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〔488〕鉄砲伝来工作の謀主  付けたり 国益に目覚めた織田信長が自ら謀った「本能寺の変」(続)  「大東亜戦争Ⅰの本質」の考察  石原莞爾と今井田清徳は対発生10

〔488〕鉄砲伝来工作の謀主  付けたり 国益に目覚めた織田信長が自ら謀った「本能寺の変」(続)
 「大東亜戦争Ⅰの本質」の考察  石原莞爾と今井田清徳は対発生10

 
 耶蘇暦1533年といえば、日本は天文三年で後奈良天皇、将軍は第十二代将軍足利義晴です。
 この年、人口二千万人に及ぶインカ帝国が冒険家フランシスコ・ピサロと168人の部下によって瞬く間に滅亡しました。
 ピサロの雇い主はスペイン王カルロスⅠ世で、神聖ローマ皇帝に選ばれてカ―ルⅤ世を称していました。
 インカ帝国は80幾つの部族が構成した「多部族国家」で、総兵員は20万に達し、常備兵も数万いました。
 ピサロが会見を申し込んで誘い出した皇帝アタワルパが数千名の護衛兵を連れて丸腰で広場にいたところ、皇帝を拉致して人質にしたピサロが護衛兵の反撃を封じ、奇跡的な勝利を収めたのです。
 世界史上でも稀な、というか唯一の奇跡的勝利で、「作戦の天才」と讃えられた石原莞爾も到底及びません。
 ピサロの勝因は幾つかあります。最大の勝因は「平和ボケ」につけこんだ皇帝拉致作戦、次に「皇帝第一思想」を利用した人質戦略です。
 皇帝を監禁したピサロ軍に皇帝が莫大な金銀を提供すると、ピサロはこれを受けとりながら皇帝を裁判にかけ、多神教を信じた罪で火刑を宣告し、カソリックに改宗すれば罪一等を減じて絞首刑にすると持ち掛け、改宗させたうえで絞首刑に処しました。
 この戦略の本質はいずれも「インカ人の信頼感」を悪用したことに尽きます。つまり、「不信が信に克つ」との西欧原理にしたがったので、早く言えば「インチキ賭博」です。
 武器の差も隔絶していました。スペイン側とインカ側を対比しますと、次のようになります。
 
         スペイン       インカ
鎧         鋼鉄製       綿製
刀槍        鋼鉄製       青銅製・木製
騎兵        62人       見たこともなし
銃         火縄銃・大砲    見たこともなし
 
 結局、馬と銃なのです。現代に置き換えると、ドローンと核兵器ということですな。
 読者諸兄姉はこれを見ながら、〔大東亜戦争Ⅰ〕に思いをいたしてください。

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