ブーニンの現在地、そして未来へ
ブーニン〜天才ピアニスト、沈黙からの再生 やっと見る事が出来た
冒頭掛かっていた、沈着した物寂しい呟きの旋律が心を捉えた。バッハ平均律クラヴィーア曲集1巻から22番変ホ短調と知った時、この人は、絶えず孤独とプレッシャーを背負ってきたと感じずにはいられなかった

スタニスラフ・ブーニン。クラシックをあまり聴かない人でも、彼の名は耳にした事があろう。85年、19歳のときモスクワから彗星のようにショパンコンクールに現れ、瞬く間に1位をさらい、一躍時の人となった。衝撃のショパンコンクールと、センセーショナルに報道。 日本でもCDは爆売れし、リサイタルは各地で軒並み完売。追加公演をなんと国技館で敢行した。1万人の第九はあったが、単独リサイタルとなれば今だに後にも先にもブーニンだけである。
行く先々でのフィーバーは凄まじく、 車を並走されたり、思いの丈をアピールした手紙、プレゼント アイドル並みの人気ぶりだった、 19才のナイーブそうな、ひょろ長い青年は 瞬く間に時代の寵児と化した。
ショパンコンクールの映像が。華麗な早弾きを披露しては、禁じられていた拍手喝采を浴びる。これが、世界的に熱狂したピアノだったのか…正直な所、今聞いても感動を共有出来ない。こまやかな弱音や、テンポのゆらせ方等、技術力は今のピアニストの方が圧倒的に上手い。
どうしてこれほどまで人気を勝ち得たのか? ソ連の時代だ。情報が殆ど入って来なかった事が注目を後押しした。彼の周囲はKGBに取り囲まれ、モスクワ音楽院は、金の卵を輸出しては母国の将来が危ぶまれると音楽院以外の演奏を禁止した。既に国内でソリストとして活動したばかりであり、危機を感じた20才のブーニンは、直ちに退学届を出し、89年、ドイツに亡命を遂げた。
その3年後にソ連は崩壊した。今になってみれば、賢明な選択をした。まさか国が消滅するとは予想だにしなかったろうから
然し2000年以降、ブーニンの動静が、話題に上がることは少なくなった。ショパンコンクールの年に、ブーニンの熱狂ぶりが回想される位だった。
日本とドイツに居を構え、1993年奥尻島、95年神戸、2012年仙台と、震災復興コンサートを開いた写真。12年の仙台は、申し訳ない、記憶にない。どこかの学校の体育館だった。非公開だったのだろうか。
それから、13年に異変が起ころうとは
すべてのコンサートをキャンセルする事態に…
以前から糖尿病を患っており、その合併症から来る血流障害で左肩の故障。石灰沈着性腱板炎による左手の麻痺!
更に転倒から左足を骨折、骨が壊疽!切断しかないと言われたがそれではピアニストの生命を絶たれる。結局、壊疽部分を除去する手術を行い、左足は8センチ短くなった。厚底靴を技師に作って貰い、ペダルを踏み何度も調整していた様子を、ドキュメント「それでも私はピアノを弾く」で見た。
2022年八ヶ岳で復帰リサイタルを行うまで、9年もの歳月が経っていた。
ジャーナリストの榮子夫人が、いつも付き添い 見守る。その苦悩たるや如何ばかりであったか
カメラは2025年暮れの大阪、東京公演に密着。
ブーニンは、タキシード姿で会場入りするんですね。本番に向けて集中する時間を少しでも長く取りたい表れ? 大阪でのリハーサルはすべてがダメだと苛立ち、忽ち楽屋に引っ込んでしまった。
贈られた盛り花に鼻を寄せるサービスも。
「帰ったら天ぷら食べたい、東京の天ぷら」日本語で話すブーニンに横から「妻の手料理でしょ」と振る夫人 微笑ましいシーンもあった。
ショパン24のプレリュードから13番嬰ヘ長調
プーランクの小品集
シューマン アラベスク これが一番しっくり来た。穏やかな揺らぎの調べが、現在のブーニンに寄り添っている感じがした。2022年八ヶ岳音楽堂で、最初に弾いたのも、シューマン。色とりどりの小品だった。
雨だれ 別れのワルツ 自宅から持ち込んだファツィオリが、煌びやかさに紗を掛けたように詠う。
響きが硬めなようだ。左手が力づくになる事があると明かした。
当初予定していた別れの曲は、封印した。
その理由を、技術的にこうあるべき姿が頭の中にあるのに、身体が伴わないからと言っていた。引退が囁かれる事への警戒心が過ったのだろうか? こればかりは本人のみ知ることだ。
左足は厚底靴で固め、杖歩行のブーニンは、60才
まだ60才!アクシデントがなかったら、どうなっていただろう。ネームバリューが妨げになる場面は多々あっただろう。
「技術的な完成よりも、感動を与えられるピアニストになりたい」と言っていた。
身体的なハンディが、音楽に対して謙虚な気持ちを引き寄せ、現在のありのままのブーニンの存在価値を高める。
26.1.8 13年ぶりの室内楽。バッハチェンバロ協奏曲4番 ラストに弾いた「主よ、人の望みの喜びよ」からは、困難を乗り越えたブーニンが、なおも未来予想図を描こうとしている姿が透けて見えた。

