人は、最後に何を見るのだろう
目を閉じた祖母が、震える手で教えてくれた「愛」という記憶
境界線ノート|ランポのさんぽ
私の人生で、一番偉大な先生は、一度も教師になったことがない。
学校の先生。
会社の上司。
本の中の偉人。
でも、その誰よりも多くのことを教えてくれた人は、一度も「教えよう」としなかった。
父方の祖母、スミヱ。
私が高校二年生のとき、腎臓病で亡くなった人である。
今でも思う。
あの人は、人生の答えを言葉ではなく、生き方で教えてくれたのだと。
幼い頃、私は一度、東京で暮らしていた。
父は作業船の船長で、仕事の都合から幼稚園と小学校は東京都大田区の羽田で過ごした。
その頃、兵庫県に住んでいたスミヱおばあちゃんは、両親にこう言ったという。
「東京の下町で子どもたちを育てるなんてかわいそう。こっちへ帰ってきなさい。」
父は船を降りた。
長年続けてきた仕事を辞め、鉄工所の機械職人として、新しい人生を歩き始めた。
子どもだった私は、その決断の重さを知らない。
でも今なら分かる。
人生を変える決断は、理屈ではなく、「家族を守りたい」という一つの思いから始まることがある。
その最初の一歩を背中から押したのは、スミヱおばあちゃんだった。
母が病気になったことがある。
すると、おばあちゃんは何も言わず家へやって来た。
そして台所に立ち、大皿いっぱいの料理を次々と作り始めた。
煮物。
炒め物。
汁物。
食卓いっぱいに並ぶ料理。
今思えば、あれは料理ではなかった。
「大丈夫。」
「みんなで食べなさい。」
「私がいるから。」
そんな言葉を、料理という形に変えて運んできてくれたのだと思う。
本当に優しい人は、「頑張れ」と言わない。
黙って台所へ向かう。
私は、その背中から優しさを教わった。
おばあちゃんは、日本という国を深く信じていた。
夫は戦争で帰らなかった。
長男も、次男も戦争で命を落とした。
それでも、おばあちゃんは日本が勝つと信じ、財産のほとんどを戦争国債に託した。
敗戦。
紙切れになった国債。
裕福だった暮らしは、一年足らずで崩れていったという。
夫を失い。
二人の息子を失い。
財産も失った。
それでも、残された三人の息子を育て上げた。
私は、その頃の話を詳しく聞いたことがない。
たぶん、おばあちゃんは語らなかった。
戦争の苦しみを、恨みとして子どもや孫に渡したくなかったのだろう。
沈黙は、忘れたからではない。
愛したからこそ、背負わせなかった。
私は今、そう思っている。
おばあちゃんは、動物が大好きだった。
ニシキゴイ。
ウサギ。
カナリア。
庭には池があり、色鮮やかな鯉が泳いでいた。
その頃の私は、「おじさんの家は立派だな」としか思っていなかった。
でも、本当に豊かだったのは家ではない。
命を迎え入れる心だった。
引っ越した後の家には、ときどき子犬が段ボール箱に入れられて捨てられていた。
おばあちゃんは、その子たちを放っておけなかった。
何頭もの命を育てた。
そのうちの一頭が、我が家へやって来た。
私は「ドン」と名付けた。
柴犬によく似た和犬の雑種だった。
ある日、おばあちゃんが我が家へ来た。
まだ姿もよく見えない距離だった。
その瞬間だった。
ドンは鎖が切れそうなほど身を乗り出し、全身でしっぽを振り、鳴き続け、嬉しさのあまりおしっこを漏らした。
私は驚いた。
私には一度も見せたことのない喜び方だった。
子ども心に思った。
「いったい、どんなふうに接したら、犬はこんなにも喜ぶんだろう。」
その答えは、ドン自身が教えてくれていた。
動物は、人間の肩書きも、お金も見ない。
見ているのは、その人の心だけだ。
ドンは、おばあちゃんの優しさを、一番よく知っていた証人だった。
犬は、言葉より先に、人の心を覚える。
そして、最後の日。
高校二年生の私は、病院へ駆けつけた。
「もう危ない。」
そう連絡が入った。
病室には、おじさん、おばさん、いとこの三姉妹がいた。
三姉妹は、涙でぐしゃぐしゃになって泣いていた。
私は父と弟と静かに立っていた。
なぜだろう。
「男はあんなに泣いてはいけない。」
そんな考えが、胸の中を支配していた。
感情を押し込めた。
すると、おばさんが言った。
「おばあちゃん、もう目が見えないから。顔を触ってもらいなさい。」
三姉妹が順番に近づく。
おばあちゃんは、震える両手をゆっくり持ち上げた。
頬を包み。
額をなぞり。
鼻筋をたどり。
口元に触れる。
まるで、その子の顔を心の中へ刻み込むように。
三姉妹は、さらに泣いた。
おばあちゃんの目にも涙が浮かんでいた。
そして、その手は小さく震えていた。
私の番になった。
私は泣かなかった。
いや、泣けなかった。
きっと表情も硬かった。
それでも、おばあちゃんは私の顔を、三姉妹と同じように優しく包んでくれた。
その手のぬくもりだけは、五十年以上経った今でも忘れていない。
しばらくして、先生たちが病室へ入ってきた。
何かの機器を外していく。
大人たちが小声で話している。
「もう最後だろう。」
「いや、少し持ち直したんじゃないか。」
その声だけが耳に残る。
再び先生が病室へ戻ってきた。
そして静かに告げた。
「御臨終です。」
病室の空気が止まった。
私は最後まで、「ありがとう」が言えなかった。
優しくしてもらった。
守ってもらった。
愛してもらった。
それなのに、その一言だけが喉を越えなかった。
人は、何を遺して旅立つのだろう。
お金だろうか。
家だろうか。
地位だろうか。
スミヱおばあちゃんは、そのどれも残さなかった。
でも、もっと大切なものを遺した。
困っている人には、自分から手を差し伸べること。
国を信じること。
命を分け隔てなく慈しむこと。
言葉よりも、行動で愛を伝えること。
そして、最後の最後まで、大切な人の顔を覚えていたいと願うこと。
私は今、動物に心を寄せるたびに、おばあちゃんを思い出す。
家族を大切にしたいと思うたびに、その生き方が私の心を静かに照らす。
そして、人の優しさを書こうとするたびに、おばあちゃんの背中を思い出す。
あの人は、もういない。
けれど、その生き方は、私の中で今も静かに息をしている。
あの日、私の頬に触れた、あの温かな手のぬくもりは、今も私の人生を静かに支え続けている。
あの時、言えなかった「ありがとう」は、何十年という歳月をかけて、ようやく言葉になった。
きっとその言葉は、今もどこかで、スミヱおばあちゃんに届いている。
ランポのさんぽ
今回歩いた境界線
ありがとうの境界線
私は今、その答えを知っています。
あの日、震える両手が見ていたものは、
愛だったのだと。
