万紀子さん。
然し、高橋さんは、この著作を読んで、森さん、これはエンタメじゃないよ、売れないよ……、と、ちびまる子ちゃんばりに、突っ込むのだった。
エンタメを書ける人間と、エンタメを書けない人間がいるのである。エンタメを書けるのはすごいことだ。これは、徹底した、自制、物語の首に縄をかけて暴れるその牛馬を、力付くで押さえつけて導かねばならないからだ。
で、森万紀子さんには、エンタメを書く力、売れる小説を書く力はなかった。圧倒的な才能、絶対的な作品世界を構築することは、売れることと相反する。
森万紀子さんは、神秘的な人、と、いうよりも、作家とは神秘的でなければならない、という信念を持ち、それを、高橋さんに最初に語り、所謂プライヴェートは隠す、友人には本当のことは言わない。なので、夫のことも、家族のことも、故郷のことも、誰も識らないのだ。それを徹底することで、自らの神秘性を現実のものへと変えたのだ。
なので、この本では、最後に、高橋光子さんが、彼女の住んでいた団地や、彼女の生まれ故郷へと赴くのだが……。
そこで、森万紀子さんが、いかに、自分を森万紀子で通したのか、それが、過去がわかることで明かされるのだ。森万紀子さんは、実家がウルトラにお金もちだった。然し、戦争で、森万紀子さんだけではない、他の3人もまた、いや、誰もが、没落し、貧乏になった。
この、森万紀子さんという人は徹底的な神秘を具現化した作家であるから、その作品を読むことこそが彼女を識る唯一の方法であるのは間違いないと思うが、然し、このような本、友人の本、友達が書いた実像の姿は、それすらもまさに神秘のヴェールに包まれているのだが、それがわずかに解かれる瞬間があるのだ。
森万紀子さんの情報は、本人が神秘の術を使ったせいで、もう、本当に、わからないのだ。この本の最後に、いつか、森万紀子さんの研究をして、その成果を世に出す人がいるかも、と、結んで、この雪国に生まれた作家、雪女の伝説の一端を締めくくるが、これがきれいに着地していて、こう、なんというか、こういう起承転結を書けたら、まぁ、これは小説じゃないけれども、森万紀子さんも、売れたのかもしれない。
ただ、まだ、森万紀子さんの本格的な研究本は、そんなにないようだ。
この話、映画とか、ドラマでいけるでしょー、と思いながら読む。女優さん4人出せるし、文学系青春映画で……。
