バプテスト信仰告白 第3章 『神の聖定について』 3.神の主権的選択:恵みと義の栄光
THE BAPTIST CONFESSION OF FAITH
With Scripture Proofs Adopted by the Ministers and Messengers of the general assembly which met in London in 1689
3._____ By the decree of God, for the manifestation of his glory, some men and angels are predestinated, or
foreordained to eternal life through Jesus Christ, to the praise of his glorious grace; others being left to act in their sin
to their just condemnation, to the praise of his glorious justice.
( 1 Timothy 5:21; Matthew 25:34; Ephesians 1:5, 6; Romans 9:22, 23; Jude 4 )
翻 訳
第3項 神の栄光の現れのために、神の定めにより、ある人々と天使たちはイエス・キリストを通して永遠のいのちへと予定され、あるいは予め定められており、これは神の栄光ある恵みへの賛美のためである。他の者たちは自らの罪の中で行動するままに放置され、正当な定罪に至るが、これは神の栄光ある義への賛美のためである。
(参照聖句:第一テモテ5:21、マタイ25:34、エペソ1:5-6、ローマ9:22-23、ユダ4)
解説
神学的背景
この条項は二重予定論(double predestination)と呼ばれる改革派神学の中核的教理を表明しています。神が永遠の昔から、ある人々を救いに選び(選び)、他の人々を罪の中に留め置く(遺棄)という教えです。
条項の構造分析
1. 神の主権的選択
「神の定めにより」—神の永遠で不変な意志
「イエス・キリストを通して」—救いの手段の特定
「神の栄光ある恵みへの賛美」—選択の最終目的
2. 神の義なる遺棄
「自らの罪の中で行動するままに放置」 —積極的な定罪ではなく、恵みの撤回
「正当な定罪」—罪に対する当然の報い
「神の栄光ある義への賛美」—神の義の属性の現れ
聖書的根拠の解釈
引用された聖句は改革派の解釈において
エペソ1:5-6:「愛をもって…子にしようと、…予定しておられた」
ローマ9:22-23:「怒りの器」と「憐れみの器」の対比
マタイ25:34:「世の初めから…用意された御国」
パティキュラー・バプテストの特徴
限定贖罪 —キリストは選ばれた者のためにのみ死なれた
信者のバプテスマ —浸礼による成人洗礼
会衆制教会政治 —各個教会の独立性
神学的議論と批判
支持する立場
神の絶対主権の強調
救いにおける神の恵みの純粋性
聖書の明確な教えとしての理解
批判的立場
神の愛と公正性への疑問
人間の責任と自由意志の問題
宣教への動機に与える影響
現代的意義
この教理は今日でも
改革派・長老派教会で維持
アルミニウス主義(メソジスト系など)との対立軸
福音主義内での継続的議論の焦点
牧会的考慮
信仰告白は学問的議論ではなく、教会の実践的指針として理解すべきです。この教理は信者に
救いの確かさへの慰め
神への深い感謝と畏敬
福音宣教への責任感
をもたらすことを意図しています。
この条項は改革派神学の論理的帰結であり、神の主権と人間の責任という緊張関係を保持しながら、神の栄光を最高の目的とする神学的枠組みを提示しています。
実践的意義
1689年ロンドン・バプテスト信仰告白第3章第3項が提示する予定論は、単なる神学的理論ではなく、信者の実際の生活に深い影響を与える教理です。この教えの実践的意義を理解するためには、個人の信仰生活から教会共同体、さらには社会との関わりまで、幅広い領域での影響を考察する必要があります。
個人の信仰生活における変革
この教理が個人の信仰生活にもたらす最も大きな影響は、救いの確信の強化です。救いが神の永遠の選びに基づいているという理解は、信者に状況や感情に左右されない確固たる安心感を与えます。日々の生活で罪を犯したり、信仰が弱くなったりしても、神の選びは変わらないという確信が心の支えとなります。これは「誰も神の手から奪い去ることはできない」という聖書の約束への深い信頼へとつながり、自分の行いや功績ではなく、神の恵みのみに依存する謙遜な姿勢を育みます。
祈りと礼拝の領域においても、この教理は信者の心を神の主権への深い畏敬と感謝へと向けます。「なぜ私が選ばれたのか」という驚きと感謝が礼拝の中心となり、自分の意志や努力ではなく、神の恵みへの完全な依存を学びます。これにより、祈りは要求や交渉ではなく、感謝と賛美の表現となっていきます。
教会での実践
教会においては、この教理は恵みの共同体としての自覚を強めます。教会員同士が「共に選ばれた民」としての強い結束感を持ち、社会的地位や能力ではなく、神の恵みによる平等性を強調するようになります。これは信仰共同体の特別性と聖別性の意識を高め、世俗社会とは異なる価値観に基づく共同体形成を促進します。
同時に、選ばれた民としてふさわしい生活への責任感が生まれ、罪に対する真剣な取り組みと悔い改めの重要性が認識されます。教会の聖性維持が共同責任として理解され、互いに励まし合い、戒め合う健全な教会規律が形成されていきます。
宣教と伝道への複雑な影響
宣教・伝道の領域では、この教理は両面的な影響を与えます。積極的な面では、神が選んだ人々を見つけ出すための福音宣教への使命感が生まれます。結果は神に委ね、忠実に福音を語る責任に集中でき、拒絶されても神の主権への信頼により落胆しない強さを得ることができます。
しかし一方で、「どうせ選ばれていない人には無駄」という消極的態度や、「神が時を定めておられる」という誤解による緊急性の欠如、人間の応答への軽視といった課題も生じる可能性があります。健全な宣教実践のためには、神の主権と人間の責任の両面を正しく理解することが不可欠です。
牧会実践における応用
牧会カウンセリングの場面では、この教理は救いの確信に悩む信者への明確な慰めの根拠となります。罪責感に苦しむ人に対して「神の選びは変わらない」という確信を伝え、信仰の弱さや疑いを持つ人への励ましの基盤を提供します。また、教会教育においては系統的な神学教育の重要性を強調し、聖書研究における神の主権の一貫した理解と、次世代への信仰継承における確信の伝達を促進します。
日常生活と社会倫理
職業倫理の面では、神に選ばれた者としての責任ある行動と、社会における証人としての自覚を促します。成功や失敗に一喜一憂しない安定した精神状態を養い、試練や困難も神の摂理の中にあるという信仰を通じて、究極的な希望への確信による忍耐力を身につけることができます。これは現世的成功への過度な執着からの解放をもたらし、より本質的な価値観に基づく人生を歩む助けとなります。
現代社会での意義と課題
現代の世俗化社会において、この教理は相対主義に対する絶対的真理への確信を与え、多元主義社会での福音の唯一性を主張する根拠となります。選ばれた民としてのアイデンティティを堅持することで、心理学的にも自己価値を神の選びに見出すことによる安定したアイデンティティ、他者との比較から解放された自由、永遠の視点からの人生観の形成が可能となります。
ただし、実践上は運命論的態度による人間の責任や努力の軽視、選民思想による他者への傲慢や排他的態度、神の主権を口実とした伝道の怠惰などの極端を避ける必要があります。健全な適用のためには、恵みへの感謝を動機とする積極的な信仰生活、神の栄光を目的とする奉仕と証し、聖書的均衡を保った神学理解が求められます。
この教理の真の実践的価値は、信者に深い安心感と使命感を同時に与え、神中心の人生観を形成することにあります。しかし、その恩恵を受けるためには正しい理解と適用が不可欠であり、牧会的配慮をもって教えられ、実践される必要があるのです。
バプテスト教会にとっての意義
1689年ロンドン・バプテスト信仰告白第3章第3項の予定論教理は、バプテスト教会にとって単なる神学的教えを超えた、教会のアイデンティティと実践を根本的に規定する重要な意義を持っています。この教理がバプテスト教会に与える特別な意味を理解するためには、バプテストの歴史的背景と独特な教会論を踏まえる必要があります。
バプテスト教会論における神の主権の確立
バプテスト教会にとって、この予定論教理は教会形成の根本原理を提供します。真の教会は神に選ばれた者たちの集まりであるという理解は、バプテストの「再生教会員制」の神学的基盤となっています。これは国教会制度や幼児洗礼による形式的教会員制度とは根本的に異なる教会観を確立し、真に再生された信者のみが教会を構成するという原則を支えます。
この理解は、バプテストが実践する信者のバプテスマと密接に関連しています。神の選びを受けた者が真の信仰を告白し、公に証しとしてバプテスマを受けるという一連の過程は、予定論的理解なしには十分に説明できません。浸礼による洗礼は、単なる儀式ではなく、神の永遠の選びが時間の中で現実化される瞬間として理解されるのです。
会衆制教会政治の神学的根拠
予定論教理は、バプテストの会衆制教会政治に深い神学的根拠を与えます。神に選ばれた信者たちの集まりである教会において、聖霊は各信者を通して働かれるという理解は、教会の意思決定を会衆全体の合意に委ねる制度を正当化します。監督制や長老制とは異なり、選ばれた民としての平等性と、各自に与えられた聖霊の導きを重視する姿勢が現れています。
しかし同時に、この教理は会衆制の限界をも明確にします。最終的な権威は神にあり、人間の意志や多数決が絶対的権威を持つわけではないという理解は、会衆制が民主主義的多数決とは根本的に異なることを示しています。教会の決定は、神の主権のもとで行われる選ばれた民の合議として位置づけられるのです。
個人主義と共同体性のバランス
バプテスト教会が重視する個人の信仰の自由と、選ばれた民としての共同体性は、この予定論教理によって絶妙なバランスが保たれています。各個人が神の前に直接立つという個人主義的側面と、共に選ばれた民としての一体感は、神の主権的選択という共通の根拠によって調和されます。
これは宗教的自由の擁護においても重要な意味を持ちます。バプテストが歴史的に主張してきた信教の自由は、神の主権的選びに基づく個人の良心の自由として理解されます。国家や教会権威が強制できない領域として、個人の信仰が神聖視されるのは、この予定論的理解があるからです。
宣教と教会成長への独特なアプローチ
バプテスト教会における宣教実践は、この予定論教理によって特別な性格を帯びます。数的成長よりも質的純潔性を重視する傾向は、神の選びという確信に基づいています。急速な教会成長よりも、真に再生された信者を慎重に受け入れ、丁寧な教育と訓練を通じて成熟した信仰共同体を形成することが重視されます。
同時に、神が選んだ人々を見つけ出すという宣教への情熱も生まれます。結果を神に委ねることで、人間的な説得術や世俗的魅力に頼らない、純粋な福音宣教への専念が可能となります。これは、しばしば他の教派が採用する成長戦略とは一線を画すアプローチを生み出します。
教会規律と聖性の維持
選ばれた民としての自覚は、バプテスト教会において厳格な教会規律の根拠となります。神の栄光ある恵みにふさわしい生活を送る責任は、単なる道徳的義務ではなく、選びの現実を証明する必要として理解されます。教会からの除名や戒規は、世俗的な処罰ではなく、真の選びを問い直す霊的プロセスとして位置づけられます。
この理解は、バプテスト教会が世俗化の圧力に対して比較的強い抵抗力を示す理由の一つでもあります。社会の価値観に合わせて教会を変革するのではなく、選ばれた民としての独自性を維持することが優先されるからです。
他教派との関係における位置づけ
この予定論教理は、バプテスト教会の他教派との関係においても重要な意味を持ちます。アルミニウス主義的バプテスト(フリーウィル・バプテスト等)との神学的相違を明確にし、同時に長老派教会との共通基盤を確認する役割を果たします。しかし、幼児洗礼の拒否と会衆制の維持により、完全な一致には至らない独自性も保持されます。
エキュメニカル運動に対するバプテスト教会の慎重な姿勢も、この教理と無関係ではありません。真の一致は外的組織の統合ではなく、神の選びに基づく霊的一致であるという理解が、安易な教派統合への警戒心を生み出します。
現代的課題への対応
現代社会において、この教理はバプテスト教会に独特な立ち位置を与えています。世俗的多元主義に対しては確固たる真理の主張を可能にし、宗教的相対主義に対しては福音の唯一性を堅持する根拠となります。同時に、政教分離の原則を通じて、政治的権力との適切な距離を保つ知恵も提供します。
また、現代の教会成長論や市場主義的教会運営に対する批判的視点も生み出します。神の主権的選びという確信は、人間的手法に過度に依存することなく、聖書的原則に忠実な教会運営を促進します。
継続する挑戦と機会
しかし、この教理はバプテスト教会に継続的な挑戦も提起しています。選民意識による排他性と傲慢の危険、宣教への消極的態度の可能性、社会的責任の軽視といった課題に常に向き合う必要があります。健全なバプテスト教会は、これらの危険を認識しつつ、予定論の真の精神である神への感謝と謙遜を保持し続けなければなりません。
同時に、この教理はバプテスト教会に大きな機会も提供しています。確固たる神学的基盤に基づく安定した教会形成、深い霊性を重視する信仰共同体の構築、世俗的価値観に流されない独自性の維持など、現代教会が直面する多くの課題に対する答えを見出すことができるのです。
1689年信仰告白第3章第3項の予定論教理は、このようにバプテスト教会のアイデンティティの中核を成し、その実践的活動のすべてに深い影響を与え続けているのです。
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