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PC88、X1、FM7他 素晴らしきMSXのライバルと愛すべきPC少年達

時は1985年、日本の8bitパソコンは全盛期を迎えようとしていました。各メーカーが威信を賭けて投入する最新鋭マシンに忠誠を誓うパソコン少年たち。愛機を溺愛するあまり奇行に走る彼らは、当時最も尖ったオタク勢力とも言えました。

今回は時代の覇を争った素晴らしきMSXのライバルたちと、愛すべきパソコン少年という魑魅魍魎ついて綴ります。

なお今回は連載中の『MSX物語』第⑥話にになります。

★注意‼️多数のレトロパソコンが登場しますが、それらの批評は全て僕の個人的感想です。今回は1985年のMSX信者小学生のテンションで綴っているため、ご不快に感じる方がおりましたら陳謝いたします🙇

「すべてのパソコン少年 すべてのマシンに祝福を!」
(BY東本昌平先生)

全てのパソコンはユーザーにとって最高マシンであり、そこに優劣は全く存在しないのです😉

★僕の所持品以外、明記のない資料はヤフオクやアマゾン、海外のまとめサイトなどからの転載となります。ご了解下さい🙇


今回の舞台、僕が秋にMSXを入手した1985年12月頃のパソコン雑誌の表紙です。どれも懐かしいなあ。

1985年11月に南新宿で行なわれた「MSXありがとう100万台キャンペーン」の会場にあった巨大恐竜。そのあまりのバブルっぷりに来日したビル・ゲイツがキレたという噂が…

ログインはRPGを強烈に推していました。ウルティマ作者ロード・ブリティッシュ氏とウィザードリィ作者ロバート・ウッドヘッドの仲良しコンビはよく誌上に登場してましたね。


麗しの本田 美奈子ちゃん


質問があったので…1985年デビューのアイドル山口かおりさん。


やはり人気絶頂期の本田美奈子ちゃん












折角なので同時期のアニメ雑誌も😅





❶中二病全開!選ばれしパソコン少年

『ゲームセンターあらし』によって大人気となったデジタルゲームは、またたく間に全国の小学生に浸透していきました。そして稀代の名著『こんにちはマイコン』によってパソコンに憧れ、ゲーム小僧からパソコン少年へのクラスチェンジを試みようとせんとする勇者は跡を絶たなかったのです。

しかし小学生にとってパソコンは高価過ぎるということも残酷な現実でした。当時最も人気だった『PC-8801mkIISR』の定価は258,000円。これに専用ディスプレイを合わせて購入すると30万円を軽く超えることになります。NECは強気の価格設定で、ショップでも割引してくれないことで有名でした。僕の父がNECの直営店で価格交渉しようとしたら「そういうのはよそでやって下さい。」とむげなく断られたそうです。


ホビーパソコンの代名詞『PC-8801mkIISR』
MSXユーザの僕にとって宿敵とも言える存在ですが、なんだかんだ言って日本の8bitパソコンを代表する名機だったと思います。



14インチの専用のディスプレイが、これがまたクソ高いんですよ。


1985年3月の入学セール。セットで40万超えですよ。しれっとPC-8801mkIIとSRが一緒に販売されているのが恐ろしいです。理由は後述。
1985年5月の広告。値段を見て8bit御三家とMSXの格差を感じて下さい。

加えて家庭用ゲームより高額なゲームソフトや周辺機器も揃えると天文学的価格に。パソコンでちょっと面白そうなことをしようとすると、長州力ばりに「目ん玉飛び出る」ハメになるのでした。ちょっと1985年頃のパソコン周辺機器の恐ろしさを紹介しましょう。


絵を描くなら必須のマウスが、CGソフトとセットとは言え29800円ですよ!こうした梱包ソフトはまるで使えないのもお約束でした。


トラックボールは24800円ナリ。
ペンタブレット型デジタイザが10万円を切る価格で登場!
確か白黒で、後でCGツールで色彩します。


それじゃあスキャナーだ!となると、これまた10万円近くのお値段。
これも当然白黒なんですが、それならカラーのCGを広告に使用すんなよ!😁


そのため小型のハンドスキャナーで取り込むのが一般的でした。凄い使いづらそうですね。そのため安価な方法として、サランラップを使用するラップスキャンが主流になりました。原始的ですが90年代まで現役だった手法で、これについては以前の特集を参考にして下さい。


手頃な価格のスキャナーは正確に定規で計りながら、分割してスキャンしなければならないので超非効率でした。このタイプは1画面に18回のスキャンが必要、しかも白黒です。所要時間が3-4分ということは合計すると…


1985年音楽系パソコンショップの広告。
MIDIなどにも興味がありましたが、高すぎて手が出なかったです。


MSXはヤマハの音楽機器が充実してましたがシンセもリズムマシンも本体以上の価格


ヤマハの伝説的シンセサイザー「DX7」MSXの「CXシリーズ」はデザインが統一されていて、メチャカッコよかったです。秋葉原のイシバシ楽器店のデモ演奏を聞いて超絶憧れました。



1985年ではまだ記憶装置としてカセットテープが使用されていましたが、本格的な運用ではフロッピーディスクが使用され始めていました。追加外付けタイプは専用ケーブルや機種ごとのインターフェイスも含めて15万円近くします。


まだまだ普及には至りませんでしたがハードディスクも登場しています。
しかし30MBで1296000円ですよ!車が買えるじゃん。


パソコンを買う時の常套手段として「ワープロにも使えるよ!」ってのが定番でしたが、低価格プリンターでさえMSX本体と同じぐらいの値段がしました。本格的なものだと10万円近くします。


読者葉書でプリンター出力のアスキーアートで描かれたラムちゃん。
プリンターの使い方を間違ってるよ!😁


じゃあ大人しくゲームで遊ぶかと言っても、このク●みたいなジョイスティックが1万円近くするんです。このヘンテコなジョイスティックに関しても以前特集しました。

これらがどれぐらい法外な値段なのか、当時の小学生の買い物でちょっと比較してみましょうか。

まず缶ジュースが100円だった時代です。これは1987年の広告なんですが、350mlのガラス瓶タイプが懐かしいですね。僕はパソコン少年になってからは常に金欠で、まともに缶ジュースの飲んだ記憶がないくらいです。友達の家で出して貰えた時は最後の一滴まで堪能してました。


最も低価格な小学生ホビーが食玩でした。この『ビッグワンガム』は本格的なプラモデルがついて何と100円ですよ!何と贅沢にもシールまで付属していました。あの薄っぺらい味気ないガムが一番安っぽかったですね。最も当時から「玩具が本体、菓子がおまけ」って言われてましたが…150円のDELUXEタイプやボトムズガム、ダグラムガムも人気でした。このCMカッコ良すぎます!


1984年のイベント。貧乏な僕は爪切りでやってました。


『ビッグワンガム』のラインナップはかなり充実していて、軍用民用問わず陸海空を全て網羅してました。果ては拳銃やトランスフォーマーまでも。


ビッグワンガムの前身1977年の『F.1ガム』はおまけ付きで50円ですよ!ヤバすぎ。


ダグラムガムの箱。かっけえ!穴が空いていて中身が解るのがありがたかったです。


ボトムズガムはかなりバリエーションが豊富。ベルゼルガがあるのが嬉しかったです。




小学生最大のキラーコンテンツであるガンダム。これを最も安く楽しめたのが『森永ガンダムチョコスナック』でした。ちっちゃいけれどBOXアートがメチャカッコいいんですよね!これは本家バンダイのガンプラをも超えてました。さらに膨大なモビルスーツが網羅されていて収集意欲を掻き立てましたよ。ただビッグワンガムと違って中身が確認できないので

😖「ああ、またジュアッグかよ…」

てな悲劇もしばしば。ガンプラブーム全盛期はお菓子売り場の棚が空っぽになるほど人気で、近所のスーパーを何件もハシゴしていました。



小学生にとって最も一般的な娯楽はマンガだったと思います。1985年の週刊少年ジャンプが170円、てんとう虫コミックス『ゲームセンターあらし』は一冊360円、消費税なぞという邪悪なものがない良い時代でした。


僕はジャンプ黄金期の直撃世代ですが、1度も購入した記憶がありません。あらゆる所に転がっていたので学校や電車の棚、駅のゴミ箱などを漁ってタダで読んでました。


こっちは全巻意地で揃えましたよ!

もう一つ手頃な趣味の代表格がいわゆるガンプラ。1/144スケールが300円、1/100スケールが700円、ちょっと高級なタイプでも1000円ですから、毎月買って貰うことも可能だったと思います。ガンプラについてはまたいずれ…下手の横好きでやたら作ってました。





1985年のラインナップ

当時クリスマスや誕生日のお祝いで買ってもらう高級おもちゃの代表格が電子ゲーム。これは5000円前後でしたが、購入したら1年間はずっと遊び倒してました。



ここにファミコンを筆頭とする家庭用ゲーム機が台頭してくるのですが、本体価格が14,800円、実売価格はもう少し安かったでしょうか。各種ゲームは約5000円。これでも当時はかなり高額な玩具だっったと思います。これは前回の『83年ファミコンに挑んだゲーム機列伝』で特集しましたが、1984年8月の記事が見つかったので簡単におさらいしますね。



MSXは本格的パソコンと家庭用ゲーム機の中間ぐらいの扱い。 「クズもままある中から…」なんて本当の事…アワワ、デマを流すんじゃないよ!😁





ですから5万円前後のMSXでさえ奇跡的に入手することが出来た小学生は、まさに「選ばれし者」だった訳ですよ。僕は東京が実家だったのですが、クラスで僕以外のパソコンユーザーは幼馴染のFM7くんただ一人でした。翌1986年になると中学校の進学祝いで購入してもらった連中がどっと増えましたが、それでもクラスに数人程度だったと思います。僕の学校は10クラス編成で1学年500人というマンモス校でしたが、パソコンやってる奴は何かしら顔見知りという狭い世界でした。ちなみに全員野郎ばっかりです😁

その後ネットやSNS時代になって色々お話を聞くと、地方では「😢学校にパソコンユーザーが自分一人しかいなくて寂しかった。」なんて話も聞きました。ここら辺はかなり地域差があるとは思うのですが、パソコンがまだマイナーな趣味だったことは間違いないと思います。

また中二病全開だったことも相まって、パソコンを持ってるだけでイカれた選民思想に浸るのもパソコン少年あるあるでした。以前も紹介したんですが、この1985年7月の『SHARP X1F』のCMを見てくださいよ。永遠の憧れであるラムちゃんについて熱く語るメガネくんや、ドヤ顔で意味不明の宇宙語を喚き散らすイケメン少年が最高です🤣しかし冷静に考えてみるとシャープの広報が公式に「ユーザーをこういう連中」と捉えていたわけで、当時のパソコン少年がいかに狂っていたかの証明であると思います。


憧れのラムちゃんの隣でご満悦のX1ユーザー。PC少年のイカレぷりを表現した1枚です。X1のスーパーインポーズ機能には憧れましたね。


まさに中二病を極めし者。
これだから女の子にドン引きされて怖がられるハメになるんですよ😁


X1Fの広告はF1をイメージしたカッコいい構図なのに…

AI様にに中二病について質問した所

●中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びした言動や「自分は特別だ」と思い込む心理状態

●「自分には特殊な能力や宿命がある」と本気で思い込む。

●世の中のすべてを知ったような顔をしたり、人と違うマイナーな趣味を好んでアピールする。

全部当時の僕にドンピシャじゃないですか!でも確かにMSXを初めて入手できた晩、布団の中で

🤩「MSXを極めて世界征服だ!」

と妄想した時の高揚感は、52年の人生の中で最高の時でした。究極のマジックアイテムを入手したような気分で「今からとんでもない冒険が始まる!」というワクワク感はハンパなかったです。まあ実際全く別の意味で「とんでもない冒険」になっていくんですが…今回の投稿はこの時の狂ったテンションで執筆しているので、気分を悪くされた方がいたら許して下さいね😁


やっとのことで従弟のお兄ちゃんから譲ってもらった『松下CF2700』。ファンクションキーのf5キーが歯抜けになっていて、プログラムでRUNしたり、コナミのゲームでコンティニューするのに苦労しました。

❷パソコン冥府魔道の道


ニチブツの『子連れ狼』好きなんですよね~。わびさびもクソもないギンギンのFM音源、バチ当たり過ぎる地蔵を斬ってのボーナス、乳母車のガトリングガン連射とすべてが最高です。チャン!


冥府は冥土…魔道は百鬼夜行の世界。

「冥府魔道に落ちる」ということは仏の世界にいけず、修羅道に生きること。

あんさん、気いつけなはれや!


全く関係ないですがニチブツは社長の趣味なのか、実写コスプレのおねーちゃんがよく広告やインストに登場してました。やる気の無い、嫌そうな表情が最高!



ニチブツの脱衣麻雀「制覇」のMSX2版

さて憧れだったパソコンユーザーになったのはいいものの、知識がないと何も出来ないのがこの世界の鉄の掟。そのうち嫌というほど思い知らされることになります。一番簡単なゲームで遊ぶのもゲーム機と違って一筋縄ではいかないのでした。


各機種ごとに棚で区分けされてるパソコンショップ。メチャ懐かしいです。


まず第一にパソコンの各機種で全く互換性がなかったので、パソコンショップでゲームを選ぶのも一苦労でした。同じメーカーでも別機種では全く動かないのが当たり前というスパルタンな世界です。一応各機種ごとに棚で区分けされてるのですが、ここにも恐ろしい罠が潜んでいます。


華麗なビジュアルが売りの『ファイナルゾーン ウルフ』
1986年以後はSR以降が圧倒的に増えてきます。


ゲームアーツの金字塔『シルフィード』もPC-8801mkIISR以降用との明記が…

「対象機種 PC-8801mkⅡSR以降」

つまりSRの前機種のmkⅡでは動かないんですよ!ちなみに1984年11月の販売実績ではPC-8801mkⅡが圧倒的に上位を独占していますが…


僅か3ヶ月後の1985年2月にはあっという間に6位に後退し、トップはmkⅡSRに切り替わっています。純正だとセットで40万円以上するのに…mkⅡを買ったやつは返品交換も出来ずに泣き崩れてました。


「※ただしX1Dは除く」
X1シリーズは無印、C、D、F、Gと展開していったのですが、色々な大人の事情でX1Dだけは動かないゲームが多かったんです。


永遠のベストセラー『ハイドライド』 X1版は4方向スクロールになっている他、他機種よりも美しいCGを実現するなどの神移植。X1くんはさんざんこのことを自慢してたっけ。しかし残酷にもX1Dでは動かないのでした。


ドラゴンバスターを彷彿とさせるARPG『トリトーン』も…


8bitパソコン最大のベストセラー『ザナドゥ』 はX1の高性能なデータレコーダに対応して、唯一テープ版が発売されています。しかしX1Dは対応外…

X1DとPC8801mkIIは共に悲運の名機という名が相応しいマシンでした。シャープもNECも一時期この機種を強烈に推していたんですよ。X1Dは独自規格の3インチFDDが全く普及しなかったのが悲劇でした。友人のX1Cくんは1984年にX1を購入したんですが、ショップでは猛烈にX1Dを勧められたそうです。X1C君は事前に情報収集していたので危険と判断し、型落ち品のX1Cを購入して事なきを得ましたが、こうボヤいてました。

😩「マジで危なかったぜ。この世界、誰も信じちゃいけねえって初っ端で思い知ったわ。」

PC8801mkIIは決定版となった後継機種SRが発売されたのが全てです。SR以降対応と明記されたゲームを山ほど見ました。


両機のその後の運命を知っていると、PC界の無常を感じられずにはいられません。


「超人気マシンベンチマーク対決」
口の悪いX1C君は「X1Dが超人気マシン?嘘こいてんじゃねえぞ!」とおかんむり。

「MSX対応 32KB以上」

MSXでテープゲームを遊ぶのには殆どメモリ32KBが必須でした。しかしMSXは「夢の共通規格、MSXのマークがあるゲームは全てのMSXで遊べます!」という点を販売現場でアピールしまくったので、思わぬ悲劇を生むことになりました。

他機種との共用広告の奴が特に危険でした。ヴォルガードのテープ版はメモリ32KBがないと動きません。流石に箱には明記がありましたが、広告で「やった!MSXでヴォルガードが出た!」とヌカ喜びした人も多かったのでは。


『続・黄金の墓』の広告にもメモリの表記は一切無し。

またこの頃のパソコンゲームは音楽用のカセットテープで供給されるのが一般的でした。そのため本来はパソコン用の専用テープデッキを接続しなければならないのですが、金のない僕はおばあちゃんの音楽用のテープデッキを借りて代用するしかなかったんです。そのためベーシック画面で

bload”cas:”,r

と入力して⏎キーを押した瞬間に、デッキの再生ボタンを押すテクニックが必須でした。音楽用だとロードミスも多く、ゲームのタイトル画面が出た瞬間はそれだけで嬉しかったですよ。


これはちょっと前の1982年の広告ですが、こんな感じでカセットテープのゲームは販売されてたんです。


専用のデータレコーダーは1万円以上しました。

ちなみにテープはROMカートリッジや凶悪なプロテクトが掛けられていたフロッピーディスクのゲームと違い、ダブルデッキでダビングすると簡単にコピー出来てしまうという欠点がありました。そこで一部のメーカーは、極限までマスターテープの音質を下げるという恐るべきパワープレイに出たのでした。結果僕のテープデッキでは新品を購入したのにも関わらずロードミスを連発、殆ど半べそで一晩中格闘するハメになりました。これを悪友のFM7くんに訴えると、そんなことも知らねえのかという表情で

😒「メーカーに連絡して代用品送ってもらえばいいじゃん。」

と教えてもらいましたよ。この時期は最大手のメーカーですら家内制手工業でゲーム制作をしていたので、電話で泣きつくと対応してくれることも多かったんですね。こんなことが日常茶飯事の世界でした。

とまあゲームですらこんな具合だったので、本格的なパソコンでの創作活動は困難を極めることになりました。プログラミングやCG制作、作曲にはこの4096倍の専門知識が必須だったのです。したがってマスタークラスのパソコン少年になるには365日愛機と格闘し、あくなき情報収集を続けるという修行僧のような青春時代を送ることになるのでした。

❸TV争奪戦と出張MSX



当時の僕の愛機は『松下CF2700』松下のマシンは全体的にタフで、その点助かりました。ちなみにソ●ータイマーはMSXにも存在していて、MSX2+の『HB-F1XDJ』は1年ほど使用しているうちにFM音源の音が小さくなる回路の不具合があったり、キーボードが断線するなど酷い目に会いましたよ。これは僕だけでなくベテランMSXユーザーの常識の一つであります😁


TVが一家に一台の時代でした。


アニメージュのプレゼント企画


1978年のラジカセ。


本格的オーディオ機器には超絶憧れました。小学校で音楽の先生におねだりしてアニメ曲のレコード聞かせてもらったなあ。


82年コンパクトオーディオ。お値段29800円ですがデザインがハンパなくカッコいい!


1986年の広告。Wラジカセは色んな意味で憧れました。


1986年ソニー広告。セーラー服の松本典子ちゃんがカワイイ😍



1986年のCDプレイヤー。高くて買えないよ!


結局本格的なオーディオ機器を購入したのは、大学に進学してバイトするようになった1992年でした。僕も宮沢りえちゃんに抱かれたい😘

ようやくMSXを入手した僕ですが問題はテレビでした。当時は一家に一台の家が当たり前、小学生が自分のTVを所有するのは到底無理な話です。ラジカセ(CDナシ)を所有するのが憧れという時代ですからね。そこで母上が出した条件は

😤「テレビは1日1時間!」

と高橋名人も真っ青な宣告でした。MSXがじゃなくてTV使用の合計が1日1時間なんですよ。1985年は魅力的なアニメが次々と放送されていましたし、夕方からの再放送も見逃せません。
重度の「アニメ見ないと死んじゃう病」にかかっていた僕が、アニメとMSXのどちらを選択したかというと…そんなのどっちもに決まってるじゃないですか!

そこで僕が取ったベタな作戦は

弟😸「ママが買い物行ったよ」
僕😁「よしMSX早く出せ!」

1時間後・・・

🙀「ママ帰って来たよ!」
😤「よしプログラムをセーブだ、カセットデッキ借りてこい!」
😺「おばあちゃんが浪曲聴いてるよ~」
🤪「なぬ~」
👩「あんた達何してんの」
😁😅「ふへへへ」

当時の僕のプログラムの知識は

Syntax error
Ok

で「MSXがOkって応援してくれてるんだ!」というレベルでした。それでも楽しくてしょうがない時期でしたね。しかし母上もしまいにはベタな作戦に出てきました。

😸「ママが買い物行ったよ!」
😁「よしMSX早く出せ!」

10分後・・・

👩「お財布忘れちゃった~あら!😡」
😖🤪「アワワ…」

こうしてビビビのねずみ男ばりの百裂ビンタを喰らいましたが、僕はこれぐらいでMSXを諦めるタマじゃありません。懲りずに次なる一手を考えるのでした。MSX少年の執念はこんなことじゃめげませんよ。


数少ないMSXでの対戦格闘かつ大傑作。対戦プレイを初めから念頭においてデザインされているので、公平かつ熱い対決が楽しめます。対戦ゲームのキモの部分だけを抽出したような爽快さが売りで、OPの満ちたBGMも名曲でした。フィニッシュをサッカーボールキックにするとカッコよくて、いつも狙って負けてました。



コナミのロードランナーとも言える傑作Aパズル。アイテムを持つとジャンブ出来ないのがミソ。ちなみに王家の谷の英語名はValley of the Kings。何考えてんだよコナミ!


🤗「ナムコくん、あーそーぼ。」

MSXを禁止された僕は出前MSXという戦法を編み出しました。

😼「またお前か。」
😅「そう言うなよ『ウォ―ロイド』持ってきたからさ。ファミコンにないだろ?」
😾「ゲームばっかやるとママがうるさいんだ。」
😁「まあ任せとけよ。」

👩‍🦰「いらっしゃい。今日はゲームじゃないのね?」
👨‍💻「プログラムの勉強です🫡✨」
👩‍🦰「ぷろぐらむ?」
😜「つまり数学理論を応用してCPUと会話する21世紀に必須の学問。それにはこのMSXが最適です。」
👩‍🦰「でもお高いんでしょ?」
😝「いやお母様、現在入学セールでお買い得に!」

松下電器のセールスマンかよ!

😙「へへ、上手くいっただろ。来月MSX買ってもらえよ。」
😼「お前本当に嘘つきだな。プログラムを打ち込めばゲームが出来る、それ以外何も知らんって言ってたじゃん。」
😜「どうせ解りゃしねえよ、早くラジカセでセーブして『王家の谷』でもしようぜ。」

とまあこんな具合で僕はMSX勢力圏の拡大に勤しんでおりました。





この時僕が持参したMSXポケットバンクシリーズは内容が充実していている上、安いので重宝しました。他のパソコン技術書は高かったんですよ。当時パソコンについて手取り足取り教えてくれる場所は日本中どこにもありませんでした。全国のパソコン少年はこうした書籍を頼りに、皆独学でプログラミングを習得していったのです。

この「アクションゲーム38」は特に初心者向きの内容でした。プログラム言語BASICの解説漫画が併記されていて「このゲームはこのような構造で動いている」ことが解るような構成だったのがありがたかったです。これが「なぜゲームは動くのか?」という視点を持つことになるパソコン少年の第一歩だったように思います。

❹危うしSANYO君


大谷翔平推薦(ウソ™)元祖二刀流MSXこと三洋の『PHC30』はテープデッキ内臓のくせメモリが16KBしかなく、殆どのテープゲームを遊ぶことが出来ません。SANYOは何考えてんだよ!😁


アニメ調の箱絵が印象的でした。


この時期のエニックスはMSXマガジンにMSX用の独自の広告を掲載してくれていましたが、わざわざ「これらの画面は全てMSX版です」と書かれているのが涙を誘います。これは他の移植作品が「画面はPC8801版の物です」とか書いておいて、MSX版は全く別物だったりしていたからなんですよね。酷い場合はパッケージまで他機種の物を使用していたりしました。ただ16色固定のMSXで「100色の中間色」という際どい表現が…


MSXマガジンでも通常2ページのところを3ページで大特集!

😭「ダメだ、やっぱり起動しないよ。」
🤔「おかしいな、僕のCF2700だと大丈夫なんだけど。
Out of memoryって何だろう。」

僕は頑張ってMSX勢力拡大に勤しんでいましたが、PHC30を購入したSANYO君は一緒に買ったテープ版ザースの起動に悪戦苦闘していました。そこで同じ小学校で一番詳しいMSXの師匠格の友達に相談することにしました。 しかし師匠は一目見るなり

😼「ダメだこりゃ」

真っ青になるSANYO君

😸「PHC30はメモリが16KBだ。テープのゲームは全部動かねえよ。」
😱「ぜぜ全部?だって店員さんはMSXのゲームは互換性があるって。」

師匠はニヤリと笑うと

😼「あいつらみんな嘘つきだ。この世界、騙された方が負けなんだよ。」

僕は慌てて

😨「師匠なんとかならないの?」

何しろ僕の勧めでSANYO君はザースの他に3本もテープゲームを購入していたからです。

😽「しょうがねえなあ。」

師匠はポケットから赤い増設カートリッジを取り出しました。これをPHC30に差すとあら不思議!


師匠が使ったメモリーカートリッジ。これで16KB増量させて32KBにするんです。


やはりこの画像が出た時は感激しました

🤩「う、動いたよ!」

😀「師匠このROM貸してあげてよ」
😼「いいだろう、だが条件がある」
😳😱(;゚д゚)ゴクリ…
😸「次買うゲームはリザードにしろ、こいつは面白れえぞ!」
😅「わ、分かったよ」
😽「よーしイイ子だ」

マンガ『悪魔くん』そっくりのMSXの師匠は、本物の悪魔のような笑みを浮かべるのでした。こんな感じで我がMSX軍団は結束を固めていったのです。


現在でも元気に営業を続ける安売りの殿堂ロヂャース。僕もたまに買います。


1984年10月発売なので、たった10ヶ月でメモリが4倍になった後継機種PHC30N。それでいてほぼ値段が一緒と言うのが恐ろしいです。この頃のPCの進化のスピードは凄まじいものがありました。

何故64KBのPHC30Nにしなかったのかと言うと、安売りの殿堂と言われたディスカウントストアー、ロヂャースで山積みでPHC30が安売りしてたからなんです。1984年1月の発売から1年以上経過していたので半額近かったそうですね。量販店ですから店員さんもパソコンの知識が全く無くて

🤥「MSXのマークが入っていれば、どのゲームも遊べますよ。」

と適当なことを言われたらしいんです。パソコンショップでなく安売り店で購入した故の悲劇でした。口の悪いFM7くんは「ロヂャースパソコン」とからかってましたっけ。




MSX1美少女CGの象徴である『ミリカちゃん』をHarayokiさんが更にリライトしてくれました。すげえ!


この時のサンヨー君のザースは何故か今僕の手元にあったりします。

この時僕の一押しだったのが初期MSXのAVGの名作として名高い『ザース 人工頭脳オリオンの奪還』でした。看板娘のミリカちゃんのCGを知らないMSXユーザーはモグリと言われるぐらい有名です。この時期のテープAVGの本質を一言で表すとしたら「ロマンに浸るゲーム」という所でしょうか。ディスプレイ上に輝くグラフィックにため息をつき、自宅で異世界を冒険することの出来るAVGはまさにロマンの塊でした。こういった作品を楽しめるのもパソコンユーザーの特権でしたね。

実はこのゲーム、何と高校生のグループが作製しているんです。その中で佐山善則さんはアニメのメカデザイナーに転身し著名になりました。




『ブラックオニキス』と共にファンタジーRPG入門編として最適だった『リザード』。頑張ってプレイすれば誰でも攻略できる難易度で、マニュアルも丁寧で解り易かったです。ガチャピンと対決するアニメーションも可愛くていい感じ。ただ続編のアスピックが出なかったのが残念、期待してたのに。

❺奇人変人全員集合!PCクラブとMZ700先生


物語の舞台である1986年4月頃のPCゲームランキング。ファミコンやアーケードには存在しないオリジナルゲームが多数発売され、8bitパソコン黄金期を迎えていました。



このちょっと前のパソコン勢力図。PC88勢がトップでX1とFM7系が猛追する8bit御三家時代でした。MSXは4番手という感じでしたね。




この時期のラオックスの広告



アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』が終了し、『ドラゴンボール』が始まった頃でした。RetroGallery様より転載です。

8bitパソコン戦国時代の各機種は独自過ぎて、ユーザーにとっても他のマシンは謎に包まれた存在でした。しかもパソコンマニアは己の機種を

😤「世界最強のマシンは●●が決める!」

と信じ込む原理主義者ばかり。そんな訳でパソコン少年同士は近くて遠い存在だったんです。一方「愛機への異常な愛情」と「他機種への羨望」には拍車がかかり、不毛な対立や論争が頻発するのでした。多少盛ってはいますが、この心境はあの時代を体験した人なら御理解頂けるのではないでしょうか😅


1985年の記事。この頃になると中学や高校でパソコンを使用した授業やクラブ活動が導入されていきました。だたこれは相当地域差があったと思います。こうしてみるとやはり圧倒的に男の子が多いですね。卒業後MZ先生に聞いたのですが、この時期PCを扱える教師は殆どいなくて苦労されたそうです。


1986年の中学入学を機にパソコンを買う友人が激増します。都合よくパソコンクラブが新設されるとのことで、MSXの師匠やFM7君と視聴覚室に急ぐと…いるわいるわ、中二病全開のパソコン少年たちが魑魅魍魎よろしくたむろっているのでした。

「😏88にあらずんばPCにあらず」とうそぶく最大勢力PC-8801mkⅡSR以降軍団。

NECはホビーPCを完全にPC88に絞り、人気絶頂の斉藤由貴ちゃんを投入して一気に天下統一を狙っていました。CMでも由貴ちゃん煽ってますね~

「君たちは本物のパソコンではじめよう」

って、MSXはニセモノのパソコンなのかよ!



おまけでNECの詐欺っぽい広告。

「女学生はパソコンを雰囲気で覚えた。」そんな訳ねーだろ😁

日本電気は1984年11月発売のPC-6001mkIISRシリーズや、1985年1月に発売された8001mkIISRシリーズを見捨ててしまうのではないかと噂されていました。

タモリと南野陽子に忠誠を誓うFM77AV君とNEW7君の富士通連合。

1982年に登場したFM-7 は「高性能でありながら低価格」を目指した名機でした。タモリさんの知的なイメージが広告にあってましたね。一体型で実質剛健なキーボードは記憶に残っています。

宿敵の日本電気に一矢報いるべく、PC88の8色に対して4096色という強力なCG能力を引っ提げたFM77AVを1985年に投入。斉藤由貴のライバル南野陽子ちゃんをCMに起用するという、対抗心バリバリの富士通でした。




「パソコンサンデーに登場するパソコンは格上!」と力説する、X1君とMZ1500君のシャープ兄弟。

1982年3月に始まったパソコン情報番組の草分け『パソコンサンデー』はベーマガで活躍された山下章さんなども登場し、PC少年の中で神格化された存在でした。僕は何時になったらMSXが登場するのかずっと待ってましたよ😁このイカレたオープニングを見るとテンション爆上がりです!

X1はライバルFM-7と対照的にホビー要素が特化されたマシンでした。どちらも特色ある名機だったと思います。ただ派手なカラーリングとデザインは圧倒的にX1に軍配が上がり、特に鮮やかなレッドタイプは猛烈にカッコよかったですね。

1984年に登場した『MZ-1500』は黎明期の傑作機MZ-80Kの流れを汲む入門用PCとして設計されました。MZ系列として完成度の高いマシンでしたが、ファミコンのディスクシステムと同じクイックディスクを標準搭載したことが互換的にネックになってしまった気がします。MZ-1500くんはMZ-700先生に課題のプログラムをクイックディスクで提出しようとしたら

🤔「私のMZ-700にはQDがないのでテープで提出しなさい。」

と言われて

😣「結局テープかよ。」

と家庭用のテープレコーダーを接続してたっけ。倉沢淳美ちゃんの広告はメチャカワイイですね。でも「QDは早いからステキ」って、そこまで早くないってMZ-1500くんはボヤいてました😅FDDに比べて読取エラーが多かったそうです。



レギュラーレポーターだった貴倉良子さん






ゲームは卒業!と言いつつ『ハイドライドⅡ』の移植を熱望するパピコンPC-6001君と日立S1君の実力派技巧コンビ。

1981年に登場した『PC-6001』は「こんにちはマイコン」でも紹介された入門用のベストセラーマシン。しかし1986年の段階ではNECからのサポートも少なく、ゲームもあまり発売されなくなっていました。ただベーマガには根強く作品が投稿され、基本性能はしっかりしていたのでプログラムを楽しむ分には十分現役の存在でした。

日立は黎明期からパソコンを販売していた老舗で、ベーシックマスターシリーズの総決算として投入したのが“最強の8ビットマシン”の異名を取る『日立 S1』でした。特にグラフィックの描画速度は圧倒的で、「走るS1」のキャッチコピーと馬のエンブレムが印象的です。ただあまりゲームが発売されず、値段も高額だったため実力の割に地味な存在になってしまいました。結果ユーザーはプログラミングに活路を見出すこととなります。

ゲームが発売されなくなったPC-8801mkⅡくんもプログラム組に合流してました。以前同窓会で再会したら、何と宿敵富士通系列のSEになってましたよ。mkⅡくん曰く

😉「二文字違いのマシンで人生変わっちまっったよ。」





一方我がMSX陣営は…

ソニー最新型MSX2『HB-F500』購入で意気上がるリーダー師匠を筆頭に

無意味にコナミを嫌ってクソゲーハンターと化したサンヨーくん。

パチンコの景品で『PV7』とカシオ全ゲームを入手したカシオくん

何故か編入されたぴゅう太君など、一騎当千のつわもの揃いです。




1985年末に登場したソニーのMSX2フラッグシップマシンである『HB-F500』念願のフロッピーディスクを標準搭載し、RGB21ピン対応、漢字ROM搭載、テンキー付属のセパレートキーボード、PC通信対応と他の8bitパソコンと遜色ない性能を実現しました。ビジネス用途に対応するためキーボードもかなりしっかりした作りでしたね。

ただMSXとしてはかなり高額で、残念ながら普及は今一歩だったと思います。しかし伝説の工業デザイナー、シド・ミードが製作したCMはハンパなく、当時のソニーのセンスが爆発していました。僕は「遂にMSXの時代が来る!」と確信しましたよ。

「HiTBiTは知性のある星に生まれた…」


米粒のようなMSXの画面写真に贅沢なマンガという構成がスクエア魂です。

サンヨーくんは謎のコナミ嫌いでMSX仲間でも有名なクソゲー…アワワ個性的なゲームの収集家でした。『ツインビー』より『トップルジップ』『魔城伝説』より『キングスナイト』を愛し、

「😍俺が求めていたのはこれだよ!」

と言い張るイカれた感性の持ち主です。

おかげでMSXのドマイナーゲームを山程遊ばせて貰いました。え?『キングスナイト』は面白いじゃんって?カーカカカ!甘い、MSX版のふざけた出来を知りたい方は以下の動画をご覧ください。広告では「4ドットのスムーズなスクロール」というJAROに怒られそうなキャッチコピーが踊ります。それはスムーズスクロールじゃねえだろ!🤣


『PV-7』は数あるMSXの中でも極めて尖ったマシンで、MSXユーザーなら使ったことは無くても「ああ、アレね」と誰もが知る機種でした。低価格化の為に極限までコストカットした設計で、あの頃の「パソコンに対する高級感」を木っ端みじんにした安っぽさはもはや伝説と化しています。パソコンショップではなく量販店やおもちゃ売り場が主戦場で、カシオくんはオヤジさんにパチンコの景品で取ってもらったそうです。

スロット端子の音声入力までもがカットされているためコナミのSCCが鳴らない他、キーボードが通常のパソコンに比べて異様に小さいなどプログラム入力にも不向きでした。それでも挑戦するカシオくんは勇者でしたね。このマシンの特集はコチラ。

しかしMSXのツワモノどもはこのマシンでも臥薪嘗胆、現在とんでもない作品を生み続けています。TKZ80さんが作製されたPV-7実機で動作するイースのアニメーションです。必見!


『ぴゅう太』は玩具メーカーのトミーから発売されたパソコンなんですが、何と16bit機なんですよ。当時の低価格PCの中でも潜在能力はピカイチで、CMでもその点を強調しています。ただグラフィック性能はMSX1と同じで、この時期には入門用パソコンとしての使命を終えようとしていました。ぴゅう太君もその後廉価版MSX2のアシュギーネA1に乗り換えています。

そこに1匹のサルが迷い込んできました🐒

先生🐵「私が顧問のMZ-700だ、よろしくな。」

師匠😸「そこはキングコング松下じゃねえのかよ。」

僕😁「リアルプログラマー猿だね。」

パソコン以上に個性派な珍獣どもが集まれば唯で済むはずはありません。ゆかいな三年間の幕開けでした。



丁度このマンガがログインに掲載された時期でした。

早速犬猿の仲の富士通連合とシャープ兄弟が揉め始めます。

PC88😁「下々の連中がなんか言ってるぜ。」

僕🤗「そんな事言わずに仲良くしようよう。」

X1&FM7😡😤「パソコンモドキのMSXは黙ってろ!」

MZ先生🐵「コラ!MSXだって立派なパソコンだぞ。」

師匠😽「MZ-700には言われたくねえよなあ。」

万事がこんな調子なのでした。




可憐すぎる中森明菜さん。多分MZ700触ったことないだろうけど💦

MZ先生が初めて触れたパソコンは1978年発売の『MZ-80K』だったそうです。ボーナスをはたいて購入し、その魅力に惹き込まれたと語っていました。今見ても素晴らしいデザインです。

その後継機である『MZ-700』をMZ先生は長年愛用していました。いわゆるグラフィック能力がなく、テキストベースの旧式化したマシンでしたが、MZ先生は本当に大切に扱ってましたね。先生が学校に持ってきた、掲載されている赤い専用ケースがメチャカッコよかったです。

本機は多くの凄腕プログラマーを育てた機種で、伝説となった投稿作品『tiny XEVIOUS』は多くのパソコン少年に衝撃を与えました。口うるさいPCマニアをして『MZ-700に不可能はない』と言わしめたMZ-700は、最もレトロパソコンらしいマシンだったと思います。

先生が教材としてコピー配布してくれたMZ-80のBASIC解説書。この本は初心者にも解りやすく、当時プログラミングを経験した方には是非覗いてもらいたい内容です。



メチャクチャ夢のあるイラスト



今振り返ってみると当時のパソコンは各機種が独自の文化圏を築いていて、他のマシンのことにそれほど詳しくないのが実情でした。パソコンショップなどでの交流もあったそうですが、同年代のパソコン少年が集うクラブ活動の存在はありがたかったですね。この時の交流は現在でも続いているんです。

MZ-700先生は数学教師のパソコンマニアで、趣味が高じてパソコンクラブを設立したのでした。毎週真面目なプログラム課題を作成してくれたり、自筆のBASIC解説書を配布してくれたりと精力的に活動してくれていました。教育ソフトのメーカーにもコネがあって、モニターでβ版ソフト提供してくれたりもしましたね。しかしクソガキの僕らの引き起こすトラブルに何時も頭を悩ませていました。

出入り禁止のゲーセンで補導されたり、パソコン雑誌の万引き(主な被害は福袋目当てのコンプティーク)の濡れ衣を着せられた時も、何時も僕らを庇ってくれました。
今考えるとMZ-700先生は生粋のパソコンマニアで、同じ人種の僕らを特に可愛がってくれたのだと思います。それにも関わらず僕らは「プログラマー猿」「キングコングMZ」果ては「猿の惑星ノーメイク」とメチャクチャなあだ名を付けて先生をからかっていました。本当に中学生はアホですよね~。
この時の贖罪の念が、毎年先生のお墓参りに赴く動機かもしれません。MZ先生、お詫びに今年も好物の最中持って行きますよ!

❻パソコンが輝いていた時代


ムフフ❤な福袋目当てに大人気になっていたコンプティーク。
お尻の部分が危ないのでカットしました😅


『破邪大星ダンガイオー』のミア・アリスちゃん


『プラレス3四郎』の吹雪今日子ちゃん


レトロパソコンCG特集もまたやりたいですね。


8bitパソコンゲーム特集も企画中です。


いかがだったでしょうか?あの頃の悪ガキの心境になりきってしまって、何時も以上にハチャメチャな内容になってしまいましたよ。相変わらず読みにくくてスイマセン🙇

やはり初めてパソコンを手に入れた感動は生涯の宝物だと思います。あの頃のパソコンは相当高額で、正直小中学生には贅沢過ぎるホビーだったのかもしれません。しかしそれ故家庭用ゲーム機で遊ぶクラスメイトを尻目に、ゾクゾクするような背徳感があったこともまた事実なのでした。

また親に隠れて深夜一人BASICを打ち込んでいると

😳「僕だけが世界の秘密を知っているんだ…」

という、どうしようもない妄想を止められませんでしたよ。

最近僕の投稿を読まれるようになった方は、あまりのマニアックぶりに驚かれたと思います。しかしあの頃のオタク業界の片隅で、こんな異世界があったことを知っていただければ嬉しいです。もし僕と同じ光景を見た方は…是非「50歳からの中二病」を再発させようではありませんか!この『MSX物語シリーズ』は不人気だろうが続けますよ😁

それではまた次回、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
                      
                       サイボーグMSX

僕は全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇‍♂️

いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹 

校正も一応やっているのですが、なにか文章でおかしな点があったらコメント欄でご指摘頂けると有り難いです🙇


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