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第百十六話「祭りのあと」

 最後の曲が終わっても、すぐに一日は終わらなかった。

 客が帰り始めると、さっきまで自分の名前が飛び交っていたGROOVE STOCKに、少しずついつもの空気が戻ってきた。

 床には踏まれて丸まった紙が落ちていた。

 空になったグラスが残っている。

 ステージの上には、汗の跡と、まだ熱を持った機材。

 身体は重かった。

 でも、不思議と嫌な疲れではなかった。

「片付けよか」

 誰かが言った。

「やろやろ」

 さっきまでステージに立っていた仲間たちが、今度はケーブルを巻いていた。

 ぼくもマイクを片付ける。

 アンプを動かす。

 椅子を戻す。

 身体を動かすたび、汗で濡れたシャツが背中に張りついた。

「疲れたなあ」

「そりゃ六十分歌ったら疲れるでしょ」

「ライブ中、飛びすぎたわ」

「ずっと跳ねてたじゃん」

「明日ヤバそうやな」

 笑いながら片付けた。

 ライブが終われば、ステージも客席も元に戻す。

 当たり前のことなのに、それが少し寂しかった。

 ついさっきまで、ここはぼくのワンマンライブの会場だった。

 照明が当たっていた場所から機材がなくなっていく。

 人が減る。

 声が減る。

 最後には、いつもの店に戻っていく。

 片付けが一段落すると、清算をした。

 チケットの枚数を確認する。

 金を数える。

 一枚。

 また一枚。

 数字を確認して、もう一度数える。

 夢みたいな一日だったのに、最後に待っているのは、妙に現実的な作業だった。

 その日、PAに入ってくれていたDo-1tさんとも話した。

「お疲れさまでした」

「お疲れ」

「ありがとうございました」

 Do-1tさんは片付けられていくフロアを見ながら言った。

「みんないい顔でライブ見てたね」

「ほんまですか?」

「うん。みんないい顔してたよ」

「……よかった」

 嬉しかった。

 自分から見えていた景色だけじゃなかったんだと思った。

 ステージの上からは必死だった。

 歌詞を飛ばさないように。

 息が切れないように。

 次の曲へ行けるように。

 客席を見ていたつもりでも、全部なんて見えていない。

 でも、後ろから会場を見ていた人が、

「みんないい顔してた」

 と言ってくれた。

 その言葉だけは、帰ってからも残った。

 次の日。

 目が覚めて、身体を起こそうとした。

「いった……」

 脚が痛い。

 太ももも重い。

 身体のあちこちが、昨日とは違う。

「飛びすぎたな……」

 布団の上で少し笑った。

 昨日、ステージで何度も跳ねた。

 夢中だったから何も感じなかったのに、一晩遅れて身体が全部覚えていた。

 立ち上がる。

 普通に朝が来ていた。

 ワンマンをやった次の日だからといって、窓の外の景色が変わっているわけじゃない。

 いつもの道。

 いつもの店。

 いつもの信号。

 缶コーヒーを一本買った。

 プルタブを起こす。

 カシュッ、と小さな音がした。

 一口飲んで、タバコに火をつけた。

 煙を吐く。

 なんとなく空を見上げた。

 昨日と同じ空だった。

 ワンマンをやった。

 六十分歌った。

 人が集まってくれた。

 みんなが笑っていた。

 生きててよかったと思った。

 でも、

 それで何者かになれたわけじゃない。

 ワンマンを一本やったからといって、急に売れるわけでもない。

 知らない人がぼくの名前を知るわけでもない。

 口座の金が増えるわけでもない。

 仕事がなくなるわけでもない。

 明日になれば、またいつもの毎日がある。

 タバコの先から細い煙が上がっていた。

 風に触れると、すぐに形がなくなった。

 ぼくはもう一口、缶コーヒーを飲んだ。

 昨日まであれだけ怖かったワンマンは、

 もう終わっていた。

 残ったのは筋肉痛と、

 少しの疲れと、

「みんないい顔でライブ見てたね」

 という言葉だった。

 それで十分だった。

 タバコを吸い終えて、火を消した。

 空になりかけた缶コーヒーを持って立ち上がる。

 さて。

 仕事行こか。

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