枯れるということ。
世の中は空前の「アンチエイジング」ブームだ。
テレビを点ければシワを消す化粧品が並び、
ネットを開けば若返りの秘訣が躍っている。
実年齢より若く見られることが、まるで人生の絶対的な勝利であるかのような風潮が、そこかしこに漂っている。

だが、私はこの「経年に逆らう不自然さ」に、
どうしても強い違和感を覚えてしまう。
若さにしがみつくことで得られる刹那的な快楽や安心感は、一時的に心を潤すかもしれない。
しかし、自然の摂理に逆らう行為は、必ずどこかで「精神的な歪み」という代償を支払うことになる。

道端に咲く草木や花を見てほしい。
彼らはいつまでも美しく咲き続けようと抗うだろうか?
あるいは、朽ちることを恐れて人工的なまやかしに頼るだろうか?
否。
自然のものはすべて、誇らしく美しく咲き誇り、やがて静かに枯れ、土へと還っていく。
その姿こそが、地球の最も美しい循環であり、調和そのものなのだ。

人間とて同じではないか。
私たちにも人生のピークがあり、そこを過ぎれば少しずつ先細り、死へと向かっていく――
だが、
それは決して抗うべき「衰退」などではない。

加齢(経年)という名の自然な生き方を受け入れ、余分な水分が抜けて「枯れていく」こと。
そして、
その過程で人として「熟成」されていく美。
それこそが、本当に私たちが手に入れたい、
大人の男の「格好良さ」の本質ではないだろうか。
世界が羨む、時が磨き上げる「枯れの美学」
「枯れる」ことをただの劣化ではなく、
極上の「価値の向上」として捉える感性は、
古今東西、世界中に存在している。
その最たる例が、
時を経て深みを増す「モノ」たちだ。
音楽を愛する者なら、楽器が放つ
「枯れた音色」のロマンを深く理解できるはずだ。

数百年前に作られた名門バイオリン「ストラディバリウス」や、
1950〜60年代の黄金期に製造された「フェンダー(Fender)」や「ギブソン(Gibson)」のヴィンテージギター。

これらは、作られた当初よりも、半世紀以上の年月を経た今の方が遥かに素晴らしい音を奏でる。
その理由は極めてシンプルだ――。
ボディの木材に含まれる水分や樹脂が、長い歳月をかけてゆっくりと抜け、完全に「枯れた」からである。
新品の楽器が持つトゲトゲしい金属的な角が取れ、暖かく、どこまでも深く抜けていくあのトーン(鳴り)。
時間という名の、世界で最も贅沢な調律師だけが作り出せる奇跡がそこにある。
そしてもう一つ、
私が人生を共にしてきた「お酒」の世界も、
枯れることの美しさを雄弁に物語ってくれる。
ワイン、古酒、そして何よりウイスキー。
蒸留したばかりの荒々しく透明な原酒は、
オーク樽という木の揺りかごの中で眠ることで、全く異なる液体へと生まれ変わる。

樽そのものが何度も原酒を吸い、吐き出すことで「枯れ」、その成分を液体へと分け与える。
そして10年、18年、30年と時を経るうちに、
角が取れ、琥珀色の、とろけるような甘みと深みを持つ「至高の一滴」へと熟成されるのだ。
これらはアンチエイジングの真逆、すなわち「経年という奇跡」そのものである。

この「枯れの価値」は、大人の男のこだわりを支えるあらゆるモノに通底している。
ヴィンテージ・デニムとレザー
新品ジーンズのインディゴブルーや
なめし剤が強く匂う、革ジャンは未完成だ。

着る人の身体に合わせて刻まれたシワ、
擦れて色が抜けた表情――

持ち主の生き様を写して枯れたそれは、
新品の何倍もの価値を持つ。
機械式時計の「パティナ(経年変化)」
紫外線や湿度によって文字盤が絶妙なココア色に変色した「トロピカルダイヤル」や、
夜光塗料が枯れて小麦色になったヴィンテージウォッチ。

愛好家たちは、この「極上の枯れ感」に
数百万、数千万のロマンを投資する。
盆栽(BONSAI)
世界が絶賛する盆栽の真髄は、幹の一部が白く枯れて骨のようになった「神(ジン)」や「舎利(シャリ)」と呼ばれる部分にある――。

枯れているからこそ、今なお生きている緑の美しさが圧倒的な生命力をもって迫ってくる。
東西の知性が遺した、経年変化への賛歌
「枯れる美しさ」を肯定するのは、
物質的なモノだけではない。
人類の精神史においても、同じ価値観が脈々と受け継がれた。
我が国・日本には、古来より
「侘び寂び(Wabi-Sabi)」の精神がある。

不完全なもの、簡素なもの、
そして「経年によって衰え、枯れたもの」の中にこそ、本質的な美を見出す――
枯れたススキの一輪挿しに宇宙を見るような、究極の引き算の美学だ。
一方、ヨーロッパに目を向けると、
イタリアの紳士たちの間には
「時の手(La Mano del Tempo)」という
美しい言葉がある。
彼らはおろしたてのピカピカな靴やスーツを嫌う――

時の手(時間の経過)によって、少しクタッと馴染んだ服を、計算を感じさせずに自然に着こなすこと(スプレッツァトゥーラ=洗練された抜け感)こそが、
最高にエレガントであるとされているのだ。
さらに、歴史に名を残す先人たちも、
老いることの真の価値をこう説いている。
「若さは自然の贈り物だが、年齢は芸術作品だ。」
―― スタニスワフ・イェジー・レッツ(ポーランドの詩人)
若さは誰もが等しく与えられる幸運に過ぎない。
しかし、格好良く枯れた佇まいは、本人が生きてきた選択、美学、哲学が作り上げた「意志ある芸術」なのだ。
「美しく老いることは、傑作を完成させることだ。」
―― アンドレ・ジッド(フランスの作家)
アンチエイジングとは、キャンバスに何度も同じ若葉の絵を上書きしようとする空しい行為かもしれない。
しかし、枯れることを受け入れる生き方は、
時間をかけて一枚の重厚な油絵(傑作)を完成させる行為なのだ。
枯れた男にしか出せない、引き算の魅力
昨今、巷では「イケおじ」という言葉が定着し、若い世代の間でも「枯れ専」と呼ばれる、年上の男性に惹かれる層が一定数存在する。
ここで勘違いしてはならないファクトがある。
彼女たちが惹かれているのは、
決して「若作りに必死な男」ではない、、、
ということだ。

無理にトレンドを追いかけ、シワを隠し、
ギラギラと若者に混ざろうとする姿は、
ときに「年齢を受け入れられない精神的な余裕のなさ」として、痛々しく映ってしまう。
本当に魅力的なのは、自分の年齢を愛し、
その年齢にしか似合わないクラシックな装いをし、静かに佇んでいる男だ。

男も年齢を重ねれば、ギラギラとした自己主張や、他者からの承認欲求といった
「余分な水分(エゴ)」が抜けていく――
それは、フェンダーのヴィンテージギターの水分が抜け、乾いた極上のトーンに変化していくプロセスや、樽の中でウイスキーが静かに深みを増していく成熟のプロセスと、全く同じだ。

無駄な力みが抜け、角が取れ、
穏やかになった男が放つ「枯れた空気感」は、
周囲に圧倒的な安心感と包容力を与える。
自分の限界や役割を知り、世間の無駄な競争から一歩退いた(=枯れた)からこそ生まれる、寛容さと知的なユーモア。

これこそが、大人の男にしか出せない
「熟成の味わい」なのだ。
自然に、美しく、枯れていこう――
使い込まれてシワが刻まれた革ジャン。
味わい深く琥珀色に輝くウイスキー。
そして、年月を経て素晴らしい音を響かせるようになった楽器たち――。
世の中の本当に価値あるものは、
すべて「枯れる」ことでその真価を発揮する。

私たちの顔に刻まれたシワは、これまでの人生で笑い、悩み、戦ってきた歴史の結晶だ。
頭を覆う白髪は、荒波を乗り越えてきた男に与えられる、勲章のようなものだ。

アンチエイジングという商業的な言葉に惑わされ、それらを隠したり、消したりする必要がどこにあるだろうか。
時代の流行り廃りや、他人の目線に迎合する必要などない。
大切なのは、自らのロマンを胸に、自然に加齢し、人として美しく熟成していくこと――。
若さを追い求める薄っぺらい生き方は、
喜んで“インフルエンスな人々”に譲ろう。
私たちは、私たちにしか出せない
「極上のヴィンテージ・トーン」を響かせ、
至高の琥珀色を湛えながら、堂々と、格好良く、枯れていこうではないか。

“Stay Free, Stay Romantic”
まだ見ぬ友へ捧ぐ。
by UNCLE LALALA
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もし、少しでも「ロマン」を感じたらコーヒーを一杯奢っていただけたら。
カフェイン摂取が執筆エネルギーに変換されると思います。