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ブルーハワイの黄昏⛵️

蒼く澄んでなんかいない。
青と緑の絵の具を絞り出して混ぜたら濁ったような色の海だ。

それでも夏の海原は強い日射しをギラギラ乱反射して、沖のブイを目指して泳ぐ陽介を見守ってくれた。
誰もいない広い海面で仰向いて、なにも考えず、ただクラゲみたいに漂う。
浮き輪もないのに、よく浮いていられるな、と思って微睡んでいたら、船の影が見えた。
船が見えたら、どれほど海底が深いか想像してしまって、サメにでも見つかるんじゃないかと急に恐ろしくなってきた。
近づいてきたヨットにしがみついてデッキに上がると、見知らぬ男と女が抱き合っていた。
まわりの海が、ブルーハワイのかき氷を溶かしたようなラムネ色に変わった。
そこで目が覚めた。

夏休みの課題などそっちのけで、陽介は部屋でオールをこいでいた。
ボート部でもない。ただ、自分のヨットを持ち、セイルの下で鮮やかなデッキドリンクをつくることだけが、彼の夢だった。

悪友たちと一緒に無免許のバイクを飛ばし、夜の海岸へ繰り出したのはほんの一週間前のことだ。
闇雲にナンパした娘たちは夜の帳に溶けていき、陽介がようやく口説き落としたと思った相手は、あろうことか母の友人の娘だった。
キスも、それ以上の甘い予感も、潮風に流れて散った。

それから数日して、ぶらりとマリーナを歩いていた時だった。
あの夜、逃げ出したはずの小夏が、そこにいた。

「ねえ、陽介くん」

「なんだよ」

「この前のこと、おばさんに知られたくないよね」

彼女はどこか勝ち誇ったような、人懐っこい笑みを浮かべて陽介に近づいてきた。

それからというもの、小夏はことあるごとに陽介の家に現れた。
いつの間にか母親とも親しくなって、まるで家族のように、リビングで楽しげにお茶を飲んでいた。

ある日、家の買い物を頼まれた小夏は、近くのショッピングモールに出向いた。
偶然にも、アウトドア用品のショップをうろつく陽介を見かけた。
ちょっと猫背の背中に、小夏は声をかけた。

「なにやってんの?」

「なんだ、またお前かよ」

「悪かったわね」

夕飯の時間にはまだ早かった。
フードコートでたこ焼きをつつきながら向き合った。

「うちの叔父さんがさ、会社やってて別荘まで持ってんの。あたしが頼んだら、ヨットの一艇くらいなんとかなるかも」

ふてくされたように、だらしなく座っていた陽介は身を乗り出した。

「マジかよ」

「そのかわりさ、あたしとつきあってよ」

その瞳は、妙に真剣だった。
小夏のことは好きでも嫌いでもなかったが、脳裏に焼き付いて離れない、あの白いハルとマストの幻影に比べれば、安い取引だった。

彼女の叔父は、日焼けした肌に余裕のある笑みをたたえた恰幅のいい男だった。
小夏の一言で、陽介はあっさりと中古のプレジャーボートの使用許可を手に入れた。

「叔父さん子供いないからさ、あたしが可愛くて仕方ないんだって」

どうやら以前から話はついていたらしい。

それからというもの、有頂天になった陽介の毎日は、マリーナへと直行するルーティンに塗り替えられた。
家にもロクに帰らず、磨き上げられたFRPの甲板に寝そべり、幾度となく彼は夢想した。
いつかこのデッキに迎えるべきは、潮風が似合う美女だった。

「あんたさ、船にさわってる時だけ、ほんと楽しそう」

「そうかな……」

そういう小夏が何を考えていたのか、陽介には知る由もなかった。
陽介が見ているのは、いつも海の向こうにある何かだった。

(……居もしない女の影をいつまで追い続けるの)

陽介のかたくなな幻想を引っかきまわして、自分に向き直させたいと、小夏は思っていた。


ある日の午後、陽介がいつものようにボートへ足を踏み入れたとき、デッキの上には、聞き慣れた笑い声が響いていた。
学校の女友達を三、四人引き連れて、小夏はパーティーを開いていた。
音楽が鳴り響き、テーブルには空缶やお菓子の袋が散らばっている。

「おまえら、何やってんだよ!」

陽介の怒声は、潮風にかき消された。
腹の底は煮えくり返ったが、殴りつけることはできない。
小夏は真顔で、陽介を見つめていた。

彼女らを尻目に、彼は備え付けのテンダーボートの縄を解いて強引に海に浮かべた。

「どこ行くのよ!」

無言でオールを荒々しく海面に突き立て、夕陽に沈みゆく水平線に向かって陽介は漕ぎ出した。

しだいに小夏たちのざわめきが小さくなっていく。
夕陽に染まる水平線の彼方、黄金色の帯に向かって、陽介は進んでいった。
残された小夏は、ただ見送るしかなかった。

船から遠ざかるにつれて、青と緑の絵の具を混ぜたような、濁った波へと変わっていった。
ふと、あの夢の感覚が蘇る。
――どれほど海底は深いのだろう。
底知れぬ暗闇に引きずり込まれるような恐怖。

オールを握る手が止まる。
波に揺られながら見上げた夕空の雲が、ふと、どこか寂しげな小夏の横顔に見えた。

息を整え、もう一度オールに力を込める。

(……クソッ!いつか、あいつに飲んでもらうか)

夕陽を飲み込んでゆく海は、気づけばブルーハワイを溶かし込んだようなラムネ色になっていた。🍹🚣‍♂️



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