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現代文にも責任あるよね?

最近、考えすぎクラブの方で遊んでもらって、大変楽しく、充実した日々を過ごさせていただいています。

クラブ会員の皆様、考えすぎることは時に人生を豊かにしますが、この現代社会を生きる上で、しばしば我々を苛むこともまた事実ではないでしょうか。

対人関係においては、相手の言葉の裏の裏を読んで疲弊してしまったり、問題の対処においては、ついあらゆる懸念事項やパターンを想定してしまいませんか?0%と言い切れないなら、我々にとってそれは検討すべき選択肢の一つなのです。

このような傾向をなぜ我々が獲得してしまったのか。
原因、理由は星の数ほどあるでしょう。
私などは満点の星空の星を一つずつ数えるように、起こりうる不幸を一つずつ想像してしまうことがあります。
デカめの不幸を一つずつ繋いで…北斗七星が出来ました。ところで星座って星の配置で絵柄に行くの無理くりすぎじゃありません?

考えすぎて脱線してしまうのも我々がよくやることです。

これはあくまで私の場合ですが、大学受験でゴリゴリに現代文をやってしまったことが傾向を強めた一因のように思います。

現代文をゴリゴリにやった人なら共感いただけるのでは、と思うのですが、現代文の問題を解く、というのは、最後は出題者との対話という領域に入っていくと思うのです。

つまり、出題者の意図を汲む、とも言えるかもしれません。

かなり稀なことではあるのですが、現代文がそこそこ出来るようになると、解答が複数あるのでは?という問題に出くわしたりします。もしくは、おそらく出題者の答えさせたい答えが、正確には正しいと言えない、ということに気付くときもあります。

そんなとき、どうするか。

出題者は、何を求めているのか。
他の問題文からその人となりを探るのです。
そして、恐らく出題者はこう答えさせたいのだろう、という答えを導きます。

このとき、私の頭の中では、この人はこういうことをこういうつもりで言っているかもしれないよパターンの洗い出しが行われます。
そして、そこが出揃った後で、他の問題文の検証を経て、どういうつもりでこう言ってるのか、一番可能性が高いやつ検討会が開かれます。
そして最終的に、こういうつもりであろう!という一つが選ばれ、だったら対応している答えはこれ!ということで解答用紙に記入、となるわけです。

優れた出題者程、疑いの余地のない答えに導いてくれます。
あまりにもスマートに導かれると、出題者にキュンとすることもあります。
良問!良問作りし人!言葉の魔術師!
ペンライトを振って爆上がりです。

この一連の思考の反復練習により、考えすぎる傾向が強まったような気がします。
ぱっと見一番あり得る選択肢をさっと選んですぐに次に行く。
この能力が、結構社会では必要な気がするんです。
ままならないですね。

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