【はじめてのnote】元教員で、発達障害児の父で、福祉経営者である私が、noteで「きれいごと」を捨てて語る理由。
「学校の先生は、忙しすぎてあの子を見てくれない」
「親御さんの要求が強すぎて、現場が疲弊している」
「福祉サービスを使っても、家での困りごとは減らない」
それぞれの立場から聞こえてくる、悲痛な叫び。
誰も悪くない。
みんな必死でやっている。
それなのに、なぜか全員が苦しい。
はじめまして。だんパパと申します。
私は、この「誰も悪くないのに苦しい」現状を変えるために、noteをはじめました。
私には、少し変わった経歴があります。
それは、支援に関わる「3つの椅子」
すべてに座った経験があるということです。
特別支援学級・学校の「元教員」として
発達障害のある2人の男の子を育てる「父親」として
放デイや就労移行、グループホームを運営する「福祉経営者」として
この3つの視点を行き来する中で、
私の中にずっと刺さっている「トゲ」があります。
今日は、そのトゲの話から始めさせてください。
教員時代に聞いた、忘れられない「呪い」
教壇に立っていた頃、私は若く、情熱だけで走っていました。
そんな私に、ある先輩教師が言った言葉があります。
「その子の一番の専門家は、お母さんだから」
当時は「なるほど、家庭連携が大事なんだな」と深く考えずに頷いていました。
しかし、もう一つ、先輩はこう続けました。
「自分の子の診断を受けることは、親が自分の手で、我が子に『障害者』というレッテルを貼ることと同じなんだよ」
その時の私は、この言葉の本当の重さを理解していませんでした。
「適切な支援を受けるためには、診断が必要なのに。
なぜ親御さんは渋るんだろう?」
そんな風に、どこか他人事として捉えていたのです。
若さゆえの浅はかさでした。
私は知らず知らずのうちに、教室の論理で保護者を追い詰め、傷つけていたかもしれません。
父になり、その言葉が「刃物」に変わった
その後、私は2人の発達障害児の父となりました。
我が子の発育に違和感を覚え、病院の待合室に座っていた時。
ふと、あの先輩の言葉が蘇りました。
「親が自分の手で、レッテルを貼る」
手が震えました。
教員としては「必要な手続き」だったものが、
親としては「我が子の未来を決定づけてしまう恐怖」に変わった瞬間でした。
そして、「一番の専門家はお母さん(親)」という言葉。
これは親にとって、時として残酷なプレッシャーになります。
「私が一番分かっているはずなのに、どうして泣き止まないの?」
「専門家の私でも手がつけられないこの子は、どうなってしまうの?」
暴れる我が子を前に、教員免許も専門知識も無力でした。
私は、支援者としての「正解」と、
親としての「感情」の狭間で、
完全に立ちすくんでしまいました。
福祉経営者として、そして「翻訳者」として
現在、私は福祉事業所を運営し、学校などの教育現場や家庭の
隙間を埋める活動をしています。
あの時の私のような「分かっていない教員」を減らしたい。
あの時の私のような「孤独な親」を救いたい。
そして、制度の枠組みでがんじがらめの福祉を変えたい。
そのために、私はこのnoteで「翻訳」をします。
・保護者の方へ:
診断はレッテル貼りではありません。「生きやすくなるためのパスポート」に変える方法を伝えます。学校への「伝わる」交渉術も教えます。
・先生方へ:
保護者が診断を渋る背景には、あの日の私たちが想像もしなかった葛藤があります。それを知るだけで、対応は劇的に変わります。
・福祉職の方へ:
両者の痛みを知る第三者として、プロができる連携の技を共有します。
教科書通りのきれいごとは書きません。
私が痛みと共に学んだ、泥臭い「現場のリアル」と「解決策」だけを綴ります。
これから発信するテーマ(予定)
・「様子を見ましょう」と言われた時に親がすべき具体的アクション
・「診断」を受けるか迷っている親御さんへ贈る、元教員からの手紙
・学校との面談で「モンペ」と思われず、要望を通す交渉術
・選んではいけない「放課後等デイサービス」のチェックリスト などなど
最後に
もし今、あなたが
「子どものために何かしたいのに、どうすればいいか分からない」と悩んでいるなら。
どうか、このnoteをフォローしてください。
ここは、立場の違いを超えて、
最終的に「子どもたちが楽になる」ための作戦会議室です。
私と一緒に、支援の景色を変えていきましょう。
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