「孫に迷惑をかけたくないんだよ。」|若僧の教訓話*35
「お菓子は用意したの?」
「湯呑みは足りる?」
「冷たいお茶の方がいいんじゃない?」
「もう準備しなくて大丈夫?」
九十二歳の祖母は、その日だけで何度も私の部屋へ来ました。
そのたびに私は心の中で思っていました。
「大丈夫だから。」
今日は、そんなお話です。
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✈️ 久しぶりの夫婦旅行
お世話になっております。
記録と闘う修行僧です。
私がお寺へ戻ってきてから、父と母は少しずつ旅行へ行けるようになりました。
長い間、二人でお寺を守ってきました。
でも今は留守番をする私がいます。
「安心して行ってきて。」
そう送り出せることが、私も嬉しく思っています。
祖母は九十二歳。
耳は遠くなり、物忘れも増えてきました。
近くで大きな声ではっきり話さなければ聞こえません。
料理も火を使うことはもうありませんし、車の免許も返納しています。
それでも足腰は丈夫です。
宅急便が届けば、自分で受け取って私の部屋まで運んできてくれます。
だから私は、
「留守中は自分がしっかりしよう。」
そう思っていました。
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🚜 工事中のお寺
ちょうどその頃、お寺では駐車場の工事をしていました。
もともと畑だった場所を掘り起こし、砂利を敷いて新しい駐車場にする工事です。
田舎ではよくあることですが、
工事に来てくださる方へ、午前と午後にお茶とお菓子をお出しします。
父と母から、
「何時頃に。」
「何を。」
「どこへ。」
丁寧に教わっていました。
だから私は、その通り準備を進めていました。
すると祖母がやってきて言いました。
「もう少し日陰へ机を動かした方がいいよ。」
私は答えました。
「今回は、お父さんとお母さんに教わった通りでやってみるね。」
祖母も、
「そう。」
と言って部屋へ戻りました。
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☀️ 三十分に一度
ところが午後になると、太陽の位置が変わりました。
祖母はまたやって来ます。
「やっぱり、あっちへ動かした方がいい。」
しばらくするとまた。
「お菓子は足りる?」
またしばらくすると。
「冷たいお茶がいいんじゃない?」
さらに。
「まだ準備しなくていいの?」
三十分に一回くらいでしょうか。
そのたびに私の部屋へ来ます。
最初は笑っていました。
でも次第に、
「大丈夫だから。」
「ちゃんと聞いてるから。」
そんな気持ちが強くなっていきました。
正直に言えば、
少し嫌でした。
父と母から全部教わっています。
私なりに責任を持ってやっています。
それなのに何度も言われると、
信用されていないような気持ちにもなりました。
そして私は、少し強い口調で言いました。
「大丈夫だから。
お父さんとお母さんから全部聞いてるし、僕がやるから。」
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「孫に迷惑をかけたくないんだよ。」
祖母は少し黙ってから、
静かに言いました。
「孫に迷惑をかけたくないんだよ。」
その一言で、
私は何も言えなくなりました。
祖母は私を困らせたかったわけではありません。
口うるさく注意したかったわけでもありません。
ただ、
自分にもまだできることがある。
そう思いたかっただけだったのです。
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🍵 母から聞いた話
父と母が旅行から帰ってきた後、
私はこの出来事を話しました。
すると母が教えてくれました。
「昔はね。」
「工事の人が来ると、おばあちゃんが全部やってたんだよ。」
日陰になる場所へ机を動かし、
人数を見て湯呑みを並べ、
暑い日は冷たいお茶を、
寒い日は温かいお茶を。
お菓子も少し多めに用意して、
帰る時には必ず、
「ありがとうございました。」
と声を掛けていたそうです。
私は知りませんでした。
祖母にとってお茶出しは、
長年続けてきた大切な仕事だったのです。
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🪞 お節介ではありませんでした
私は、
祖母は口を出しているのだと思っていました。
違いました。
あれは、
何十年も身体に染み付いた仕事だったのです。
料理を作れなくなっても。
車を運転できなくなっても。
耳が遠くなっても。
「来てくださった方を大切にしたい。」
その気持ちだけは、
九十二歳になっても変わっていませんでした。
祖母は、
工事の方を見ていたのではありません。
昔から守ってきたお寺を、
いつものように守ろうとしていたのでしょう。
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🙏 私のお寺ではありませんでした
私は留守番を任され、
「自分が全部やる。」
そう思っていました。
でも違いました。
今のお寺は、
父と母だけが守ってきたお寺ではありません。
祖父がいて。
祖母がいて。
その前にもたくさんの人がいて。
その積み重ねの上に、
今の私があります。
祖父は表でお寺を守ったのかもしれません。
祖母は裏で人を迎え続けました。
その優しさがあったから、
今日までお寺が続いてきたのでしょう。
私はその歴史を知らずに、
「大丈夫だから。」
と言ってしまいました。
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🎐 若僧の教訓
歳を重ねると、
頑固になる。
そう思っていました。
でも違いました。
歳を重ねても、
誰かの役に立ちたい気持ちはなくならない。
できることが減っていくからこそ、
残った一つを大切にしたくなるのかもしれません。
あの日の祖母は、
私に指示をしていたのではありません。
「まだ私にも、このお寺でできることがある。」
そう確かめていたのでしょう。
私はその景色を見ようともせず、
自分の景色だけで物事を判断していました。
人は渦中にいると、
「分かってる。」
「もう大丈夫。」
と言いたくなります。
でも一歩引いて相手の人生を想像すると、
見えてくる景色はまるで違います。
九十二歳になっても、
誰かの役に立ちたい。
その気持ちを教えてくれた祖母に、
私はまた一つ、大切なことを教わりました。
