一冊の絵本を、子どもと
新人だった頃
私には、今でも手に取ると新人だった頃を思い出す絵本があります。
島田ゆかさんの『バムとケロ』シリーズです。
幼稚園教諭からスタートした1年目。
初めて担任を受け持ったのは、4歳児のクラスでした。
今振り返ると、あの頃の私は、毎日の保育をこなすだけで精一杯だったと思います。
何をするにも初めて。
子どもたちの前に立つことも、クラスをまとめることも、行事を進めることも。
まだ「自分の保育」なんてものは、何もありませんでした。
一冊の絵本を、子どもと楽しむ
そんな1年目の私と子どもたちが大好きだったのが、
『バムとケロ』でした。
しっかり者のバムと、自由でいたずら好きなケロちゃん。
二人の日常を描いたお話で、ページの隅々まで細かな遊びや発見が詰まっています。
何度読んでも、
「あ、こんなところに!」
と、新しいものを見つける。
そして、それを見つけるのは、いつも子どもたちの方が早かった気がします。
「先生、ここ!」
「いた!」
そんな声に読み聞かせが止まって、みんなで絵をのぞき込む。
物語を先へ進めたい私と、細かいところまで見逃したくない子どもたち。
今思えば、そんな時間も楽しかった。
何度読んだか分かりません。
去年、園のおたよりで「おすすめの絵本」として、
このシリーズを紹介したことがあります。
そのとき私は、
「これを見るたび、初心に戻り頑張らないと、と思います」
と書いていました。
その頃は、今のように自分の保育を振り返っていたわけではありません。
でも今回、こうして昔のことを一つずつ思い出してみて、
「ああ、本当にそうだったんだな」
と思いました。
私にとって『バムとケロ』は、ただ好きな絵本ではなかったんだと思います。
初めて自分のクラスを持ったこと。
毎日必死だったこと。
子どもたちと一緒に笑ったこと。
「もう一回」と何度も絵本を開いたこと。
そして、
「一冊の絵本を、子どもと一緒に楽しむこと。」
私の保育の一番最初には、それがありました。
そして、このクラスには1人、今でも覚えている女の子がいます。
身体が少し弱くて、ちょっと気弱なところのある子。
でも、その心の中には、ちゃんと強い意志を持っている子でした。
その子は、私の影響で『バムとケロ』が大好きになりました。
当時は今のように、どこでも簡単に手に入るものではなかった『バムとケロ』のぬいぐるみ。
「ぬいぐるみが欲しいとごねられた」と
保護者の方が笑いながら教えてくれたことを、今でもよく覚えています。
私が大好きで、クラスで何度も何度も読んでいた絵本。
それがいつしか、その子にとっても、特別なシリーズになっていきました。
今でも、その子を思い出すと『バムとケロ』が一緒に浮かびます。
今思えば私はこの子から、表に見えている姿だけでは分からない、その子の中にある
「好き」
「やってみたい」
という気持ちを教えてもらっていたのかもしれません。
当時の私は、
「絵本を通して子どもの心を育てよう」
なんて、そんな立派なことを考えて読んでいたわけではありません。
ただ私が好きだった。
子どもたちも好きだった。
だから、何度も一緒に読んだ。
でも今なら思います。
「絵本って、それでいいのかもしれない。」
大好きな人と、大好きな1冊を一緒に読む。
同じところで笑ったり、自分だけの発見をしたり、
「また読んで」
と言ったり。
そんな時間そのものが、子どもの中に残っていくことがある。
そして不思議なことに、
子どもだけではなく、保育者の中にも残っていく。
そんなふうに、子どもたちと一緒に楽しむことを覚えていった1年目。
支えるための「準備」と、育てるための「余白」
一人ひとりの心に触れる喜びを知った一方で、
日々の保育を支える「準備」の重要性も叩き込まれました。 まず徹底して教えられたことがあります。それは、
「翌日の保育の準備をすべて終えてから帰ること」
でした。
朝、子どもたちが登園して、自分の支度を終えたら、
そのまま好きな遊びを始められるようにしておく。
今なら当たり前のように「環境を整える」と言いますが、
当時の私は、その一つひとつを教えてもらっていました。
例えば、折り紙。
「自由に使っていいよ」と置いておけばいいわけではありませんでした。
数枚ずつ用意し、子どもが自分で色を選べるようにする。
牛乳パックで作った箱の外側にも同じ色を貼って、文字が読めなくても分かるようにする。
子どもが自分で取り出せる箱の高さまで、考える。
そんな細かなことまで、当時の主任の先生が教えてくれました。
園長先生からは、
「そういうことも、自分で気づかせることなんじゃない?」
という意見が出ることもありました。
教えてもらいながら覚えること。
自分で考えて、気づくこと。
新人だった私は、その二人のやり取りを聞いていました。
あの頃は、それが自分の中に何を残すのかなんて考えていませんでした。
でも今、私は職員と保育を考える立場になって、
「どこまで伝えるのか。どこから自分で考えてもらうのか」
と、よく似たことを考えています。
丁寧に教えることも大切。
でも、教えすぎてしまえば、
自分で考えたり、気づいたりする機会を奪ってしまうかもしれない。
反対に、「自分で気づいて」と待つだけでは、
必要なことを伝えないままになってしまうこともある。
どちらが正しい、ということではないのだと思います。
その人によっても、その時によっても、きっと違う。
そしてもう一つ。
今、私たちは「子どもの主体性」や「自分で選べる環境」を大切にしています。
でも振り返ってみると、その言葉を深く考えていなかった
1年目から、
「子どもが自分で分かり、自分で選び、自分で遊び始められる環境」
を、私は先輩たちから教えてもらっていたのかもしれません。
あの頃は、そんなことまで考えていませんでした。
ただ、教えてもらったことを必死にやっていた。
それが今になって、少しずつ意味を持ってつながってきています。
あの頃、二人の先生のやり取りを横で聞いていた私が、今は同じようなことで悩んでいます。
「一冊の絵本を心から楽しむこと」と、
「子どもが自ら動き出せる環境を整えること」。
その両輪が大切だと気づけたのは、あの慌ただしくも温かい1年目があったからこそだと思います。
答えはすぐには出ないけれど、今日も子どもたちの姿の中に、そのヒントを探しています。
To be continued. 🐾
