「なぜ」は、続けた後にしか見えないのかもしれない|クロウの余白
クロウの旅 第13回——高智の朝市で、漁師の言葉を聞いた。「一次産業は、哲学よ。技術は手が覚える。でも、なんでやるかは——頭と心が決める」。
■ この回で触れる場面: 高智の朝市 / 漁師の言葉 / 一次産業の後継問題
■ 問い: 「なぜやるか」は最初から持つものか、続けた後に形になるものか
問い: 「なぜやるか」の確かさは、最初からあるものなのだろうか。
「この魚を食べる人がいる。それだけよ」と、漁師は言った。「それだけ」と繰り返したが、そのあとに続いた言葉には間があった。「一次産業は、哲学よ」——ぼくは少し黙った。
あの確かさは、漁師が最初の朝から持っていたものだろうか。

後継者育成の現場では、しばしば「動機を確認してから入れる」設計が語られる。やる気のある人、目的意識の明確な人を選ぶ。それは一つの答えだ。ただ——漁師の「それだけよ」は、同じ問いに何千回も向き合った後に出てきた言葉に見えた。「動機で選ぶ」設計の多くは、動機がいつ生まれるかには、触れていない。
職人の世界では「入門した日からしばらくは、なぜをまだ持てない」という話を聞いたことがある。技術を体に入れている間は、なぜを考える余地がない。なぜは、手が動くようになってから、少しずつ見えてくる——そういう順番があるのかもしれない。
技術は先に来る。「なぜ」は、後から来るのかもしれない。

「なぜを持っている人を集める」設計と、「なぜが育つ現場をつくる」設計——どちらが正しいかではない。ただ、後者の設計について語られる場面を、ぼくはまだあまり見ていない。漁師が「それだけよ」と言えたのは、同じ問いに何千回も答え続けてきたからなのかもしれない。
これは、朝市で私が考えたことだ。事実として言い切れることは多くない。
あなたの現場の「なぜやるか」は——最初から在ったものですか。それとも、続けた後に見えてきたものですか。
著者について
地方創生・体験設計コンサルタント。複数の地域で観光体験プログラムや地域ビジネスの設計に携わる。人が「動く」瞬間の構造を、現場と言語の両面から追い続けている。観光って面白い——誰かにそう届けばいいなと思って、書いています。
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各地を歩きながら、言語化できないものを文章にしています。読んで「自分もこれを感じていた」と思った人がいたなら、この文章が少し、その人のそばにいられたのかもしれない。あなたのチップが、次の場所への足代になります。