できそうに見える人ほど、実はできないことがある
私がよく他人に言われる言葉がある。
「出来そうなのに、なんでやらないの?」
この言葉は、私の心に槍を突き刺す。
私が思うのは、
出来そう≠出来る
ということである。
なぜなら、人は見た目で判断出来るほど、単純に出来ていない。
もっと複雑で、もっとたくさんの情報によって成り立っている。
見たものだけを信じて確信し、相手に断定の言葉を投げれば、それはだいたい必ずなにかは大きくズレている。
そして、人を傷つけてしまう原因になる。
人間は複雑な情報を複雑なまま解釈していると効率が悪いので、単純に理解して素早く判断できるようにできている。
この人間に備わった「効率化」という脳の機能は便利だが、同時にたくさんの人を傷つけている原因になっている。
従って、今日もたくさんの人が心ない言葉に傷ついている。
そうならないために私たちに出来ることは、
「見たものだけがすべてではない」
「人はもっと複雑な事情をはらんでいる」
ということを念頭に置いておくことだ。
私自身の話をすると、
「どうして出来そうなのに仕事をしないの?」と過去に10回くらいは言われたことがある。
見た目の身なりを綺麗にしている。
礼儀がしっかりできる。
それだけで、「できるじゃん」と友達やその他に何度言われたことだろう。
私は人に見えないところで大きく苦しんでいる。
のたうち回るほど苦しいこともたくさんあった。
そのような「裏の出来事」は、私は人には簡単に言わない。
「この人は変な人だ」と思われたくないからだ。
差別や偏見を受けたくないからだ。
しかし、言わないからこそ、他人には「できるのにやらない」と見える。
想像してみてほしい。
目の前のあの人には、自分が見えないところで大きな何かを抱えて生きている。
たくさんの苦労をし、でも「人に嫌われたくない」という理由で隠している。
周りの普通の人に合わせて、怒られないように、傷つかないように、必死で生きている。
そのような人がどれほどこの世の中に多いことか。
そしてそれを甘えている、とどうして言えようか。
このような事情で人の心ない言葉に何度も傷ついたあなたも、傷つく必要はない。
「人の言葉なんてそれほど正確ではない」と思ってしまうのが一番早い。
なぜなら、人はその人の背景にある事柄を想像するよりも、見たものを信じたほうがずっと楽なようにできているからだ。
