未来の人のために考えたい 29本目あの頃は、世界そのものが遊び場だった

子どもの頃、よく遊んでいた。

鬼ごっこ。

かくれんぼ。

だるまさんがころんだ。

缶けり。

凧上げ。

ブランコ。

滑り台。

誰と遊んでいたのかは、あまり覚えていない。

でも、遊んでいたことは覚えている。

不思議なものだ。

人の名前は忘れるのに、凧上げのことは覚えている。

花を摘み、どんぐりを拾い、小石を拾った。

今思えば、小石なんて何に使うつもりだったのだろう。

それでも、少し変わった形の石を見つけると嬉しかった。

子どもの頃は、それで十分だった。

そして、テレビの中の人たちにも憧れた。

戦隊ものを見れば、

「自分もなりたい」

と思った。

でも、アカレンジャーではない。

僕は青レンジャーくらいがいいと思っていた。

主役じゃなくてもいい。

でも、ちゃんと格好いい。

今思えば、子どもの頃から少しだけ控えめだったのかもしれない。

アイドルを見ても、

「自分もなれるかもしれない」

と思っていた。

大人になってから、少しずつ気づいた。

どうやら、自分のスタイルは思っていたものとは少し違うらしい。

気づくのが、少し遅かった。

でも、子どもの頃はそんなことを知らなかった。

だから、自分もなれると思えた。

今思えば、鈍かったのではない。

自由だったのだと思う。

大人になると、できることとできないことが少しずつ分かってくる。

それでも、不思議なことに、子どもの頃は完全には消えない。

例えば銭湯。

広い浴槽を見ると、

「ちょっと泳いでみようかな」

と思うことがある。

そして、本当に少し泳いでしまう。

誰も見ていないことを願いながら。

考えてみれば、あの頃は世界そのものが遊び場だった。

道端の小石も。

花も。

空も。

公園も。

テレビの中のヒーローも。

全部、自分の世界だった。

未来もそうだった。

「自分もなれるかもしれない」

と信じられた。

未来の子どもたちにも、そんな時間が残っていてほしい。

何かの役に立つからではなく、

ただ楽しいから遊ぶ時間。

何者になるか決める前に、

「自分もなれるかもしれない」

と思える時間。

あの頃は、世界そのものが遊び場だった。

そして、未来もまた、

自由に夢を見ることのできる遊び場だったのかもしれない。

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