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51歳のおっさん、19歳のとき伊丹豪雨でハイラックスサーフが水没した|大阪国際空港で起きた実話

今回、千葉県を襲った記録的な大雨災害。

道路が冠水し、車が水に浸かっているニュース映像を見ながら、被災された方々はどれほど不安だっただろうと思いました。

被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

そして映像を見ているうちに、僕の記憶の奥に残っていた、あの絶望感が一気によみがえってきました。

「そうや。僕も遠く離れた宮崎で、自分の車を停めていた伊丹空港が水没しているニュースを見たんや……」

今から32年前の1994年9月。

当時19歳だった僕のハイラックスサーフは、「伊丹豪雨」と呼ばれる記録的な集中豪雨によって、大阪国際空港の駐車場で水没しました。

今回は、千葉県の大雨災害をきっかけに思い出した、19歳の僕とハイラックスサーフの実話です。

なぜ19歳の僕が宮崎にいたのか

当時の僕は、オレンジ色の看板で知られる有名カー用品店で働いていました。

ここでは会社名を「オート〇〇〇〇」としておきます。

担当していたのは、タイヤとホイールです。

タイヤは、ただサイズが合えばいいという商品ではありません。

車種や使い方に合った性能、摩耗、空気圧、乗り心地、安全性など、お客様に説明するための幅広い知識が必要でした。

僕が挑戦することになったのは、「オート〇〇〇〇タイヤコンサルタント」という、当時のタイヤ部門における最高資格です。

その研修と試験を兼ねて、1週間の予定で宮崎県都城市にあったオーツタイヤ宮崎工場へ行っていました。

なぜカー用品店の社員が、タイヤ工場で研修を受けるのか。

当時、僕が勤めていた会社のPB、つまりその会社独自のブランドとして販売していたタイヤを製造していたのが、オーツタイヤだったからです。

タイヤがどのような工程で製造されるのかを工場で学び、その知識を身につけたうえで最高資格の試験に挑む。

19歳の僕にとって、責任のある出張でした。

当時のオーツタイヤ宮崎工場は、現在の住友ゴム工業宮崎工場です。公式資料によると、宮崎県都城市で1976年に操業を開始。オーツタイヤは2003年に住友ゴム工業と合併しています。

ハイラックスサーフを空港前の駐車場へ

宮崎へ向かう際、僕は愛車のハイラックスサーフで伊丹空港まで行きました。

停めたのは、空港ターミナルの真正面にあった、あのだだっ広い大きな駐車場です。

ハイラックスサーフは4WDで、一般的な乗用車より車高があります。

そのため僕自身も、まさか空港の駐車場で水没するとは考えていませんでした。

車を駐車場に残し、僕は宮崎へ向かいました。

真ん中のイケメンが当時のつかちゃん(*´艸`)後ろの4駆がハイラックスサーフSSR-Xワイドボディ


伊丹豪雨で水没した当時の愛車ハイラックスサーフ。中央が19歳のつかちゃん(プライバシー保護のため顔を加工)

宮崎のテレビに映った伊丹空港

宿泊施設でテレビを見ていると、ニュースが大阪府北部から兵庫県南東部を襲った集中豪雨を伝え始めました。

そして画面に映し出されたのが、僕のハイラックスサーフを停めている伊丹空港でした。

ニュース映像を見た瞬間、絶望的な気持ちになりました。

「うそやろ……。俺の車、あそこに停めてるやん」

自分は宮崎。

車は大阪。

しかも、その車が置いてある場所がテレビの中で水に浸かっている。

すぐに確認しに行くことも、車を移動させることもできません。

「頼むから、俺の車までは水が来ていないでくれ」

そう願うしかありませんでした。

しかし映像を見る限り、その可能性はほとんどなさそうでした。

記録に残る1994年の伊丹豪雨

これは記憶違いでも、大げさな話でもありません。

裁判所の判決資料によると、集中豪雨が発生したのは1994年9月6日午後9時ごろから、翌7日午前3時ごろまでです。

気象庁の記録では、6日午後9時過ぎから積乱雲が急速に発達。大阪府北部から兵庫県南東部で、雷を伴う激しい雨が3〜4時間続きました。

豊中市では1時間に91ミリ、7日の日降水量は207ミリを観測しています。

兵庫県の資料では、伊丹豪雨で1時間に108ミリの局地的な集中豪雨を記録。伊丹市などで床上浸水1,365棟、床下浸水2,002棟に及んだとされています。

偶然にも、関西国際空港が開港したのは同年9月4日。

伊丹豪雨は、そのわずか2日後に発生しました。

国立国会図書館の調査記録によると、1994年9月7日付の毎日新聞には、空港前の道路が池のように冠水したカラー写真が掲載されています。

同日の朝日新聞夕刊にも、空港ビル地下2階から大量の雨水を排出する様子を写したカラー写真が残されています。

僕が宮崎で見た光景は、それほど大きな災害だったのです。

水の跡は、前席の腰の高さまで

大阪へ戻ってハイラックスサーフを確認すると、車内にははっきりと水の跡が残っていました。

その高さは、前の座席に座ったときの腰の位置あたりまで。

ハイラックスサーフは車高の高い4WDです。

その車内で腰の位置まで水の跡があったのですから、駐車場の水位は相当なものだったのでしょう。

ただし、当時の正確な水深までは確認できていません。

空港側が、水没した車両の写真を撮影していたことも後から確認しました。

宮崎でニュースを見たときの嫌な予感は、残念ながら的中していたのです。

370万円の新車なのに、車両保険に入っていなかった

僕のハイラックスサーフは、新車で約370万円でした。

19歳の僕にとっては、決して簡単に買える金額ではありません。当然、ローンも残っていました。

それにもかかわらず、水害による自分の車の損害を補償する車両保険には入っていませんでした。

そのため、伊丹豪雨で水没しても保険金は出ません。

会社にも相談しましたが、

「出張ではあるけれど、会社が車で空港へ行くよう指示したわけではない。そのため弁償はできない。ただ、修理費を無利息で貸すことならできる」

という回答でした。

友人からは、

「あのタイミングで出張に行って、しかも空港に車を置いているなんて……」

と同情されました。

家族は、

「天災なんやから仕方ない。親戚の整備工場に頼んで、できるだけ安く修理してもらおう」

と言ってくれました。

こうしてハイラックスサーフは、親戚の整備工場で修理してもらうことになりました。

修理できても、元どおりではなかった

修理後も、ハイラックスサーフには乗り続けました。

しかし半年ほどすると、少しずつ不具合が出始めます。

交差点で停車していると、突然エンジンが止まる。

ATが切り替わるときのショックも、以前より明らかに大きくなっていきました。

これらの不具合が水没によるものだったと断定できる整備記録は残っていません。

ただ、車内の腰の高さまで水に浸かり、修理してから半年ほどで複数の不具合が出始めたのは事実です。

「修理したから、もう大丈夫」

そう簡単な話ではありませんでした。

交差点で突然エンジンが止まる状態では、安全面でも不安があります。

僕はハイラックスサーフを手放すことにしました。

水没車なのに196万円で売れた

買取店には、水没した車であることを伝えました。

それでも提示された買取価格は、196万円。

当時はハイラックスサーフの人気が高かったこともあり、水没歴があるにもかかわらず、想像していた以上の価格が付きました。

新車で購入したときの価格は約370万円。

196万円で売れたことで、残っていたローンをほぼ清算できました。

ローン残高と買取金額が、ほぼトントン。

少なくとも、手元から車がなくなったあとも、高額なローンだけを払い続ける事態は避けられました。

そこは本当に助かりました。

そして、ハイラックスサーフの次に僕が選んだのは、新車のJeepチェロキーでした。

国産4WDからアメリカのSUVへ。

僕の車人生は、水没をきっかけに大きく方向を変えることになったのです。

Jeepチェロキーの話は、また別の機会に書きたいと思います。

高くても、車両保険は真剣に考えるべきだった

現在の保険制度では、任意保険に加入するだけで、自分の車の水没被害が必ず補償されるわけではありません。

台風・高潮・洪水などによる水没に備えるには、任意保険の中でも「車両保険」を付け、契約内容を確認する必要があります。

1994年当時、僕が車両保険に入っていれば、実際にいくら支払われたのかは確認できません。

当時の契約内容が残っていないからです。

しかし、新車価格370万円の車が水没し、修理後も不具合に悩まされた経験から、今の僕はこう思います。

保険料が高くても、車をすぐに買い替えたり、高額な修理費を自分で負担したりできない人は、車両保険への加入を真剣に検討するべきです。

特にローンが残っている車なら、なおさらです。

事故や災害で車を失っても、ローンまで消えてくれるわけではありません。

19歳の僕は、その現実を伊丹豪雨によって身をもって知りました。

なお、日本損害保険協会によると、車両保険を付けていれば、台風・高潮・洪水などによる損害は基本的に補償対象となります。

ただし、契約タイプによって対象外となる場合があります。また、地震・噴火・津波による損害は、通常の車両保険では原則として補償されません。

「任意保険に入っているから大丈夫」と思い込まず、自分の車がどこまで補償されるのかを確認しておくことが大切です。

あの豪雨は、その後の伊丹空港を変えた

現在の大阪国際空港には、大規模な浸水対策が整備されています。

関西エアポートによると、1994年から1999年に相次いだ集中豪雨を受け、内径約5.8メートル、全長約1.8キロ、約4万5,000立方メートルの水をためられる雨水貯留管が造られました。

2008年に供用を開始し、その後も緊急放水路などが追加されています。

19歳の僕にとっては、「愛車が水没した最悪の出来事」でした。

しかし、あの豪雨は空港や周辺地域の治水対策を見直すきっかけとなった災害の一つでもあったのです。

51歳になって、あの絶望感を思い出した

あれから32年。

今回の千葉県の大雨災害で、冠水した道路や水に浸かった車の映像を見た瞬間、宮崎の宿泊施設でテレビを見ていた19歳の自分に引き戻されました。

自分は遠く離れた場所にいて、愛車を助けることができない。

ただ映像を見ながら、無事を願うことしかできない。

あのとき感じた絶望感は、51歳になった今も消えていませんでした。

ニュースで流れる災害は、決して画面の向こう側だけの出来事ではありません。

ある日突然、自分の車や家、いつもの生活が、その映像の中に入ってしまうことがあります。

災害は避けられないことがあります。

しかし、保険の補償内容を確認することや、被害に遭ったあとの生活を想像して備えることはできます。

僕にとって伊丹豪雨は、愛車を失いかけた苦い記憶であると同時に、「備えることの大切さ」を教えてくれた出来事でもあります。

みなさんの車の保険には、台風や洪水による水没の補償が付いていますか?

一度、保険証券や契約内容を確認してみてください。

※1部、当時の新聞確認や自動車保険の内容はChatGPT調べを利用しております。

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