建築家は、設計が正解だったとどうやって知るのか。計算できること、建ってみないと分からないこと
先日、住宅の性能について書いた投稿に、こんな趣旨の質問をもらいました。
太陽を読み、風を読み、軒をつくり、窓を決めると言うけれど、それが正解だったのか、失敗だったのかを設計者はどうやって知るのか。工務店もハウスメーカーも設計事務所も、完成した家に住み続けるわけではない。住んでいる施主の感想も主観的なものだとすれば、設計が良かったことをいったい何で確認するのか。
かなり素朴な疑問ですが、実は設計という仕事のかなり本質的なところを突いていると思います。
例えば構造なら、ある程度は計算できます。柱や梁にどれだけ力が掛かるのか、地震に対してどの程度の耐力が必要なのかを数値で確認できる。断熱性能ならUA値を計算できます。日射も太陽高度や方位、周辺建物の影を入力すればシミュレーションできる。照度、暖冷房負荷、表面温度、結露、音についても、条件を設定すればかなりのところまで予測できます。
では、窓から見える一本の木が毎朝気持ちいいかどうかはどうでしょうか。天井を2250mmまで下げた小さな場所が本当に落ち着くのか。廊下を最短距離にせず、少し曲がった先に庭が見えるようにつくったことが、暮らしの中で意味を持つのか。午後4時に壁へ落ちる光を美しいと感じるのか。それを設計図の段階で100%証明することはできません。
ここで「結局、建築は感覚だから分からない」と終わってしまうと、設計という仕事はかなり頼りないものになります。一方で、すべてを数値化して「この値を満たしているから良い住宅です」とするのも違います。
実際の設計は、その間にあります。
計算できることは計算する。敷地で確認できることは確認する。図面や模型、CG、シミュレーションを使って予測する。過去につくられた建築から学び、自分がつくった建物を見返し、住んだ人の話を聞き、その結果を次の設計へ持ち込む。それでも最後まで分からない部分は残ります。
だから設計者に必要なのは、最初から正解を知っていることではありません。
不確実なものに対して、どこまで予測の精度を上げ、どこで判断するのか。
今回はそこについて書いてみます。
第1章 そもそも、建築に「正解」はあるのか
構造の正解と、居心地の正解は同じではない
「この設計は正解だったのか」と考える前に、そもそも何を正解と呼んでいるのかを分けた方がいいと思います。
例えば梁が必要な荷重に耐えられず破壊したのであれば、それはかなり明確な失敗です。雨漏りした。排水勾配が取れていない。必要な換気量が確保できていない。法規に適合していない。こういうものには、比較的はっきりした正誤があります。
ところが、「リビングの天井は2400mmと2700mmのどちらが正しいか」となると、急に答えがなくなります。
2400mmでも気持ちのいい住宅はあります。2700mmでも落ち着かない住宅はある。窓も同じで、幅3mの大開口が素晴らしい場合もあれば、幅600mm程度の小さな窓が、その家で一番好きな場所をつくることもあります。
ここでは性能が基準を満たしているかという「成立の正解」と、そこで人がどう感じるかという「空間の正解」が違います。
さらに住宅の場合、暮らし方も人によって違います。料理をしながら家族と話したい人もいれば、一人で集中したい人もいる。朝日を浴びたい人もいれば、朝は暗い方が落ち着く人もいる。外から帰った瞬間にリビングへ入りたい人もいれば、少し暗い玄関や廊下を通ってから明るい場所へ出る方が好きな人もいます。
同じ空間でも、住む人によって評価は変わります。
だから住宅設計には、「この寸法なら全員が快適になる」という一つの正解はありません。
ただし、正解が一つではないことと、何をしてもいいことはまったく違います。
窓の位置には理由がある。天井の高さにも理由がある。動線にも理由がある。その判断が、その敷地、その暮らし、その建物の条件に対してどれだけ妥当だったのかは検証できます。
建築には万能の正解はない。
でも、理由のある判断と、理由のない判断は分けられる。
私はまずそこから考えます。
「好きだった」という感想だけでも設計は評価できない
完成した住宅を見て、施主が「とても気に入っています」と言ってくれたら、設計者としてもちろん嬉しいことです。ただ、それだけで設計が正しかったと結論づけることもできません。
住み始めた直後は、新しい住宅そのものへの高揚感があります。以前の家より広い、明るい、暖かい、新しい。設備も新しく、収納も増えています。それだけで満足度はかなり上がります。
さらに施主自身が数年掛けてつくった住宅であれば、自分の選択を肯定したい気持ちも当然あります。反対に、設計者への遠慮から不満を言わないこともある。数値として回収したとしても、人の感想にはこうした要素が含まれます。
だから「施主が喜んだから成功」という評価だけでは少し足りません。
一方で、「施主の感想は主観だから当てにならない」と切り捨てるのも違います。住宅は人が暮らすためにつくっているので、その人が実際にどう使っているのかは非常に重要な情報です。
設計時にはダイニングとして想定していた場所を、住み始めるとほとんど使わず、窓際の小さな椅子でずっと過ごしているかもしれない。広くつくったリビングより、階段脇の小さなスペースの方が子どもの居場所になっているかもしれない。こちらが大切だと思っていた窓より、何気なくつくった小さな窓を毎朝開けているかもしれない。
こういう使われ方は、設計者にかなり多くのことを教えてくれます。
重要なのは、「好きですか、嫌いですか」と聞くだけではなく、実際にその住宅がどう使われているのかを見ることです。
第2章 計算できるものは、かなり多い
日射、温熱、構造は「感覚」で決める必要はない
建築家が「太陽を読む」「風を読む」と言うと、少し詩的に聞こえるかもしれません。でも、そのすべてを勘だけで決めているわけではありません。
例えば太陽の位置は計算できます。緯度と経度、季節、時刻が分かれば、そのときの太陽高度と方位角は分かります。周囲の建物の高さや窓の位置をモデル化すれば、冬至の午前10時に南側の窓へ日が入るのか、8月下旬の午後4時に西日が室内のどこまで入るのかもかなり正確に確認できます。
軒の出も同じです。「なんとなく900mm出した方が格好いい」というだけで決める必要はありません。夏の日射をどこまで遮り、冬の日射をどこまで入れたいのかを考えれば、必要な寸法の範囲が見えてきます。
温熱環境もかなり計算できます。UA値だけではなく、窓からの日射取得、換気による熱損失、内部発熱、暖冷房負荷などを計算できます。必要なら時間ごとの室温変化や表面温度をシミュレーションすることもできる。結露についても、壁体構成、温湿度条件、材料の透湿抵抗などから検討できます。
構造ならさらに明確です。建物重量、地震力、風圧力、耐力壁、柱や梁、接合部、基礎などについて、必要な性能を確認します。
つまり、建築家が「感覚で設計する」と言う場合でも、物理現象まで感覚で決めていいわけではありません。
西日が入るかどうかは好みではありません。太陽は決まった位置を通ります。梁が荷重に耐えられるかも好みではない。雨水が上から下へ流れることも好みではありません。
私は、計算できる領域については、できる限り計算や技術的な根拠を使った方がいいと思っています。
その方が、その先の感覚的な判断に集中できるからです。
ただし、計算結果は「答え」ではなく設計条件になる
ここで注意したいのは、シミュレーションをすれば設計の正解が出てくるわけではないことです。
例えば日射シミュレーションをして、「冬至の12時にこの窓から3mまで日射が入ります」という結果が出たとします。それは事実として非常に重要です。
では、その3mの日射を入れるべきなのでしょうか。
ここから先は設計です。
日射を入れれば冬の暖房負荷を減らせるかもしれない。一方で、大きなガラス面をつくれば夜間の熱損失は増える。晴れた冬の日には室温が上がりすぎるかもしれない。その場所に家具を置くなら眩しい可能性もあります。床材によっては強い日射で色が変わる。外から室内が見えすぎるかもしれない。
シミュレーションは、「日が入るから正解」とは言いません。
日がどのように入るかを教えてくれるだけです。
風も同じです。年間の卓越風向を調べれば、その地域で風がどちらから吹きやすいのかは分かります。必要であれば周辺建物まで含めて気流解析を行うこともできます。しかし、風が入ること自体が正解ではありません。
真夏に外気温35℃、湿度70%なら、その外気を積極的に室内へ入れることが快適とは限りません。一方で春や秋なら、同じ窓が非常に気持ちのいい風を通すことがあります。
計算が教えてくれるのは現象です。
その現象を住宅の中でどう使うのかは、設計者が判断します。
私はここを混同しない方がいいと思っています。
第3章 図面の段階で、どこまで完成した空間を予測できるのか
図面は建物そのものではない
設計者はかなり長い時間、まだ存在していない建物について考えています。
平面図を見ながら、ここを歩いたときに何が見えるのかを考える。断面図を見ながら、天井の高さと光の入り方を想像する。立面図を見ながら、外から建物を見たときの壁と窓の比率を考える。
慣れてくると、図面を見るだけでもある程度空間を想像できるようになります。
ただし、図面は建物そのものではありません。
平面図で910mmと書いてある通路が、実際に狭いと感じるのか、むしろ落ち着くのかは周囲の高さや明るさによって変わります。同じ2400mmの天井でも、10帖の部屋と30帖の部屋では感じ方が違う。壁に囲まれた2400mmと、大きな窓のある2400mmも違います。
寸法は同じでも、空間は同じではありません。
そこで模型、CG、VR、モックアップなどを使うことがあります。材料のサンプルを見る。実寸で壁の一部をつくる。現場で窓位置を仮に示し、そこから外を見る。こうすることで図面だけでは分からないものを少しずつ現実へ近づけていきます。
ただ、それでも完成した建築そのものにはなりません。
模型には本当の光がありません。CGには画面の外がない。VRを見ても、自分の身体が実際の床に立っている感覚とは違います。材料サンプル50mm角と、10m続く壁も同じには見えません。
だから設計には最後まで予測が残ります。
重要なのは、その予測をゼロにすることではなく、予測しなければならない範囲をできるだけ小さくすることだと思っています。
寸法を知っていることと、寸法を感じられることは違う
設計者が経験を積む意味の一つは、図面上の数字と実際の身体感覚が少しずつ結びついていくことです。
天井高2100mm、2200mm、2400mm、2700mm、3000mm。その数字を知っているだけなら誰でも表を見れば分かります。でも、幅1800mm程度の小さな場所で2100mmがどう感じるのか、6m四方の空間で2100mmにしたらどうなるのか、窓際だけ高さを落としたときに身体がどこへ引き寄せられるのかは、数字を覚えただけでは分かりません。
窓も同じです。床から窓台まで300mm、450mm、700mm、1100mm。それぞれの寸法で外の見え方が変わります。椅子に座ったとき、床に座ったとき、立ったときにも違う。窓の高さだけではなく、外部の地面が室内床より何mm下がっているかでも景色の切り取られ方が変わります。
こういうものは、実際の建築を何度も見ることで身体に蓄積されていきます。
だから建築を見ることには意味があります。
有名建築だけではありません。ホテル、喫茶店、友人の家、古い民家、寺院、病院、学校。そこで「この場所はなぜ落ち着くのだろう」と思ったら、天井高さを見る。壁までの距離を見る。窓の高さを見る。光がどこから来ているのかを見る。
逆に落ち着かなかった場所も見ます。
その経験が少しずつ、図面から空間を予測する精度へ変わっていきます。
設計者の経験とは、単に「何棟建てました」という数ではないと思っています。
見た空間と、自分の身体で感じたことと、その理由を結びつけて蓄積できているか。
そこにかなり差が出ます。
第4章 設計者の「感覚」は、根拠のない勘とは少し違う
感覚の中には、言語化されていない経験が大量に入っている
設計をしていると、図面を見た瞬間に「これは少し広すぎる」「この窓はもう100mm下げたい」「ここは壁があった方がいい」と感じることがあります。
その瞬間には、理由を完全には言葉にできないこともあります。
だから外から見ると、「建築家が感覚で決めた」と見えるかもしれません。
でも、その感覚の中には過去の経験がかなり入っています。
以前つくった窓が思ったより高かった。ある住宅の廊下を900mmにしたら、長さとの関係で狭く感じた。別の建物では750mm程度でも片側が開いていたため全く窮屈ではなかった。天井と窓上端を揃えたら光が思っていた以上に天井面へ回った。庭との高低差を150mm変えただけで、椅子に座ったときの景色が良くなった。
一つ一つは小さな経験です。
それが何百、何千と積み重なると、図面を見たときに違和感として先に出てくることがあります。
これは構造設計者や現場監督、職人にもあります。図面を見て「この納まりは危ない」「この順番では施工できない」とすぐに気づく。最初からすべてを数式で考えているわけではありません。
経験によって形成された判断です。
ただし、「私は感覚で分かるから説明しなくていい」となった瞬間に危険になります。
違和感を感じたら、なぜそう思ったのかをもう一度考える。寸法なのか、光なのか、構造なのか、施工なのか。必要なら計算する。模型をつくる。現場で確認する。
感覚を出発点にはしても、感覚だけを根拠にはしない。
私はこの距離が大切だと思っています。
良い設計者は「当てる人」ではなく、外した経験を残している
設計者の経験というと、成功した建築の蓄積を想像しがちです。
でも実際には、外した経験の方が強く残ることがあります。
想像していたより暗かった。庇をもう少し出した方がよかった。窓が50mm高かった。収納扉を開けたときの圧迫感が予想以上だった。材料の色が大きな面になるとサンプルより明るく見えた。音が想像以上に回った。
完成して初めて分かることがあります。
そのときに「まあ施主も満足しているからいい」と終わるのか、「なぜ予測と違ったのか」を考えるのかで、次の設計が変わります。
私はここがかなり重要だと思っています。
設計者は、すべてを当てられる人ではありません。
むしろ、自分の予測が外れたとき、それを覚えている人の方が強い。
同じ失敗をもう一度しない。その代わり、次は少し違うところまで踏み込める。
設計の精度は、成功だけでは上がりません。
予測と現実のズレを見つけ、それを次の判断へ戻すことで上がっていきます。
第5章 完成した建物を、設計者はどう検証するのか
建ってすぐに分かることと、数年経たないと分からないことがある
建物が完成すると、図面の中にしかなかったものが初めて現実になります。
この瞬間に分かることはかなりあります。
光の入り方。窓の高さ。部屋の大きさ。天井との距離。材料の見え方。音の響き方。庭とのつながり。玄関から入ったときに最初に何が見えるか。図面で何度も想像していたものが、実際の身体感覚として確認できます。
ただ、住宅の設計が本当に分かるのは、完成直後だけではありません。
夏を一度越えなければ西日の本当の厳しさは分からない。冬を経験しなければ窓際の冷え方は分からない。梅雨にならなければ湿気の感じ方も分からない。植栽は数年経って初めて建物との関係ができてきます。
木も変わります。金属も変わる。左官も汚れます。床には傷が付く。子どもが成長すれば家具配置も変わります。
住宅は完成した日の状態で止まりません。
だから私は、完成写真だけを見て設計の成否を判断することには限界があると思っています。
写真では美しかった床が、実際には傷を気にしすぎて住む人が疲れているかもしれない。完璧に収納されたキッチンが、数年後には生活の変化に追いつけなくなっているかもしれない。逆に完成時には少し地味だった素材が、5年後に非常にいい表情になっていることもあります。
設計を評価するには、時間が必要です。
施主の言葉より、暮らし方そのものを見る
完成後に施主へ「住み心地はいかがですか」と聞くことは大切です。
でも、それ以上に面白いのは、実際にどう暮らしているかを見ることです。
設計時にはリビング中央に大きなソファを置く予定だったのに、実際には窓際に小さな椅子を置いてそこで過ごしている。ダイニングテーブルを想定していた場所が子どもの勉強場所になっている。大きくつくった収納より、玄関脇のわずかな棚が一番使われている。
こういうことは、設計者が予想していなかったとしても失敗とは限りません。
むしろ住宅が住む人に使い方を許しているという意味では、良いこともあります。
一方、毎朝必ず遠回りしなければ洗濯できない。使いたい場所に収納がなく、いつも床に物が置かれる。西日のために夏は午後からカーテンを閉めっぱなしになる。窓を開けたくても隣家から丸見えなので開けられない。
こういう状態が続いているなら、設計時の判断に改善できる部分があった可能性があります。
重要なのは、施主が設計者の意図通りに暮らしているかではありません。
その住宅が、住む人の生活を無理に縛っていないか。
私はそこを見る方が大切だと思っています。
第6章 正解を確認できないからこそ、住宅には「余白」が必要になる
30年後の暮らしを当てるのではなく、予測が外れても成立するようにつくる
住宅設計で難しいことの一つは、建物の寿命と、人の暮らしが変化する速度がまったく違うことです。住宅は30年、50年、それ以上使われる可能性がありますが、そこで暮らす人の生活は数年単位でも変わります。今3歳の子どもは15年後には高校生になり、その数年後には家を出ているかもしれない。夫婦の働き方も変わり、在宅勤務が増えるかもしれないし、逆になくなるかもしれません。趣味も変わり、家具も家電も入れ替わります。親との同居や介護が必要になる可能性もあります。
こうした未来を設計時にすべて予測することはできません。それでも住宅設計では、ときどき「現在の生活をどれだけ正確に図面へ写し取れるか」が設計の精度であるかのように考えられることがあります。洗濯機から物干し場まで何歩、冷蔵庫からシンクまで何歩、帰宅してバッグをここへ置き、そのまま洗面へ行き、ファミリークローゼットを通ってリビングへ入る。現在の生活に対しては非常に合理的ですが、その生活が変わった瞬間に、住宅の側が人へ同じ行動を要求し続けることがあります。
造作家具も同じです。現在持っているテレビの寸法にぴったり合わせ、冷蔵庫の幅に数cmのクリアランスだけを残し、特定の家電のためだけに棚をつくれば、完成時には非常に整って見えます。しかし家電は住宅より早く変わります。次に買う冷蔵庫の幅が50mm大きいだけで入らなくなるかもしれない。テレビを置かなくなれば、そのためにつくった大きな造作だけが残ります。
だから私は、将来の暮らしを正確に予測することを設計の目標にはしません。むしろ、未来の予測が外れたときにも住宅が破綻しない状態をつくることの方が重要だと思っています。
これは「何も決めない」ということではありません。現在の生活はきちんと読み、その家族に必要な場所をつくります。ただ、現在の行動だけに建築を固定しすぎない。例えば一つの用途しか持てない造作を増やしすぎず、家具を置き替えられる壁を残す。子ども室も、現在必要な部屋数だけを見るのではなく、将来仕切る、つなげる、別の用途へ変える可能性を考える。設備についても、機器そのものの寿命より建築の寿命の方が長いことを前提に、更新できる納まりを考える。
設計とは未来を当てることではありません。住宅が長く使われることを考えるなら、当たらない可能性まで設計しておくことが必要になります。
余白とは「何も設計しない場所」ではない
ただし、「将来のことは分からないから自由に使える大きな箱にしておけばいい」という話でもありません。何も決めなければ何にでも使えるかもしれませんが、その場所が住宅として気持ちいいとは限りません。建築には必ず決断があります。窓をどこにつけるのか、壁をどこまでつくるのか、天井をどの高さにするのか、どこを明るくし、どこを少し暗くするのか。そうした判断を放棄してつくられた空間を、私は余白とは呼びません。
例えば1800mmほどの何もない壁があります。設計時には特別な用途を与えていなくても、そこには本棚を置くことができ、机も置ける。絵を掛けることもできるし、十年後には全く違う家具を置くこともできます。ただし、その壁の前に家具を置ける奥行きがあり、動線を塞がず、コンセントなども使いやすい位置にあって初めて、その余白は機能します。単に余った壁ではありません。
廊下も同じです。最短距離だけを考えれば不要に見える幅や長さが、家の中で少し立ち止まる場所になったり、本を置いたり、窓から外を見る場所になったりすることがあります。反対に、単に余った空間として残された広い廊下は、面積を消費するだけかもしれません。余白には、余白として成立するための寸法と場所があります。
つまり、余白とは設計をしないことではなく、用途を一つに固定しすぎないように設計することです。現在の暮らしに対しては十分に具体的でありながら、その使い方から少し外れても建築が受け止められる。その程度の緩さを残しておく。
私は、住宅を長い時間で考えるなら、この「決めること」と「決めすぎないこと」の境界も設計者の重要な判断だと思っています。
第7章 建築家によって「正解」が違うのは、なぜなのか
同じ敷地と同じ家族でも、設計者が変われば住宅はまったく変わる
同じ敷地、同じ家族、同じ予算、同じ法規条件を10人の建築家へ渡したら、おそらく10種類の住宅ができます。構造計算や法規のように、同じ条件を入力すればある程度同じ方向へ収束するものもありますが、間取り、窓、天井、庭との関係になると大きく変わります。
これは建築に正解がないから適当に決めている、ということではありません。設計者によって、何を重要な条件として読み取るのかが違うからです。道路から敷地へ入ったときの奥行きを強く感じる人もいれば、南側の樹木を最も重要な条件と考える人もいる。家族が常に同じ場所にいることを大切にする設計者もいれば、それぞれが少し離れて過ごせることを重視する設計者もいます。構造の単純さを強く優先する人もいれば、多少構造的な工夫をしてでも特定の空間をつくろうとする人もいる。
つまり設計者によって違うのは、単なる「好み」だけではありません。何を問題として発見し、何を重要だと判断するのかという評価軸そのものが違います。
例えば南側に非常に美しい庭がある一方で、西側にも遠くの山が見える敷地があったとします。ある設計者は南庭との連続性を優先して大きく開き、西側は日射負荷を考えて閉じるかもしれません。別の設計者は、西日の問題を外部遮蔽で処理したうえで、夕方の山を切り取る小さな窓をつくるかもしれない。どちらも物理的に成立し、生活上の問題もなければ、一方だけが正解とは言えません。
それでも、設計の質に差がないわけではありません。敷地条件をどこまで読んでいるのか、その判断が家族の暮らしとつながっているのか、構造や温熱環境と矛盾していないか、窓一つの判断が建物全体の考え方と整合しているか。こうした部分にはかなり差があります。
私は、良い設計とは「誰が見ても同じ答えになる設計」ではなく、その住宅に固有の条件から始まった判断が、細部まで矛盾なくつながっている状態なのだと思っています。
良い建築家とは、正解を持っている人ではなく判断の精度が高い人
では、良い建築家とは何なのか。これは非常に難しい問いですが、私はその一つに「判断の精度」があると思っています。
住宅設計では、大きなコンセプトを一度決めれば終わるわけではありません。この窓を100mm上げるのか下げるのか、この壁を300mm伸ばすのか、天井を2400mmにするのか2200mmまで落とすのか、軒を600mm出すのか900mm必要なのか、ここに収納をつくるのか壁として残すのか。設計はこうした小さな判断の連続です。
一つ一つを取り出せば、大した差に見えないこともあります。しかし完成した住宅では、その数百、数千の判断が同時に存在します。窓の高さが少し違うだけで視線の抜け方が変わり、壁が300mm長いだけで落ち着く場所ができる。天井を200mm下げたことで隣の空間が相対的に大きく感じられることもあります。一方、一つ一つの判断が少しずつずれていれば、図面上では成立していても、完成したときに妙に落ち着かない住宅になることがあります。
こうした判断のすべてを数式で解くことはできません。しかし完全な勘でもありません。身体寸法、構造、光、材料、施工、家具、過去に見た建築、自分が以前つくった住宅での経験。そうしたものが判断の背景にあります。
だから私は、良い設計者を「面白いアイデアを思いつく人」だけでは捉えません。もちろん発想も重要ですが、それ以上に、何百という小さな判断を高い精度で積み重ねられることが住宅には効いてくると思っています。
完成したときに、一つのディテールだけが目立つわけでも、奇抜な形があるわけでもない。それでも、なぜかそこにいると落ち着く。そういう住宅には、表面には見えない大量の判断が積み重なっています。
第8章 設計は、科学か感覚かという二択ではない
計算できるところまで感覚で決める必要はない
建築を考えていると、「性能かデザインか」「理屈か感覚か」という二択がよく出てきます。私は、この分け方自体が少し不思議です。
構造には物理があります。断熱にも物理があります。雨水は重力に従って流れ、熱は温度差によって移動し、水蒸気も条件によって材料や隙間を移動します。必要な耐力が足りない梁を「この方が美しいから」という理由で細くすることはできませんし、雨が入りやすい納まりを感覚だけで成立させることもできません。
だから計算できるものは、できる限り計算した方がいい。確認できることは確認した方がいい。私はそう思っています。
一方で、構造的に成立し、UA値も高性能で、日射取得も計算上適切で、必要換気量を満たしている住宅が、そのまま良い住宅になるわけではありません。そこから先に、窓をどこに置くのか、その窓から何を見るのか、どこに人が座るのか、天井をどこで下げるのか、壁をどこまで残すのかという判断があります。
例えば日射解析を行えば、午後3時にどこまで日が入るのかは分かります。しかし、その光が床へ落ちる方がいいのか、壁へ当てた方がいいのか、その時間にその部屋を誰が使っているのかまでは計算結果だけでは決まりません。温熱解析によって窓面積の影響を数値化できても、そこから見える景色の価値をW/㎡で表すことはできません。
だから設計では、科学的な情報と感覚的な判断が順番につながっています。
計算できるものを計算することで、感覚で判断しなければならない領域を明確にする。
私はその方が健全だと思っています。
性能値は答えではなく、判断するための条件になる
これは、以前書いた住宅性能の話ともつながります。UA値が小さいことには意味があります。C値が小さいことにも意味がある。耐震等級も高い方が構造性能としては明確に上です。
ただ、その数字は住宅全体の答えではありません。
例えば窓を小さくすればUA値は良くなりやすい。一方で、その窓から得られる冬の日射や景色を失う可能性があります。窓を大きくすれば景色は広がるけれど、熱損失や夏の日射負荷も増える。外付け遮蔽を入れれば熱負荷は減るけれど、コストと外観への影響が出る。
このとき、計算が「窓を幅1200mmにしなさい」と答えるわけではありません。1200mmにした場合と1800mmにした場合で何が変わるのかを教えてくれるだけです。
最後は、この住宅ではどちらを選ぶのかという判断が残ります。
住宅では、単位の違う価値が何度も衝突します。性能と景色、広さと落ち着き、便利さと余白、初期費用と耐久性、現在への最適化と将来の変更可能性。これらを一つの数値へ換算して、自動的に順位を付けることはできません。
だから私は設計者の役割を、計算の代わりをする人だとは考えません。計算や技術によって分かることを整理したうえで、異なる価値のどこに線を引くのかを決めることが設計者の仕事だと思っています。
第9章 設計が正解だったかは、完成した瞬間にも分からない
住宅は竣工写真を撮った日に完成するわけではない
建物が完成し、施主が引っ越し、竣工写真を撮る。その時点で設計の評価がすべて決まれば分かりやすいのですが、住宅はそういうものではありません。
完成直後に分かることはたくさんあります。天井高さが想像していた通りなのか、窓から景色がどう切り取られるのか、光が床や壁にどう当たるのか、材料が大きな面になったときにどう見えるのか。図面や模型で考えていたものを、初めて自分の身体で確認できます。
ただ、夏を越えなければ西日の厳しさは分かりません。冬にならなければ窓際の冷え方も分からない。梅雨にならなければ湿気の状態を確認できないこともあります。庭木が成長するまで数年掛かりますし、木材や左官、金属などの素材がどう古くなるのかはさらに長い時間が必要です。
生活そのものも変わります。引っ越した直後には広く感じていた収納が、数年後には物でいっぱいになるかもしれない。逆に、設計時には重要だと思っていた部屋がほとんど使われず、想定していなかった窓際が家族の一番好きな場所になることもあります。
だから完成写真だけで「この住宅は成功した」と判断することには限界があります。
写真は建築のある瞬間を切り取りますが、住宅はその後何十年も使われます。私は、完成時の美しさだけでなく、生活や時間が建築へ入ってきたあとも、その判断が成立しているかを見る必要があると思っています。
予測と現実のズレを、次の設計へ戻せるか
完成した建物を見ると、自分の予測がかなり正確だったところもあれば、少し違ったところもあります。光が想像以上に深く入った。窓が50mm高かった方がよかった。壁の色が小さなサンプルで見たときより明るく感じる。音が思っていたより隣室へ回る。庭との高低差がもう少し小さければ、座ったときに地面との距離が近かったかもしれない。
設計者なら、こういうズレは必ず経験すると思います。
重要なのは、そこで「まあ悪くないからいい」と終わるか、なぜ予測と違ったのかを考えるかです。
例えば思ったより室内が暗かったのであれば、単純に窓面積が小さかったのか、庇が深かったのか、外部の壁が光を遮っていたのか、内装材の反射率が低かったのか。原因を分解すると、次に似た条件の住宅を設計するときの判断が変わります。
これは施主の感想についても同じです。「快適です」という一言だけではなく、どこで過ごしているのか、どの窓をよく開けるのか、どの収納を使っていないのか、家具がどのように動いたのかを見る。その使われ方から、設計時には見えていなかったものが分かることがあります。
私は、設計者の経験とは完成した棟数だけではなく、自分の予測と完成後の現実をどれだけ照合してきたかでも変わると思っています。
第10章 建築家は、設計が正解だったとどうやって知るのか
正解を証明するのではなく、予測の精度を上げ続ける
最初の問いに戻ります。建築家は、設計が正解だったとどうやって知るのか。
結論から言えば、完成前に100%知る方法はありません。しかし、それは建築家が何も分からない状態で感覚だけを頼りにつくっているという意味ではありません。
日射は計算できます。構造も確認できます。温熱環境もある程度予測できます。雨水がどう流れるのかも考えられます。敷地へ行けば、隣家の窓、道路、樹木、土地の高低差を見ることができます。設計段階では図面、断面、模型、CG、シミュレーション、材料サンプルなどを使い、まだ存在していない建物をできる限り具体的に予測します。
そのうえで、最後まで計算では決められない部分が残ります。窓から見える木をどの程度切り取るのか、天井をどこまで下げれば落ち着くのか、少し遠回りする動線に意味があるのか。その部分については、過去に見た建築、自分がつくった建物、身体感覚、施主との対話を使いながら判断します。
そして建ったあとにもう一度確認する。予測と同じだったもの、違ったものを見て、その理由を考える。それを次の設計へ戻す。
設計者の能力は、この循環の中で少しずつ変わります。
最初から正解が見えるようになるわけではありません。むしろ経験を積むほど、どこまでならかなり予測でき、どこから先は不確実なのかが見えるようになる。その境界を理解していること自体が、設計者にとってかなり重要だと思っています。
良い設計者とは、不確実な部分まで判断できる人
私は、良い建築家とはすべての答えを知っている人ではないと思っています。そんな人はいません。
重要なのは、何が分かっていて、何がまだ分からないのかを区別できることです。計算できるものを「感覚です」で済ませない。逆に、人の感覚や暮らし方のように数値だけでは決められないものを、性能値一つで説明したことにもしない。
自分が経験したことのない材料なら、メーカーや施工者へ確認する。新しい納まりなら、施工順序まで考える。光の入り方に迷えば模型やシミュレーションを使う。それでも最後まで複数の選択肢が残れば、自分の経験と感覚を使って判断する。
住宅設計は、こうした判断が何百、何千と積み重なってできています。一つの判断だけを見れば100mm、200mmの違いかもしれません。しかし、その小さな判断が空間全体では大きな差になります。
だから設計者の価値は、一つの絶対的な正解を知っていることにはありません。
不確実なものに対して、分かることをできるだけ増やし、間違う可能性を減らし、それでも最後に残った部分を判断として引き受けられること。
私はそこにあると思っています。
建築には、完成するまで分からないことがあります。完成してもまだ分からず、5年、10年、20年と使われて初めて見えてくることもあります。それは設計が曖昧だからではありません。人が暮らし、季節が変わり、材料が古くなり、周囲の環境まで変化するものを扱っているからです。
だから、絶対の正解がないことを「何をしてもいい」という理由にはできません。むしろ、未来を完全には知れないからこそ、確認できることは確認し、計算できることは計算し、過去の建築から学び、自分の失敗も忘れず、一つ一つの判断に理由を持たせる必要があります。
絶対の正解がないからこそ、一つ一つの判断を適当にしてはいけない。
私は、それが「建築家は設計が正解だったとどうやって知るのか」という問いに対する、一番近い答えだと思っています。
