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太宰治賞発表の日の夜から翌日の朝までの話

最終選考に残ってから当日までの時間

 僕は「賞の結果のために小説を書いているわけじゃない!」と言い続けていたし、第42回太宰治賞を受賞できた現在も同じように思っている。ただこれにはかなりの強がりもあったはずだ。やっぱり自分が真剣に書いたものが評価されないというのはなかなか苦しいし、自分が落ちた賞でいいところまで行った人を冷静に称えられるほど大人じゃない。
 もちろん中には落ちても全然悔しくないという人もいるだろう。それは個性というか、別に一生懸命やっていないから悔しくないということではないと思うが……。少なくとも僕のここ数年のテーマは「賞レースなんて運だ」とばかり言わず、「落ちたら悔しいと思えるまで頑張ってみよう」というものだった。運は運でも、「人事を尽くして天命を待つ」という気持ちで挑んだ。

 人がなにか行動を起こすとき、多くの場合理由はひとつじゃない。事実は常にひとつだけれど、真実はひとつじゃないのだ。だから僕にとって「小説で新人賞を獲って(受けてではないところがポイント)何者かになりたい!」というのも真実だし、「賞の結果じゃないんだ!自分という人間を深く見詰めたいんだ!」というのも真実だし、「単純に昔から小説を読んできたんだから、その結果自然と自分も小説を書きたくなった」というのも真実だ。また、「小説を書き上げることそのものにハマってきたので、もっと技術を追求したい」という気持ちもあって、これも真実だと思う。
 そんな中で、僕の尊敬するmikkyさんがいつか、「何者かになるためではなく、自分が何者か知るために書いているのかもしれない」と仰っていたのが印象に残っている。人からチヤホヤされたいとかいろいろあるけど、結局はこれなんじゃないか。
 僕が志賀直哉を読みはじめた理由は、彼が『和解』を書いてから本当に父親と和解したという逸話を知ったからだが、僕が本当に和解しなければならなかったのは、恐らく自分自身だったんじゃないか。そんなことを考えたりする。

 文学フリマ東京42では新しくいろいろな方々と知り合えた。そんな中、上田織さんの『ストーブ』を買いに行って彼と立ち話になった際に、「最終候補になったら一気に増長して人格が変わるみたいなこと、意外とないもんですね」と言ったら「そうなんですよね」と共感してもらえた。まあつまりこういう会話が成立してしまう程度には、お互い結果が出てる人のことにちょっと思うところあったのだろう。余談だが、上田織さんはアカウントにも著作である『ストーブ』にも賞実績が記載されていない。こういうところ、好きである。もちろん賞実績を書くことそのものは悪いことではない。少しでも多くの方に本を届けるためには有効な宣伝文句であるのは間違いないのだから。ただ上田さんの性格が見えるのがいいなと思っている。

 まあともかく、僕は第42回太宰治賞最終選考に残ってからしばらくメチャクチャ緊張状態だった。この間、何度か「落ちるかも」と思ったりもしていたのだが、実は誰も「ぬか喜びになるかもしれないから期待しすぎないように」とは言わなかったのだ。なにより程よい距離感で仲よくして頂いている山本雨季さんが「こがわさんが獲ります」と断言してくれ、僕の文体について相談に乗ってもらった那村洵吾さんも「大賞はこがわさんになります」と仰るので、なんとなくそのことを信じていた。2人とも出まかせを言う人じゃないし、文学に対する愛も造詣も深い。だからきっと信じていいと思ったのだ。
 それともう10年以上もほとんど毎日語り合っている沖縄在住の友人が、やはり「私は獲ると思っています」と言ってくれ、同じScrap & BuildのあめたKさんは「こがわさんが最終候補でもあんまり驚きはない。実力を知っているから」とまで言ってくれた。なんだか仲間から称賛されたことばかり自慢しているように聞こえるかもしれないけれどこれについては実はその通りで、これは自慢だ。僕はめちゃくちゃ仲間に恵まれているのである。

大賞受賞の電話のあと

 筑摩書房の担当さんから、18時前後には電話に出られるようにしておいてほしいと言われていたが、電話が来たのは18時20分だった。正直言ってこのときばかりは「きっと受賞者への連絡事項やなんかで忙しくて、落選者は後回しなんだろうな」と思った。しかも担当さんの声がガチガチだったので、「これは……どっちだろう。『残念でしたね』のパターンか?」と予想したが、受賞の知らせだった。この担当さんには最終に残った際にも「詐欺じゃないですよね?」と尋ねたのだが、またしても「嘘じゃないですよね?」と言ってしまった。実はこの方が担当した作家が受賞したのは初めてのことだったらしく、担当さんも緊張していたらしい。選考内容については『太宰治賞2026』というムックが6月19日に出るのでそれを読んでほしいし、僕も読みたくて仕方ない。
 そしてそれよりなにより、僕が受賞の知らせを受けてすぐに思い浮かんだのは、公募仲間のことや喫茶店で執筆していた時間ではなく、もうなくなってしまった練馬区石神井の一軒目居酒屋で友達のMくんとずっと語り合っていた光景だった。だからこそ、まず最初の連絡はMくんにした。彼とはいろいろとお互いに事情があって疎遠になっていたが、それでもどうしても連絡しなければと思ったのだ。なにせ居酒屋で飲んだ際のお金は彼が「出世払いで」と言って奢ってくれたことが多かったし、ずっと僕を信じてくれたから当たり前である。僕はもう両親が他界していて、結婚もしていない。だから一番喜んでくれるのはMくんだと確信していた。
 Mくんにメールで受賞を知らせてから10分ほどして彼から電話がかかってきたときは、お互いに声が震えていたし、たぶんどちらも泣きそうだったと思う。「これ受賞の涙なのかな?」と疑問を抱いたけれど、たぶん違う。ずっと応援してくれた人がお祝いしてくれたことが嬉しかったのだ。

 すぐにタクシーを呼んで所沢駅まで向かう間、Xの通知がひっきりなしだった。去年に太宰治賞2次選考通過をしたときから精神的なプレッシャーについていろいろと相談に乗ってくれた岩月さんや、SNSで一番最初に僕の作品に言及して褒めてくれたあめたKさん、サークル長の椎名夕さん、そしてずっと文学談義をしていたmikkyさんが喜んでくれたことがとても嬉しかった。僕よりずっと賞実績があってすでにプロになっている綿原芹さんが「同志」と言ってくれたことにも感動した。
 去年から今年にかけて親しくなった川崎史英さんやエイチノブさんに眞琴ことさんや真山汰一さん、そして前述の上田織さんも自分のことのように喜んでくれて、本当に本当によかったなあと、そればかりだった。また切明川準さんが後日、「腹わたが煮えくりかえる。つまらない作家になったら許さない」と宣戦布告してきたのもまた嬉しかった。
 ここに名前を挙げきれていない人ももちろん喜んでくれて、例えば鼠さんや田沢成琉さんには不安な時間ずっとDMで付き合ってもらったし、サークルメンバーの空井歩さんや憂打つさんは落ち着かない日々の中で外に連れ出してくれた(ちなみに筑摩書房が発表してWebで使われたメタリカのTシャツを着た写真を撮影したのは空井歩さんだ)。
 また、あくたんさんこと水飼心さんにもなにかと声をかけてもらえたことは感謝しかない。

受賞後は朝までMくんと飲んだ

 3年弱振りに会ったMくんはまったく変わってなくて、ほとんど先月も会ってたみたいなノリでいつも通り話せた。これが受賞よりもなによりも嬉しかった。いつか再会したいと思っていた友達に最高の形で再会できたこと。これが自分にとって最も大きな贈り物だっただろう。
 Mくんとは3軒梯子して朝の5時まで話した。その中で僕が「この3年の間に書いたの、Wordで送るから読んでよ」と言うと、Mくんは「こがわさんはもうプロだから、自分がただで読むのは違います。文フリの本ならお金を出しますし、構想中の小説なら編集者に見せないと」と断った。このときは凄く身が引き締まる思いで、そう言われたことでようやく受賞の実感が少しだけあった。実はまだあまり実感はないのだけれど……。
 朝の5時にMくんと別れて電車に乗り帰宅する際、おかしな言葉に聞こえるかもしれないけれど「僕の青春、今日で終わったな」とハッキリ感じたのが忘れられない。
 結果が出なくて苦しかったものの「下読みの連中にセンスがなさすぎる」と言ってやってきた時間が終わった。これはなかなかに寂しいことだ。別に受賞しようがしまいが書き続けることに違いはないし、これからも文学フリマには参加し続けるのだけれど、それでもやっぱりなんとなく青春が終わったなという気持ちが強い。
 そしてここからは新人作家として生存競争をしなければいけない。それは厳しい世界なのだろうが、とりあえず今はもう少しだけ、授賞式が終わって『太宰治賞2026』が発売されるくらいまでは青春が終わった後の春休みを楽しんでいたい。

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