「パンがない⇒ケーキ🍰」というレベチな世界に適応できない!
■「希望」の春?
更年期障害なのか、
春が近づいているから(※)なのか、
ただ疲れているだけなのか、
ただただやる気がないのか、
ここ最近コトあるごとに
やたら凹む。
※私の身内は、
春のよく晴れ渡った空の下、
この世界からの卒業を選んだ。
春とは、生命があらゆる方向へ
蠢く季節なのだ。
■適応障害?
それなりに楽しい時期も
過去にはあった。
環境が変われば
精神状態も変化した。
よって、
おそらく私は、
うつではなく適応障害だ。
双極性障害にしては、
おそらく気分の乱高下が緩い。
そんな気もする。
とはいえ、
精神状態というものを
どうやったら他人や基準と
比較できるのだろう。
今の、私のメンタルの方が
絶対にヤバいから!!!
などと(誰に)どうして言えよう…。
■何に「不適応」?
私は、「適応障害」である。
(と、しよう)
では、
コトあるごとに私は「何」に
適応し損なっているのだろう。
今までの人生を振り返る。
私が適応できず
苦しんできた(いる)もの、
私の心が適応を頑なに
拒絶する(した)もの、
それは「普通の環境」である。
人生を共有できるほど他人に夢中になり、
(=結婚に繋がる恋をし)
生き方を方向付ける情熱を持ち、
(=夢や目標を持ち)
社会経済の中で役割を得る。
(=日夜、労働に従事する)
そんな【普通】のシークエンスが、
私にはなぜかこそばゆくて
どうしても気持ち悪い。
つまり、
私は「世間」にどうしても
適応でき(てい)ないのだ。
この結論に至ると同時に
致命的な絶望に陥る。
■「環境」変更?
働く(生きる)環境を変えましょう。
とは、超健全でド正論だ。
だが、
移動願いを出せるような規模の会社で
私は働いていない。
未経験の業務に従事できる
能力にも社会的境遇にも
私は恵まれていない。
収入を落とさずに
転職できる能力も
私は持っていない。
■すごろく以下??
一旦、しっかり休みましょう。
とは、これまた根本的な解決策だ。
だが、
「一回お休み」という目は、
私の人生には存在しない。
そもそも、
ここ日本で休職が敬遠されるのは、
特別な才能を持たない人間が
一度脇道に逸れた場合、
メインルートへは二度と戻れない。
という常識的な真実が
周知されているからだろう。
■「選択」肢?
私が出せるのは、
「移動願い」ではなく
「退職願い」で、
私が選べるのは、
「一回お休み」ではなく、
「半永久的に休み」or
「死ぬまで働く」だ。
それなりの成功を修めた方でも
うつや適応障害になる世の中だが、
彼らと私のバックグラウンドには
雲泥以上の差がある。
その決定的な現実を無視され、
社会回帰への道を
まことしやかに語られても、
私は早急に詰むだけなのだ。
私のような人間は、
今ここで「物理的に」死ぬか、
近い将来「社会的に」死ぬか、
どちらかを迫られる。
■薬?クスリ??
思考を前向きに矯正し、
休職せずとも働き続けられる。
そんな薬があれば…。
と私は思えてならない。
そんな薬を処方してくれるのであれば、
大概の人はこぞって心療内科へ行く。
(もうあれこれ悩まなくて済む)
社会は精神衰弱者のメンタルを正し、
元いた世界へおかえり…
と絶対的に社会復帰を促せる。
(労働力や医療費を損なわずに済む)
お互いWin-Winで
理想的な世界ではないか!
ああだこうだ「助言」をされつつ、
最終的に思考や嗜好を
強制的に矯正されるくらいなら、
いっそのこと無痛の暴力で
私自身を変えていただけないだろうか。
■「戦略的」撤退?
適応障害に見舞われた際、
受けるアドバイスとは
とどのつまり
ストレスの原因から
一旦離れてみましょう。
なのだが、
「世間」に適応できない私にとって、
ストレスの原因から離れる
=世間から離れる、ということになる。
ここで思考が袋小路に迷い込む。
人の間で生きる社会的生物は、
「世間」から離れて
果たして生きていけるのだろうか、と。
隠居する経済力も、
サバイバル能力も、
私にはない。
おそらく、
経済力かサバイバル能力が私にあれば、
適応障害になる遥か以前に
「世間」から安全な距離を取り、
精神衛生を保てたハズだ。
■パン派?ケーキ派??
今、世の中に溢れている
適応障害に関する正当な対処法とは、
私の能力や境遇では
選択不可なものばかりに
思えてならない。
適応障害を克服する手段の存在と、
その実行が十分可能であると
決して疑わない世の中は、
パンが食べられなくて困窮する者に、
「なら、ケーキは??」と勧める
無知以上の無配慮さを発揮している。
パンからケーキへと
代替品のレベルをなぜ上げた??
と感じるように、
パニックを起こしかけている真っ最中に、
冷静で、建設的で、常識的で、
周囲との摩擦が少ない
社会的な対応を求められても…。
と当事者は混乱し、狼狽し、
それを実行できない己に打ちのめされ、
更なる絶望に直面するだけだ。
というか、大泣きするか、マジギレして、
発狂しそうになり思考停止を選択するのは、
私だけなのだろうか…。
繰り返すが、
パンの代替品としてケーキを選ぶ
恵まれた立場になど、私はいない。
パンが買えない時点で
(=うまく世間に適応できないから)
ケーキなど選べやしないのだ。
(=適応障害になり、生き詰まるのだ)
■「根本的」解決?
私が健康的で
健全な精神にたち戻るには、
この世に別れを告げるしかあるまい。
この結論に至った思考は
極々まともだと私は確信している。
「私はまともだ」と主張する人間が、
本当にまともなのかどうか
という議論は置いておく。
この結論を保留にし
自分を騙しだまし生きているのは、
死ぬ間際の苦しみと
死に損ねるリスクに
私は何よりも怯えているからだ。
「死」自体を怖れているわけではない。
それが「いつ」になるかは未定だが、
私の最期はおそらく自死であろうと
ここ数年よく考える。
非常に醜く見苦しい最期になるだろうが、
その醜悪さとは間違いなく
私の人生そのものだ。
