《人はなぜあがるのか?》※あがらないテクニック教え〼
私は全く「あがる」と言うことがない人間だと思われている。
いつ、なんどきでも、平気で他人の前に立ち、
いつ、なんどきでも、平気で他人に話しかける。
そんな訳ない。いちいちあがる。
特に、あがる事柄の1つに
『自己紹介』がある。
例え、どんなイージーな場所であろ
うが、
例え、どんな厳粛な場所であろうが、
あがる。
寧ろ、厳粛な場所であれば、通り一遍の言葉で言えば良いので、あがり度数的には、低いと思われる。
1番あがるのは、突発的に、自己紹介をしなければならなくなった時である。(主観)
例え、その場所に10万回来ていて、そこの場所にいる人たちと10年の付き合いがあるとしても、何故か急に自己紹介しなければならない時がある。
年度が変わるとか、新しい人が来たとか。
そこの場所には慣れ過ぎて緊張のきの字もないとしても
突然『自己紹介』の嵐が訪れる。
その時、
あがる人と、あがらない人に分かれる。
あがるとは、緊張する事だ。
あがるとは、血圧も上がると言う事だ。
私はあがる。
血圧も上がる。
脈拍も上がる。
あがる理由で、よく言われるのは、
カッコ付けていいこと言おうとしている。
本来の自分ではない姿を見せようと無理をするからあがる。
そうだろうか?
大体人間と言うものは、本来の姿に逆らってカッコ付けて生きているものではないのだろうか?
私たちは産まれた時には、全員裸である。
なのに、わざわざ服を着せられるのである。
パンダに服着せるか?皆んなそのままの姿を見て、可愛い可愛い❤️って喜んだじゃないか⁈
人間だけ何故、裸じゃダメなのだろう?
実は、あがり派の我々は、産まれ落ちたその瞬間から、密かに抵抗をしていたのである。覚えている仲間もいるだろう。
ある者は、突然男子の構造を活かし上放尿
ある者は、突然脱糞したり
ある者は、突然身をくねらせたり
ある者は、赤ん坊の特権で大泣きをしてみせる。
それらは全て、微笑ましい案件として、右から左に流された。
そこから、カッコ付け人生が始まる。
これをカッコ付けと言わずして、何がカッコ付けなのだろうか?
裸で産まれ出た者が、裸を恥ずかしい事柄として、裸で産まれる事を全否定する。
自分だって裸で産まれたクセに、裸を全否定して後から産まれた者に服を着せる。
私は、ここにあがる、あがらないの定義を把握した様に思う。
あがらない人=産まれた姿を否定
あがる人 =産まれた姿を肯定
そんな事バレては、この世で平和に生きて行けない!
それがバレるのが恐ろしい!
だから、あがるのだ。
本当かな。。。。
