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不器用で失敗だらけの私が、人間の能力について思ったこと

発達障害を抱え、日常生活に困難を抱える私は、人間の「能力」について考えるときがあります。

なぜこんなに物がなくなるのか?
なぜ私がしゃべると場が凍り付くのか?
なぜみんなができていることが私には難しいのか?

最近この思考回路がまた開いてしまったきっかけは、とあるサイトのピアノに関する書き込みを見たことです。

ピアノが弾けないのは言い訳なのか?

  • ピアノを弾こうとして両手の協調操作ができないのは練習しない人の言い訳だ

私は、右手でAボタンを叩きながら左手で十字キーをカチャカチャしたり、左手でドの音を刻みながら右手でCメジャーの和音を弾くことはできます。

多くの人は、はじめはうまくいかなかったとしても、練習すれば指を動かせるようになるでしょう。

でも、すべての人に同じ形で当てはまるとは限らない、とも感じています。
努力をしても人並みの能力を発揮できない人が存在するという事実を、身をもって知っているからです。

それほど力まなくてもできることもあります。
箸を使うこと、文字を読むこと、身体のバランスを取りながら歩けること。

身体にハンディキャップがなければ、ほとんどの人はできると思います。

思った通りに体を動かせる奇跡

散歩しようと、外に出ました。雨上がりの、晴れた日の朝のことです。

私は、強い光に照らされた、水がよくしみ込んだアスファルトの道路を見て、まぶしい!と、思わず手で目を覆いました。

このとき、腕の角度を何度に曲げ、どの高さまで持ち上げたらいいのか、それに手をどこまで顔に近づけたらビンタにならずに目を覆うことができるか、計算しなくても勝手に体が動きました。

ことさらに取り出して説明する意味もないような、ごくふつうの動作です。

でも、このような「当たり前の動作」を、私たちはなぜ当たり前にできるのでしょうか。
よく考えると不思議だな、と思った経験があるのは私だけでしょうか。

大げさだと思われるかも知れませんが、箸を使う能力も、文字を読む能力も、奇跡のような力だと言ってもいいのではないかと思います。

「脳からの電気信号が筋肉の細胞に伝わって筋肉が収縮する」

一般的な、運動が起こる仕組みの説明です。これは、説明になっているようで、なっていません。
なぜ、念じただけで脳のニューロンが発火する(脳が活動を始める)のか、わかっていないからです。

料理の記事や、作文の記事にも書いたように、私は不器用でできないことがたくさんあります。社会的・経済的に言えば、役立たずな存在でしょう。

どうしても、できないことに焦点を当てがちですが、少し視点をずらすと、違う景色も見えてきました。

「当たり前(だと思っている)能力」を取り出して眺めてみると、 私は、すべての人類は、驚くべき力を与えられた存在ではないかとも思うのです。

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