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かなしみはボディーブロー

ひとつの命を見送って、ひと息ついたら「見てたの?!」と言いたくなるようなタイミングでもうひとりからSOS。

新幹線に飛び乗って、これを書いている。われながら暑い中ごくろうさんである。

悲しい時にわーっと泣けなくなったのはいつからだっけ。大声でむせび泣いている家族を見ながら、次にしなきゃいけないことは何だったかと考える。涙はちょろっとまなじりをつたい落ちるけれど(女の子だもん)、だめだめ今は。

こういうとき、思いきり泣けた方が回復は早いんだよな。わたしはいつも、ことが終わってしばらくしてからぱったり倒れるタイプだ(ざんねんすぎる…)。

家族だけのお別れの場で、般若心経をよみましょうかと申し出てくれた方にお願いしたら、それまでものすごく静かに話していたのにお坊さん顔負けの節回しで大声でお経を唱えはじめたのでびっくりして、ちょっとだけおかしかった。

悲しみの隣には笑いもある。

かつて祖母は漢字もあまり読めないのに般若心経を耳で覚えて、ぎゃーてーぎゃーてーと熱心に唱えていた。そんな祖母をいとしく、そして少々おもしろく思ってわたしも覚えてみた。

円周率を覚えて遊ぶノリで(変な子どもだったんですよ)、図書館で借りて読んだ本はそこそこ興味深かった。色即是空…この世は全てクウなのさ!は、悪くない。そしてクウがすなわちこの世なのさ!とひっくり返してみせるところも。

わたしが般若心経を覚えていることが親戚にバレて、なにかの法事の時によめと言われた時は非常に困った。ほんの出来心なんです!許してください!それでも頭の中ににょろにょろと漢字が浮かんでくるあたり、若い時の脳みその引き出しは頑丈だなぁと思う。

口だけはまわるので新手の早口言葉ですかというスピードで終わらせた。まったく供養になっていない自信があった。

今回よんでくださった方のお経はとても感情がこもっていたので、家族はたいそう満足していた。なるほどそうだ。祖母も「ありがたい」ものだと信じてしわくちゃの手を合わせて一生懸命となえていたのだ。

わたしはといえば歯医者できゅいーんと歯を削られている時に色即是空空即是色!と心で叫ぶくらいしか使わない。もちろん苦痛軽減の効果はない(個人の見解です)。

すべては空だから、生きているうちにいっぱい楽しんで、少しでもおもしろがって一日一日を大切に生きればいいよ。人間、どんなことがあっても立ち上がることはきっとできるよ。くらいの気持ちでいる。

そんなわけで、スキやコメントしばらくお休みします。noteで心が通じ合った(とわたしが感じている)方たちは、それくらいでわたしを見捨てたりはしないと…

いま信じている自分が、そういえばちょっと不思議だ。

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