境界線
この2年で歳を取った。目の前の友人は照れながらも笑顔で写真に応じている。結婚式に参加したのは2年ぶりだ。以前は参加するたびに、幸せ"そうな"雰囲気の中で、自分の立ち振る舞いやイチ視聴者として、そして、他人事として、参加していた。だが、今回は違った。確かに幸せを感じられた。今、彼、彼女は幸せなのだと感じることが出来た。人から愛されること、人を愛することを、ゆっくりと理解し、一人だけでは味わえない世界のことについて耽る時間も多くなった。それは、この人生と、そして世界とが混ざり合う感覚に近い。だからこそ、日没も、夜明けも、同じ世界で起こっている事なのだと、漸く知るに至った。
週末に、“いい人すぎるよ展2026&微わかる展”を訪れた。特に、微わかる展では、このなんとも言えない、今まで言葉にしてこなかった出来事に共感できる展内容示だった。自分にしかわからなそうな出来事が公になる。俺も、私も、僕も、個人が共感していく。と、同時に、俺は、私は、僕は、違いも露になっていく。
同じもの、異なるもの同士が混ざり合う。尖った部分も丸くなっていく。包まれていく。一つになっていく。もとが分からなくなっていく。他人の幸せや別の出来事が自分の世界と混ざり合う。自分の共感や違和感が混ざり合う。時間が経つこと、歳を取る事は、混ざり合っていく事なのかもしれない。
そして、その中で、自分が消えていく、自分が主人公で無くなっていく人生に虚無感を感じていく。外殻が溶け、異物が内側に流入してくる。最初は自然免疫が抵抗していた気がする。だが前職で自分の存在に自信が持てるようになり、混ざり合う中でも、輝きを持ち続けることができた。今でも何かに自分が埋もれそうな時にはストレスが掛かるが、だけれども、混ざり合うことは恐れなくなった。むしろ、一度混ざり始めた止まらない自分の中に、今度は、どんな違う要素が混ざるのだろうかと、受け入れられるようになってきた兆しがある。
そういえば、My Bloody Valentineのライブに行ってきた。高校の時だろうか。出会って以来、ずっと聴いていた音楽だ。ライブ中、キラキラしたポップさにも、フワフワしたドリームさにも酔っていた。でも、やはり一番は、ノイズが混じった音、シューゲイザーが好きなのだ。普段と異なる感覚。音がまるで滝の轟音。雷のような響き。自然へと近づいてくる。そして、なにがなんだか分からなくなってくる。その感覚で良い。この心地良さは誰のものでもない。友人の幸せ、価値観、感性、出来事など様々に混ざり合う中で、自分が感じているこの感覚を、これからはもっと楽しみたいと思う。
