【映画感想】「アマデウス」| 目の前に天才がいる劣等感
※Amazonのアソシエイトとして、カプリは適格販売で収入を得ています。
ミロス・フォアマン監督が「カッコーの巣の上で」に続いて2度目のアカデミー監督および作品賞を獲得した大作映画です。
天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を、嫉妬と羨望の眼差しで見つめる宮廷作曲家アントニオ・サリエリを中心に描いています。
サリエリを演じたF・マーリー・エイブラハムがアカデミー主演男優賞を獲っています。
あらすじ
かつてオーストリア皇帝ヨーゼフ二世に仕えた宮廷作曲家アントニオ・サリエリは、自殺未遂を起こして精神病院に収容される。
面会に来た神父に対し、サリエリは「自分がモーツァルトを殺した」と告白し、若き日の記憶を語り始めた。
幼い頃から音楽を愛していたサリエリは、努力によって宮廷作曲家の地位を手に入れた。敬虔な信仰心を持つ彼は、自らの成功を神の祝福だと信じていた。
そんな彼の前に現れたのが、神童として名高いヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだった。
サリエリは彼の作品に触れ、その圧倒的な才能に衝撃を受ける。しかし実際に会ったモーツァルトは、天才のイメージとは程遠い下品で子どもっぽい男だった。
なぜ神はあんな男に、自分にはない才能を与えたのか――。
嫉妬と羨望に苦しむサリエリは、宮廷内での立場を利用してモーツァルトを追い詰めていく。
一方のモーツァルトも、浪費癖や奔放な性格が災いして次第に生活が困窮。才能を持ちながらも社会の中で居場所を失っていく。
やがて二人の運命は、モーツァルト最後の大作「レクイエム」をめぐって交錯することになる。
感想
3時間近い長尺作品ですが、まったく退屈しません。
モーツァルトは天才です。
しかも周囲が思い描く「天才」のイメージとはほど遠い人物として描かれています。
下品で子どもっぽく、空気も読まない。
笑い方も変だし、金銭感覚もだらしない。
だけど音楽だけは別格。
ひとたび楽譜に向かえば、誰も到達できない領域の作品を生み出してしまいます。
だからこそサリエリは苦しみます。
彼は決して無能ではありません。
努力によって宮廷作曲家の地位を勝ち取り、皇帝にも認められた優秀な音楽家です。
しかし、目の前に現れたモーツァルトは、自分が人生をかけて積み上げてきたものを軽々と飛び越えていく。
もし圧倒的な差があったなら諦めもついたかもしれません。
けれどサリエリは音楽を理解するだけの才能を持っていた。
だからこそモーツァルトの凄さも、自分が届かない場所にいることも理解できてしまうのです。
この映画の残酷なところはそこですね。
才能がない人間は天才を理解できません。
しかし才能がある人間は、天才との差を理解できてしまう。
サリエリはまさにその立場でした。
さらに面白いのは、サリエリがモーツァルトを憎みながらも愛していることです。
人格は大嫌い。
できれば自分の前から消えてほしい。
それなのに彼の音楽を聴くと感動してしまう。
作品は好きなのに作者が嫌い。
現代で言えば、推しの不祥事を知ってしまったファンの苦しみに近いかもしれません。
理想の天才でいてほしかったのに、実際のモーツァルトは俗っぽくて未熟な人間だった。
その落差がサリエリをますます追い詰めていきます。
だから終盤、瀕死のモーツァルトの口述を聞きながら譜面を書き取る場面は印象的でした。
憎しみと尊敬。
嫉妬と愛情。
排除したい気持ちと残したい気持ち。
相反する感情がすべて混ざり合った、映画屈指の名シーンだと思います。
そして見終わったあとに残るのは、「人は何によって幸せになれるのか」という問いでした。
モーツァルトは神から才能を与えられましたが、人間関係には恵まれませんでした。
サリエリは名声や地位を手に入れましたが、天才への嫉妬に人生を蝕まれます。
どちらも幸福とは言い難い。
結局のところ、自分にないものばかりを見ている限り、人は満たされないのかもしれません。
モーツァルトにはもう少し謙虚さがあれば。
サリエリには、自分がすでに持っているものを認める心があれば。
そう考えると、この映画は天才の伝記というより、人間の欲望と劣等感を描いた物語なのだと思います。
だから公開から何十年経った今でも、多くの人の心に刺さり続けるのでしょう。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!