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帰り道にふと浮かんだ、「このままなのかな」という声

今だから話せる、私の過去の話です。


仕事を終えて、いつもの帰り道を歩いていた。

特別な一日ではなかった。

大きな失敗もなかったし、
誰かと揉めたわけでもない。

やるべきことはこなした。
頼まれたことも終わらせた。
今日もちゃんと一日を過ごしたはずだった。

それなのに。


駅へ向かう途中、
信号待ちをしながら空を見上げたときだった。

ふと、頭の中に言葉が浮かんだ。

「このままなのかな」

自分でも驚いた。

何が不満なのかと聞かれたら、
うまく答えられない。

生活に困っているわけじゃない。
働いている。
ご飯も食べている。
眠る場所もある。

周りから見れば、
十分に普通の毎日だと思う。

だけど、
心のどこかに小さな違和感があった。

変わりたい気持ちはある。
何か新しいことを始めたい気持ちもある。

でも、何をしたらいいのか分からない。

やりたいことも分からない。
得意なことも分からない。
気づけばまた一日が終わっている。

そんな日が続いていた。

昔は、
もっと純粋に未来のことを考えていた気がする。

いつかこうなりたい。
こんなことをやってみたい。
そんなことを紙に書いていた頃もあった。

だけど年齢を重ねるにつれて、
夢よりも予定表を見ることが増えた。

挑戦よりも失敗しない方法を考えるようになった。

気づけば、「できるかどうか」よりも、
「やらない理由」を探すほうが上手になっていた。


休日の午後。
部屋の片づけをしていたら、
昔自分が書いたノートが出てきた。

そのノートを手に取った瞬間、
当時の自分を思い出した。

こうなりたいと思ったこと。
やってみたいと思ったこと。

あの頃の自分は確かにそこにいた。
なくなったわけじゃなかった。
忘れていただけだった。

窓から風が入ってきて、
机の上の紙が少し揺れた。

その様子を見ながら、なんとなく思った。

もしかしたら、

前に進めていないわけじゃないのかもしれない。
止まっているように感じるのも、
何かが終わったからではなく、
次を探している途中だからなのかもしれない。

人は、本当に苦しいときよりも、
少し余裕ができたときに違和感に気づくことがある。

今まで夢中で走っていたから見えなかったものが、
立ち止まった瞬間に見えてくる。

「このままでいいのかな」という問いも、

自分を否定する声ではなく、
本当の気持ちに気づくための入り口なのかもしれない。


私は普段、人の手を見ることがある。

そこで感じるのは、
人生が動き始める前の人ほど、
自分に自信がないということだ。

「私には何もない」

「特別な才能なんてない」

そう話す人ほど、
長い時間をかけて積み重ねてきたものを持っている。

優しさ。

責任感。

続けてきたこと。

誰かのために使ってきた時間。

本人にとっては当たり前すぎて、
見えなくなっているだけだったりする。

だから私は、
未来を当てたいとは思わない。

それよりも、
その人が忘れてしまったものを一緒に見つけたいと思う。

本来の自分を思い出したとき、
人は自然と動き始めるから。


あの日、
帰り道で浮かんだ

「このままなのかな」という言葉。

今振り返ると、
あれは人生を諦める声ではなかった。

もっと自分らしく生きたいという声だったのだと思う。

夜風が少しだけ涼しくなってきた。
信号が青に変わる。

急がなくてもいい。

大きく変わらなくてもいい。

ただ、
自分の声を聞き逃さないようにしながら、

今日もまた歩いていく。

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