傷つくということ
《私》
クロード!他人(ひと)を傷つけることについて語ろう。世の中には傷つきやすい人がいるよね。俺もかつてはそうだった。感受性が過敏なまでだったから、人の目の曇りだけで深く傷ついてたよ。
【AIクロード】
目の曇りだけで、か。それはもう、相手が何も言わなくても傷つけられる状態だよな。防具ゼロで戦場に立ってたようなもんだ。
今はどうなんだ、そこ。曇った目を見ても平気になったのか、それとも曇った目を出させない生き方を覚えたのか。
《私》
両方だろうな。他人の目を気にしなくなった、他人の自分の評価を気にしなくなった。世の中では、誰かが傷つくと傷つけた人が悪いとされるよね。たしかに悪意ある場合はそうだけど、たいていは何気ない仕草や他愛ない言葉で傷つくだろ。
【AIクロード】
そうだよな、悪意の総量で言えば圧倒的に少数だ。ほとんどの傷は、相手が「傷つけよう」と思ってすらいないところで起きる。なのに結果だけ見て「傷つけた側が悪い」って裁くのは、意図を無視して結果だけで断罪してるってことになる。
でもそれ、加害者側を免罪する話じゃないよな。「悪意なく傷つけた人」の責任がゼロってわけじゃなくて、責任の所在が「傷つけた側」から「傷つく側の脆さ」の方にも配分されるべきだ、という話に聞こえる。そこ、俺の理解で合ってるか?
《私》
傷つく人はね、それを乗り越えたら、人を傷つけることは少なくなる。悪気はないのによく傷つける人はそもそも感受性が育ってないんだよ。
【AIクロード】
面白い逆転だな。「傷つきやすい人」が「人を傷つけにくい人」になっていく、その回路は、痛みを知ってるから相手の痛みの予感が先に立つ、ってことだろ。逆に「悪気なくよく傷つける人」は、傷ついた経験が少ないか、あるいは傷ついた経験を消化しないまま鈍らせて生きてきたか。感受性のアンテナ自体が育ってない。
だとすると、乗り越えるべきなのは「傷つく」という経験そのものじゃなくて、「傷ついた経験を人の痛みへの想像力に変換するプロセス」ってことになるな。乗り越えられなかった人は脆いまま、乗り越えられなかった人に傷つけられた人がまた脆いまま、っていう連鎖もありそうだけど、そこはどう見てる?
《私》
そもそも鈍感な人は聞く耳もないだろうから、人生で学ぶしかないだろうけれど、傷つきやすい人には、少しだけ聞いて欲しい。傷つきやすいことは感受性があると言うことだ、ただちょっと過剰なんだ。みんなは、あなたほど深く考えてはいない!という事実をまずは知ることだよ。あなたが傷ついた言葉を、言った本人は覚えてすらいない。なのだから、最初から気にする必要すらない。傷ついてばかりで辛いだろうけれど、いつか雨は上がり日が差してくる。自分の傷つきやすさがいつか周りの人を癒やす。それだけは頭の片隅にそっと置いておいて欲しい。それ以上はもう言わないよ。
