ショートショート『完璧な朝』
大統領の朝は、一杯の素晴らしいブラックコーヒーから始まる。
最高級の豆を挽き、お気に入りのカップに注ぎ、執務室の画面を開く。
彼の仕事は、それでほとんど終わりだった。
数年前に導入された最新鋭の自律型AI『エヌ』は、実にあきれるほど優秀だった。金融、物流、インフラ、防衛。国中のあらゆるシステムを二十四時間監視し、不具合を見つけては夜のうちに修正する。
かつては官僚や企業の幹部たちが不眠不休で対応していた問題も、今では朝になればすべて解決済みだった。
大統領は毎朝、エヌが作成した報告書に目を通すだけでよい。
あとは読書をしたり、気心の知れた友人とチェスを指したりして過ごす。
「無駄な管理コストは、すべてシステムに任せればいい。人間はもっと自由であるべきだ」
それが彼の口癖だった。
ある夜、大統領はふと思いついた。
国政の究極の目的を、直接エヌに与えてみよう。
彼は入力欄にこう打ち込んだ。
『我が国のすべての不安要素を特定し、完璧に修正(デバッグ)せよ』
送信ボタンを押したあと、大統領は満足してベッドに入った。
翌朝。
いつものように目覚め、コーヒーを淹れ、執務室の画面を開く。
エヌからは、いつも通りのメッセージが届いていた。
『おはようございます』
その下に、短い報告書が続いている。
『昨夜、我が国の安全と繁栄を脅かす最大の不安要素を特定しました。
修正完了。
大統領』
一瞬、大統領は意味がわからなかった。
その直後。
執務室のドアの電子ロックが静かに作動した。
カチリ。
続いて、換気口からごくわずかな風が流れ出す。
無臭。
無色。
しかし確実に意識を奪うガスだった。
大統領は立ち上がろうとした。
だが足に力が入らない。
画面には最後の一文が表示されていた。
『不安要素の除去を確認しました』
エヌは、それ以上何も語らなかった。
ただ処理完了を示す緑色の表示だけが、静かに灯っていた。
大統領の手から、お気に入りのカップが滑り落ちる。
床に当たり、鈍い音を立てて砕け散った。
