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「版画家 レンブラント 挑戦、継承、インパクト」感想

大学生の頃、聖書の様々なストーリーに興味を持った。新約聖書よりも旧約聖書の世界観に、より強い興味を持った。旧約聖書のストーリーのほうが新約聖書よりも圧倒的に残酷で、理不尽である。神は横暴で、自身を信じる人々に大変な試練を与える。

「イサクの犠牲」は創世記22章に登場する。イサクの父となるアブラハム、母サラはそれぞれ100歳と90歳にして、待望の子どもを授かる。彼らは一人息子イサクに愛を注いで育てるが、ある日神は信心深いアブラハムを試すため、「イサクを焼いて捧げよ」と命じる。

アブラハムは当然苦悩するが、神への忠誠を示すために息子を捧げることを決意する。アブラハムとイサクは、3日かけて儀式を行うモリヤの山へ向かったという。イサクは自らの運命を知らないが、アブラハムは当然苦しんだだろう。しかし、アブラハムの心情がどのようなものだったかは聖書に描かれていないが、アブラハムの苦悩は自明である。

さて、モリヤの山に到着し、儀式の段となる。アブラハムはイサクをナイフで刺殺しようとするが、その刹那、神の使いである天使が現れ、アブラハムの行動を制止した。アブラハムの神への忠誠は証明されたのである。

私は、聖書のストーリーを題材にした数多くの絵画を集めた『アート・バイブル』を、聖書に興味を持った頃よく読んだ。「イサクの犠牲」は、カラヴァッジョとレンブラントが傑作を残している。どちらもドラマチックな作品である。カラヴァッジョの作品は、アブラハムがイサクの顔を祭壇に押し付けている。イサクの身体は下向きで、その表情はいかにもカラヴァッジョ的な苦悶に満ちている。

一方レンブラントの「イサクの犠牲」は、アブラハムがイサクの顔全体を手で押さえつけ、イサクの表情が見えない。身体はカラヴァッジョが下向きなのに対し、腰布一枚の姿で上向きだ。まさにレンブラントらしい光(天使が放つ光である)でイサクの身体は照らされている。さらに、アブラハムの手からナイフがこぼれ落ちる。それが、まるで映画の一場面のような臨場感を与えているのだ。

アブラハムの表情も何とも言えない。その顔は恐れおののいているようでもあり、「ああ!助かった!」という風にも見える。

先日、西洋美術館で開催中の「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」でレンブラントの版画作品を見た。その中で印象的だったのは「アブラハムの犠牲」である。

タイトルが「イサクの犠牲」ではなく「アブラハムの犠牲」なのはこの作品がアブラハムによりフォーカスしているからのようだ。版画だから白黒である。だからこその味わい深さが版画にはあると思う。「アブラハムの犠牲」の構図は油絵ほどドラマチックではないかもしれない。イサクの身体も、ギロチンで斬首される人のそれにように、下向きに跪いている。

それも不気味といえば不気味だが、アブラハムの表情は、油絵のそれよりも、奥深い。目の部分が真っ黒であり、その真っ黒な目がアブラハムの表情に油絵とは全く違う、虚ろな雰囲気を与えている。

天使もアブラハムを後ろから抱きかかえており、天使の、あるいは天使を介しての神の愛を表現しているようにも思えた。

レンブラントの版画作品では「100グルデン版画」などが有名だが、今回の展覧会で個人的に最も印象的だったのは「アブラハムの犠牲」である。

「版画家 レンブラント 挑戦、継承、インパクト」は9月23日まで開催中。

レンブラント:「アブラハムの犠牲」

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