2026年08月14日:夫の話を聞いた二日間
一昨日は、夫の会社の人が家に来てくれました。 夫のことをたくさん知っている人です。 だから、いろんな夫の話が出てきました。
その話を聞きながら、私は何度か夫を思い出しそうになっていました。 でも、どこか踏ん張っている感覚でした。 ここで思い出したら、戻れなくなる。 そんな感じがしていました。
その人が話してくれたのは、その人の中に残っている夫でした。
そして昨日、10年くらい前から知っている女の子と話しました。 私が行っている活動を通して知り合った子です。 出会ったころは引きこもっていて、ほとんど口もきけないような状態でした。
その後、こちらに出てきて、我が家にも何度か来てくれて、夫とも何度も会っていました。 一緒にいろんなところへ出かけたり、家で過ごしたり。 その子にとっても、夫は身近な存在だったと思います。
その子はその後、少しずつ元気になって、結婚して故郷に帰っていきました。
夫の葬儀のときには、仕事をどう休めばいいのかわからず、お通夜には来られなかった。 それでも「葬儀に行かなかったら絶対後悔する」と、旦那さんと一緒に飛行機に乗って来てくれました。
今日は、そのお礼をあらためて伝えました。 そして、夫の話になりました。
アニメが好きだったこと。 本を読むのが好きだったこと。
その話を聞いた瞬間、夫が椅子に座って静かに本を読んでいる姿が浮かびました。 家でテレビを見ている夫。 アニメを見ている夫。 好きなバイクの動画を見ている夫。 静かに本を読んでいる夫。
私が知っている、元気だったころの夫です。
気がついたら、涙が止まらなくなっていました。
一昨日も夫の話を聞いていたのに。 昨日も夫の話をしているのに。 同じ「夫を思い出す」ということなのに、こんなにも違うんだと思いました。
一昨日、その人が話していた夫は、その人の中にいる夫でした。 私はその場面を見ていない。
でも昨日、その子が話してくれたのは、私も一緒に見ていた夫でした。 私の記憶と、その子の記憶が重なって、そこに夫がいた。
そして私は、思わず言っていました。
「元気だったころの旦那に会いたいな」
夫が亡くなってから、「会いたい」という言葉が自分の口から出たのは初めてだと思います。
考えてみれば、私はずっと、 「夫は死んだんだから、会えるわけがない」 と思っていたのかもしれません。
受け入れなくちゃいけない。 もういないことを、ちゃんとわからなくちゃいけない。
骨壺を見て、 「この中にいるの?」 と思ったことはありました。
でも、「会いたい」と思うことを、なぜか自分に許していなかった。 死んだんだから、会いたいなんて思っても仕方がない。 そんなふうにしていたのかもしれません。
でも昨日は、 「会いたい」と口にすることを許せた日なのかもしれません。 元気だったころの夫に。
会えるわけがないことは、わかっています。 だから、悲しい。 ただただ、悲しい。
この感情を感じることに対して、 私は自分に許可をした日なのかもしれません。
