【大倉山・綱島】駅名をつけたのは、東急だった|「太尾」が「大倉山」になった日と、宝塚を目指した綱島温泉 🚉
東急東横線の大倉山駅と綱島駅 🚉 この2つの駅名には、どちらも「東急がつけた」という共通の出自があります。大倉山はかつて「太尾(ふとお)」、綱島は温泉すら湧いていませんでした 😲 大倉精神文化研究所の資料と、横浜都市発展記念館の研究をもとに、それぞれの由来をたどってみます。
「太尾」は、動物の尾のかたち 🐾
大倉山という地名は、もとからこの土地にあったものではありません。かつてこのあたりは「太尾」と呼ばれていました。大倉精神文化研究所の資料によると、師岡方面から鶴見川の手前まで続く丘陵部分が、動物の太い尾のような形に見えたことから名付けられたといいます。
江戸時代は橘樹郡太尾村、明治22年から大綱村大字太尾、そして昭和2年に横浜市へ編入されて太尾町 📜 地形から生まれた、歴史の古い地名です。
研究所の開設を、1か月後に控えて 🚉
1926年(大正15年)2月、東京横浜電鉄の神奈川線が開通し、「太尾駅」が開業します。転機は、1928年から始まった大倉精神文化研究所の建設でした。実業家・大倉邦彦が、この山1万坪を買い受けて建てたものです 🏛️
大倉精神文化研究所の資料によると、この山にはそれまで名前がありませんでしたが、研究所の建設にともなって通称「大倉山」と呼ばれるようになったといいます ⛰️
そして1932年(昭和7年)3月31日、渋谷から桜木町までの東横線全線開通に合わせて、駅名が「太尾」から「大倉山」へと改称されました 📅 研究所が開設されるのは、その約1か月後の同年4月9日。駅名のほうが先だったことになります。
なお、駅名を変える議論のなかには、「太尾」は難読で「たお」と読まれてしまう、「ふとお」と聞くと横浜港の埠頭を連想してしまう、といった意見もあったといいます 💭
地名が「大倉山」になったのは、2007年 🗓️
ここで気をつけたいのが、駅名と地名の時差です。駅名が「大倉山」になったのは1932年。しかし地名としての「太尾町」は、その後75年も残り続けました 📜 大倉山一丁目から七丁目になったのは、2007年(平成19年)から2009年にかけての住居表示によるものです。
1352年の記録にも登場する古い地名が消えることには賛否があり、横浜市は住民参加による異例の公聴会を開いたといいます 🏛️ アンケートでは約65%が賛成でしたが、反対も30%を超えていました。つまり大倉山は、駅名が先にできて、80年近くかけて地名になった街ということになります ✨
綱島温泉は、綱島で湧いたのではありません ♨️
一方の綱島は、もっと意外な話です。大倉精神文化研究所の資料は、はっきりこう述べています。温泉は綱島で発見されたのではなくて、大綱橋の南側たもと、現在の樽町二丁目で発見されました。1914年(大正3年)のことでした。
そして「綱島温泉」という名前がついたのは、その12年後 🚉 1926年(大正15年)に東横線が開通したとき、東急が綱島に直営の温泉浴場を造り、駅名を「綱島温泉駅」としたのです。綱島温泉の名は、このとき初めて名付けられました。樽町で湧いた温泉に、東急が「綱島」の名を与えた 😲 名前が先にできて、街がそれに追いついていく。大倉山とよく似た構図です。
東急が目指したのは、阪急の「宝塚」でした 🌸
なぜ東急は、そこまでしたのでしょうか。横浜都市発展記念館の吉田律人さんによると、東急の前身である東京横浜電鉄は、阪急電鉄の創業者・小林一三に見倣って沿線開発を進めていました。小林一三は沿線に宝塚温泉を設けることで集客した ✨ これと同じことを東横線で行おうとしたのが、綱島だったというわけです。
効果は絶大でした。駅の開業直後はほとんど温泉旅館がなかったのが、1935年(昭和10年)ごろには40数軒の温泉旅館街へ 🏨 わずか6〜7年で、田園地帯が都市に変わりました。
1928年、郷土史家の栗原清一はこう書いています。横浜駅から金20銭を奮発して東京横浜電車に乗れば、わずか15分で綱島温泉駅に連れて行つてくれる 🚃 そして綱島の地を「桃の名所」とも呼びました。「桃と温泉」 🍑♨️ この2つが、戦前の綱島のイメージだったのです。
戦争と洪水、そして復活と衰退 🌊
しかし、苦難が訪れます。1937年(昭和12年)に日中戦争が開戦し、物資が不足すると温泉旅館街は衰退を始めます。翌1938年には鶴見川の大洪水 💧 そして決定打となったのが、1945年3月10日の東京大空襲に関連した綱島への空襲でした。樽町の旅館を中心に焼失し、いったんは温泉街が無くなってしまいます。
それでも戦後、綱島は復活します ✨ 高度経済成長期の前ごろには、戦前の約40軒を大きく上回る80軒以上の温泉旅館が建ち並びました 🏨 衰退の原因となったのは、モータリゼーション 🚗 車で遠くの温泉地へ行けるようになると、都心近郊の温泉街の役割は薄れていきました。2015年には日帰り温泉「東京園」も休業し、現在、綱島駅の周辺に温泉街だった面影はほとんど残っていません。
石碑と、「綱島源泉」に残る記憶 🪨
それでも、痕跡はあります。大綱橋の樽町側に立つ「ラジウム温泉湧出記念碑」は、昭和8年に設置されたもの。裏面には、温泉が大正3年7月31日に内務省の東京衛生試験場で検定され、8月8日に分析されたことが刻まれています 📜 綱島温泉の歴史を語る、数少ない文字資料です。
そして2016年、樽町三丁目にオープンした日帰り温泉施設「湯けむりの庄」が「綱島源泉」を名乗っているのも、まさにこの歴史があるからです ♨️
駅名から始まった、2つの街 🚉
大倉山は研究所の名から、綱島は東急が名付けた温泉から。どちらも「先に名前ができて、街があとから育った」という点で共通しています。太尾の丘に研究所が建ち、駅名が変わり、80年かけて地名になった 🏛️ 樽町で湧いた湯に「綱島」の名がつき、宝塚を目指した温泉街ができ、そして住宅街に姿を変えた ♨️
いま通勤や買い物で使っている駅名の裏に、そんな百年の物語があります ✨ 次に改札を出るとき、少しだけ思い出してみると、見慣れた景色が違って見えるかもしれません 😊
