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短編昔ばなし│首切り同心と仏さま

藤吉はある日突然「善」に目覚めた。
これまで数多のこの世の非道を見て、関わってきておきながら。
絶対の、慈悲の仏さまに、今すぐひれ伏して祈りたい衝動に駆られた。


藤吉は一介の同心であった。

今までは、罪人の斬首の役目が回ってくるたびに、嬉々としてこれを請け負った。

他の同心たちはその失敗を恐れて、金をかき集めてその道の「代行」に頼んだりしていたが、藤吉は違っていた。

捕らえられてくる罪人の顔がいけ好かぬならいけ好かぬほどに、切り落とすときには小気味が良かった。

代行の懐に握らせる金があるくらいなら、もっとこの刀を研がせよう。

研いで、研いで、スパン!と切り落とせたときのあのスッとする思い。

そのために藤吉は、楽しくもない奉行所勤めに精を出してきた。


そんな藤吉が。

なぜかある日ふと目覚めてしまったのである。

己のしてきたことの罪深さ、仏さまの偉大さ。善の偉大さに。


長屋で独り過ごす、真っ暗な夜。

突然飛び起きて、そんな天からの衝撃に呆然としていた藤吉のもとに、仏さまは現れた。

雲が晴れ、優しく月明かりが部屋に差し込みだしたかと思うと、そのままその光はボロボロの襖の破れから藤吉のもとまで螺旋を描いて集まってきた。


「藤吉」

低い低い声。

藤吉はその声の恐ろしさに、身も心もひれ伏した。

「ひえっ。へへーっ」

とうとう己の醜悪さを嗅ぎ取った仏さまが、地獄へ自分を突き落とすために、こんなところまでおいでなすった。

藤吉はそう思った。

「そうではない。藤吉よ。お前の考えはわかっている。お前は明日よりもうその刀を使うまいと、今そう心に決めただろう。だから私は来たのだ」

これ以上地べたへの這いつくばり方がわからぬほどに畳にへばりついていた藤吉が、わずかに顔をあげた。

「お前は悪を働いてなどいない。なのになぜその刀を置こうとするのか」

必死に美しく研ぎ上げていつも枕元に置いてあった藤吉のその刀を、仏さまは指差した。

「いえ、ですが仏さま。偉大なるあなたさまならばもうとっくにご存知でしょう。俺の心の醜さを。俺がどんな思いで、どんな快楽を感じて、今まで人の頭を切り落としてきたのかを」

仏さまは藤吉の話を黙って聞いていた。

「いえいえわかっております。仏さま。今更改心したところで、俺の罪が消えるわけではございません。己がしでかしてきた業もしかと受けとめて、地獄に落ちるよりないことは、わかっておりますから」

藤吉はわずかに上げかけた顔を、また畳にすりつけるようにして下げた。

「なにを言うか藤吉。そなたがなんの罪を犯したという。こちらへの帳面には、そなたの罪名などひとつも載ってはいないぞ」

「へっ?」

思わず顔を上げてしまった。

「藤吉よ。お前が斬った者たちは皆、前世の業、あるいは今世の咎によって、あの場所に運ばれて来たのだ。お前は彼らの因果の糸を、ただ定められた通りに断ち切った。苦しまぬように刀を丹念に磨いて。誰かがやらねばならぬ役目を、お前は完璧にこなしたではないか。お陰でこちらの帳尻も、しっかりと合っている。心の内で何を思おうが、それはただの『風の音』のようなもの。行いそのものが正しいのだから、お前は極楽行きに決まっている」

仏さまはそう言うと、藤吉へ穏やかな笑みを向けた。途端に薄汚れた藤吉の部屋の壁が、昼間の陽に照らされたように明るく輝き出す。

藤吉はまた慌てて頭を下げる。

とんでもない勘違いを仏さまにさせてしまっていると思い、血の気が一斉に引いた。

「おおお言葉でございますが申し上げます!仏さま、すべて隠すことなく白状いたしますが、こんなに刀を研ぎ上げているのは、なにもあやつらが苦しまぬようにそうしてきたのではございません。ましてや、己の剣術の鍛錬のためなどでもございません。一太刀で首を切り落とせなかった場合、それは武士にとっての恥でございます。ここでもまた私めは最悪でございまして。その武士の矜持を守るためですら実際はなかったわけで、私はひとえにあやつらの首を切り落とし続ける機会を奪われぬよう。そのためだけに刀をせっせと磨いてきただけなのです。そんなわけで、私は本当に浅ましいこの心根なのでございます」

一息にそこまで申し上げてから、藤吉はぎゅっと目をつぶった。

しばらく沈黙がつづく。

顔を上げてしまったら最後。

烈火のごとく怒り狂いし仏さまが、よくもそんな醜悪さで人を殺め続けきたものだと、この能天に雷を落とされるに違いない。

そんなことを想像してガタガタと藤吉は震えた。

頭を下げたまま、両手を開いて腕ごと差し出す。

罪人の首の骨の隙間に刀が上手く入って、吸い込まれていったときのあの快感を。その感触を知っているこの手を。隠さず開いて差し出す以外に、藤吉に取れる姿勢は無かった。

「ふう。藤吉よ。お前はそんなにガタガタと震えていながらも、真実かなり強情な性格と見える。私はつい今しがた言ったではないか。心の内で何を思おうが、それはただの『風の音』のようなもの。行いそのものが正しいのだから、お前は極楽ゆきなのだと。お前はそんな仏の理屈は聞かぬと申すのか?」

思いのほか穏やかな仏さまの声に意表をつかれつつも、なぜか少し困ったようにおっしゃる仏さまに、藤吉は混乱する。

「とっとんでもねえ!……ことに、ございます仏さま。しかと!しかとその真理を理解いたしました。俺の腹のうちでのつまらぬ思い巡りなどは世の理の中では風の音だと。表に出す行いが善か悪か。浄土の帳尻に沿うか沿わぬか。それが重要なのだと、私はそうたった今理解した次第でございます」

そう言っておずおずと顔を上げると、変わらず仏さまは藤吉へ笑みを向け続けてくれていた。

その後光のなんと大きなことか。

この矮小な、ちっぽけな存在である自分のもとにすらこうして降りてきてくださって、狭い部屋に入り切らぬほどの光で包んでくださっている。

己がしてきたことの罪悪感は永劫打ち消えるものではないだろうが、その後光の。一番端のあのひとひらだけでも、そっと自分の魂の、お守りにさせてもらえたなら。善を名乗ることはできずとも、「この仏さまがおっしゃる善」を守ることができるなら。差し出したこの手の使い道はそれしか無いのかもしれないと、藤吉は思った。

藤吉はもう一度静かに頭を下げてこう言った。

「承知いたしました。仏さまが『お前のやったことは善だ』とおっしゃるのならば、そうなのでしょう。お言葉を疑うつもりはございません。ですが、俺は自分のこの『悦び』を、なかったことにはできません。俺には本来悪人として、地獄の業火に焼かれるべき本性が、確かにありましたから。だから今後、極楽を望むことも、罪名をつけられることを求めることも、いたしません。その代わり……あなた様が『それで帳尻が合う』とおっしゃるなら、俺は明日からも、そのお帳面のために人を斬りましょう。喜んで人を斬り、喜んで地獄へ落ちてみせます。あなた様の言う『善』を、この『悪人』の俺が、死ぬまで、死んでからも、ずうっと支えてみせましょう」

藤吉は最後まで静かにそう言うと、スッと顔を上げて仏さまを見た。

「そうか。あいわかった」

​仏さまは、悲しそうでもなく、怒るでもなく、ひと言だけそう告げて、月明かりの中に消えていった。

そうして藤吉は死ぬまでずっと、同心として罪人の首を切り落とし続けた。

若い頃はその執行人としての姿も嬉々として見えた藤吉だったが、あるときからはうってかわって鋭くとぎ澄まされるようになり、いつしか仏像のように底知れぬ存在として恐れられるようになったらしい。


藤吉の死後、あの長屋の跡地には小さな祠が建てられている。

「お父ちゃんあれなあに?」

「千太、あれに近づいちゃあいけないよ。あそこに祀られているのは生前、何百人もの首をはねた恐ろしい男の霊だそうだ。悪さを企む奴があの祠の前に立つと、夜中にスパン!と不気味な音がして、腰を抜かして動けなくなるらしい。悪人のくせに、悪い奴を退治してくれる、奇妙な仏さまって話さ」

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