未来の人のために考えたい25本目 あの小川には、世界があった
子どもの頃、小川を見るのが好きだった。
魚を捕まえたいわけではない。ただ、水が流れているのを見るのが好きだった。
細い水の流れ。光を反射する水面。石の間をすり抜けていく小さな生き物たち。
そこには、人間とは違う時間が流れていた。
大人の目から見れば、ただの溝のような小さな場所だったかもしれない。
でも、子どもの僕には違った。
少し覗き込めば何かがいて、石を動かせば新しい発見があった。
雨が降れば流れが変わり、季節が変われば生き物たちの姿も変わる。
同じ場所なのに、毎日少しずつ違っていた。
そこには確かに世界があった。
でも、大人になると変わった。
道の上で小川に目を向けなくなり、触れる前に「汚れているかもしれない」と理由を探すようになった。
子どもの頃は世界のほうから近づいてきたのに、大人になると自分から世界との距離を取るようになった。
便利な時代になり、遠くの情報をすぐ知れるようになった。
でもその一方で、足元にある小さな世界を見失っているのかもしれない。
大きな海や広い森だけが自然ではない。
小さな虫にも、魚にも、水にも、それぞれの歴史と営みがある。
未来の人へ伝えたい。
世界を見る時、大きなものだけを探さないでほしい。
足元にある小さな場所にも、まだ知らない世界が広がっている。
それは、人間だけを中心にしない世界の見方だったのだから。
もし小魚になれたなら、あの水の中から世界を見てみたいと思う。
水面の向こうに見える空。流れに運ばれていく景色。人間とは違う速さで過ぎていく時間。
きっと僕はもう小魚にはなれない。
あの頃のように、小さな場所を世界だと思える目を、少し失ってしまったからだ。
それでも、時々思い出す。
道の端にあった、あの小川。
そこには確かに、僕の知らない生き物たちの世界があった。
未来の人たちにも、そんな小さな世界を見つける目を残したい。
大きなものだけでなく、足元にある小さな命に気づける感覚を。
世界は遠くにあるものだけではない。すぐ近くにも、まだ見つけられていない世界があるのだから。

