家族がウガンダでマラリアに罹患したときの手記 ⑭ 帰国
娘の移送の実現化が見えてきた。
ウガンダの主治医、保険会社、国際医療チャーター便の運航会社、日本の受け入れ病院、大学や研修先の関係者。たくさんの人たちが動いてくれていた。
書類や診断書のやり取りがどれだけあったのか、今となってはよく覚えていない。
ただ毎日のように誰かに確認し、誰かを待ち、誰かに催促のメールを書いていた気がする。
予定は何度も変わった。それでも「日本に帰れる」という期待だけは日を追うごとに大きくなっていった。
そしていよいよ移送となる日の前夜、一旦病院から帰宅した私は、荷物を片付け始めた。
しかし夜の8時ごろ、病院から呼び出された。
医療ジェット機で娘を搬送してくれるルクセンブルグの医療チームの医師から、親の立ち会いのもと、患者の容態を確認したいという要請があった。
深夜の病室に入ったのは初めてだった。
明かりは最小限に落とされている。昼間は慌ただしく人が行き交う病室も、夜になると別の場所のようだった。無機質な機械音が、静けさを強調していた。
娘はこの薄暗い部屋で、何日も眠れない夜を過ごしていたのだ。
「早くこの病室から連れ出してあげたい」
そんな気持ちばかりが大きくなっていた
日を跨ぐ時間まで待ったが、ルクセンブルグからの医師は来なかった。さらに翌日、機体トラブルで出発ができないとの連絡が入った。
失意と怒りで涙している目の前の娘にかける言葉が見つからない。自分ではどうにもできないことが、こんなにも世の中には溢れているんだと、あらためて考えてしまう。他国にいると思い通りにならないことは多々あるだろうと、頭では理解していたものの、こんなにも気持ちを蝕んでしまうものなんだと笑顔を作れない自分が情けなくなっていた。
行き場のない怒りを何とかしたいと思っていた矢先、一人の男性が病室にきた。病院の院長らしい。娘の回復を心から嬉しく思うといった旨のことを私に伝えると、娘に優しく静かな声で話してくれた。
「thank you for fighting
(闘ってくれてありがとう)」
心に沁みる一言だった。
「生きてくれてありがとう」
「支えてくれてありがとう」
私たちにそう言ってくれる。
自分の気持ちが静かに凪いでいく。
文化も言語もよくわからず、娘のことしか考えていない私に、
「神様のご加護がありますように」
と惜しみない慈悲の気持ちを伝えてくれる。
私はついさっきまで、この国から1日でも半日でも早く離れることばかりを考えていた自分が、恥ずかしくなった。
ここにいる人たちはみんな、毎日、娘のために神様にお祈りをしてくれる。
私たち親子が受け取ったのは
「神様を信じないと救われないよ」
ではなく、
「神様はいるんだから、安心して」
と包み込んでくれる、宗教ではなく人の気持ちだった。
ウガンダという国が抱える実際の社会問題や宗教問題はきっともっと複雑なんだと思う。それでも人の気持ちを救うための宗教観が、この国の人たちの生活に、体内に染み込んでいるのだと思った。
娘も間違いなく闘っていたけど、誰よりも一緒に闘い抜いてくれたのはこの医療従事者の人たちだった。感謝されるべきはそういう人たちなのに、「ありがとう」を何度重ねても足りる気がしない。ただ thank youという言葉を繰り返すことでしか表せない自分の語彙力が、どうしようもなく残念だった。
翌日、いよいよ娘がストレッチャーで病院を出発する時間になった。それまでお世話になったお医者さんや看護師さんが集まってきて、娘を囲み、満面の笑みで記念撮影をする。
「俺をトランクにいれて日本に連れて行ってくれー」
という看護師さんにみんなで爆笑する。ICUの重い扉を開けると、廊下にはお世話になった研修先の学生さんたちが見送りに来てくれていた。娘の名前を呼びながら笑顔で手を振ってくれる。
最初から最後までお世話になった領事や関係者の方たちに何度も手を振って、お礼を言い、空港に向かった。ここぞとばかりにサイレンをけたたましく鳴らしながら、ちょっと笑ってしまうくらいの猛スピードで救急車は疾走した。空港まで同行してくれた医務官が、医療チャーター機が離陸するまでの様子を動画に撮り、日本にいる家族に送ってくれていた。何から何まで本当にお世話になった。
飛行中、娘はストレッチャーに横になったまま、ずっと笑顔だった。フルーツやヨーグルトなどの食事も少しとれたようだ。
私は、チャーター機の一番後ろのソファに横たわり膝を抱えて眠っていた。時々目が覚めて窓の外を見た。
同乗の医師が娘の容態は安定していて、心配は何もないと話してくれる。
時々娘に話しかける。
そして再び眠る。
窓の外から見える地平線が淡いオレンジ色で綺麗だと思ったのは覚えている。
もうすぐ日本に着くんだと思いながらずっと眠っていた。
[このコラムについて]
娘がウガンダで重症マラリアを発症してから6ヶ月が経過しました。その間、ウガンダのICUで治療をうけ、1月末に日本に搬送され無事に自国で治療を受け、退院することができました。まだ完治までは時間がかかりますが、今は通院しながら少しずつ社会生活に戻ることを目標にしています。一時期は寝たきり状態だった娘がここまで快復できたのも、娘に関わってくださったたくさんの方々のおかげです。お気持ちを届けて下さったたくさんの方々にも感謝いたします。ありがとうございました(2026.06)
