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エッセイ ダウン症の子に優しかった少女

 ある街の私鉄に乗ったときのこと。昼間のせいか、車内はかなりガラガラだった。そうしたら、ダウン症の子たちが引率の先生に連れられて、8人くらいで乗ってきた。みんな双子のように同じ顔。とてもかわいく感じてしまい、目が合うとこちらも自然に笑顔になっていた。

 ここで信じられないことが起こる。座っていた高校1年生くらいの女の子と7歳くらいのダウン症の子が目を合わせた。彼女は白いブラウスの制服を着ていて、その胸がパンパンに張っていた。ボタンが飛ぶんじゃないかと思うほどの張り具合だ。おそらくDかEカップはあるかと思われる。立ち止まったダウン症の子は、しばらくじっとその胸を凝視する。

 その瞬間、「パイパイ」と言って、彼は胸の谷間に顔を埋め、気持ちよさそうに顔を左右に振った。鼻をしつこいくらい、谷間に擦りつけている。するとどうだろう。

 女子高生は笑顔のまま、その子を両手で抱きしめた。20秒くらい、男の子は気持ちよさそうに目を閉じていた。引率の先生が気づき、「ダメでしょう!本当にすみません」と謝ったが、首を横に振って、「いいんですよ」とジェスチャーした。

 なんと美しいシーンなのだろう。普通、思春期の子なら、嫌がって悲鳴を上げる可能性もあったと思う。彼女は母性本能が極端に強かったのか?

 もちろん、僕が同じことをしたらその場で逮捕だ。普段、乗る電車の中では、酔っぱらいや痴漢、ゲロ吐きやケンカ、ヒールでの踏みつけ、汗臭さなど、今まで何も美しいものに出会わなかった。しかし、このシーンを見た僕は、とてもすがすがしい気持ちになっていた。 

 現在は出生前診断が進歩し、妊婦さんの血液や羊水などから遺伝情報を総合的に判断し、高い確率でダウン症の子が生まれるかどうかわかるようになってきた。検査でダウン症とわかった場合、日本では97%の女性が中絶を選ぶという。  

 やはり、自分が亡くなった後も子どもが自立できないことが心配になり、苦渋の選択をするのだろうか?一方、アメリカの先住民族はダウン症の子が生まれると「神の子を授かった」とみんなで喜び、村全体で生涯その面倒をみたとの記録が残っている。

 というのも、障害を持っていたり、容姿が違っていても、人間は唯一無二の才能を授かって、必要とされてこの世に誕生したと信じられていたからだ。実際にダウン症児は書道やダンスの才能が開花し、活躍している子もいる。

 ところが今は、何事も効率が優先する世の中。ダウン症の子を福祉の力で育てるほど社会は成熟していない。むしろ、アメリカ先住民族のほうが、思想的には進歩していたと感じる。

 ダウン症に限らず、障害やハンディを背負って生まれてきた子どもと親が、今の日本で幸せを感じられる生活は難しいだろう。差別やいじめ、偏見の目もある。

 おそらく、今後はダウン症の子を産まない選択が圧倒的多数になり、彼らと出会う機会はどんどん減るはずだ。日本も世界も選別世界。それが妙な生きにくさを作っているような気がした。

 

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