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人は言い訳をする時に頭の回転が速くなる

ジリリリリ、と無機質な目覚まし音が響く。 重い瞼をなんとか開ける。……まだ起きたくない。暖かくて心地よい布団から一歩も出たくない。

昨夜は「明日から毎朝ランニングをして人生を変える!」と、あんなにも固く決意したはずだった。

「でも、待てよ。昨日の疲れが残ったまま走ったら逆に体調を崩すかもしれない。」

「外も冷え込んでいるし、無理をして風邪でも引いたら元も子もない。」

「今日は体力を温存して仕事に集中することこそが、一番正しい判断なんじゃないか?」

ほんの数秒前まで半分眠っていたはずなのに、二度寝を正当化する言い訳だけは一瞬で組み上がる。

今日は「人は言い訳をする時だけ驚異的な頭の回転の速さを発揮する」というテーマについて話していこうと思う。

実はこの現象は、脳の防衛本能のようなもの。
人はコンフォートゾーンという現状という安全で快適な空間を維持しようとする動きを本能的に行っている

だからこそ、快適な空間を乱そうとされた時には、防衛本能としてすさまじい頭の回転の速さでもっともらしい「やらなくていい理由」を作り出すのだ。

火事場の馬鹿力の脳バージョンと言えばわかりやすいだろうか。

仕事や勉強をする時に「部屋の汚れが気になって集中できない」なんて理由で掃除を始めたり、「あのアニメの続きが気になって集中できない」等でアニメを見始めてみたり。

なんとなーくそれっぽい理由をでっちあげて作業から逃げていた事はないだろうか?

私がこの現象を記事のネタとして取り上げる事にしたのは、この「言い訳」がなんとなく根拠がありそうなもっともらしさがあって面白いと感じたからだ。

この現象はnoteの中でもよく見かける

さて、スキ返しついでに多くの記事を読むようになって気付いた事だが、noteの記事でもこの「もっともらしい言い訳」はとてもよく使われていると感じる事が多い。

例えば「noteが売れなかった理由」について書いている記事だ。

端的に言えば、売れなかった有料記事の分析しているような事が書かれてある記事ではある。
しかし、この類の記事には必ずと言っていいほど次の言葉が入る。

記事に問題は無かった

さて、記事に問題が無いなんてなぜわかるんだろう?

あなたは大手出版社の編集長?それとも何度もベストセラー作家の編集に携わった編集者?それとも大人気コラムを書かれていたカリスマライター?

もちろん、全て違います。
記事が悪くないと判断した根拠は、noteで売れている記事と自分の記事を見比べてみて大差ないと判断したから。

そんな所じゃないでしょうか?

しかし、考えてみてほしい。
目の前に同じデザイン、同じ質のバッグが2つ並んでいるとする。

一方は誰もが知っている有名ブランドのロゴが刻まれている。

一方は聞いた事もない無名メーカーのもの。

価格が同じなら、あなたはどちらを買いますか?

当然ブランド品を買いますよね?
なぜなら、ブランドには積み重ねられた信頼と実績があるからです。
ブランドにはそういう歴史が詰まっています。

商品の価値というのは、そういった要素を全て重ね合わせた状態で決まります。

実績も何もない人間の記事と、既に売れている実績を重ねた人の記事が「大差ない」なら売れるわけがないんです。

記事に問題が無い。

この場合にそう言い切れるとしたら、既に売れている人の記事よりも圧倒的に優れている記事だと言い切る事が出来るなら、初めて記事に問題が無いと言えるでしょう。

ま、実際に何をどう判断して記事に問題無いとしたのかはわかりません。

そういった記事には、記事に問題が無いと判断できた根拠が書かれていない場合が多いですからね。

だからこそ思う訳です。

それは「分析」なのか

それとも「言い訳」なのかと

私のここまでの意見を聞いて、自分の記事をけなされたと感じてしまった人も多いのではないでしょうか?

断じて違います。
私は記事をけなしたい訳でも、現実をつきつけて辛い思いをさせたいわけでもありません。

この「言い訳」を「分析」として届けてしまう姿勢が、とてつもないリスクを含んでいる事に気付いて欲しいのです。

それはなぜか?

私はしっかりと根拠を示すことが出来ない事に関しては推測ですとハッキリ言ってから検証や、次の推測を述べていきます。

しかし、それをせずに記事に問題が無いという根拠を提示できないまま、次の話に移ってしまうと、どういう印象になるでしょう?

根拠の無い話が、まるで確定情報のように扱われているように感じませんか?

分析を扱う上で、間違った情報を確定情報として扱ってしまうと信用は地に落ちます。

記事を見る人の中には明確な根拠が提示されていない事に気付く人もいるでしょう。
そうなった時、その瞬間から全ての言葉に説得力が無くなります。
人としての信用も失ってしまうかもしれません。

売れない記事の分析をしたつもりで、さらに売れない原因を作り出しているのです。

本人たちは至って真面目に分析しているのでしょう。
改善したいからこそ真面目に過去と向き合っている。

だからこそ、分析というものを提示するリスクはしっかりと理解しなければなりません。

私は「考える力」「脳の育て方」について伝えています。
その中で、こういった記事を書いている人は少なくともしっかりと考えている。

せっかく考える意識を持っているのに、信用を失っていくのは勿体ないじゃないですか。

こういう間違った分析は冒頭にも伝えた「コンフォートゾーン」が乱されそうな時こそ、発揮してしまいがちです。

それと書いた記事が悪いと認められない気持ちからも言い訳はうまれます。
これは「認知の不協和」と言われています。

間違った分析をしてしまう原因を伝える事で、一度立ち止まって考えてみる時間を作って欲しい。

自分の考えが本当に分析なのかどうか振り返ってみましょう。

【記事末尾に追加する引用元・参考文献一覧】

【本記事で触れた心理学・脳科学の概念】

  • コンフォートゾーン(Comfort Zone)

    • 概要:人がストレスや不安を感じず、慣れ親しんだ安心感を得られる精神的・行動的領域のこと。心理学者のジュディス・バードウィック(Judith Bardwick)らが提唱。

    • メカニズム:人間には生体保全のために現状を維持しようとする生物学的機能(ホメオスタシス/恒常性)が存在する。この領域を脅かされると、脳は防衛本能として変化を拒むための思考(言い訳)を高速で働かせる。

  • 認知の不協和(Cognitive Dissonance)

    • 概要:アメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガー(Leon Festinger)が1957年に提唱した心理学理論。

    • メカニズム:人が自分の持つ「信念・認識」と、それと矛盾する「事実・現実」を同時に抱えた際に生じる強い不快感(不協和)のこと。人間はこの不快感を解消・低減させるために、自分の事実解釈を折り曲げたり、都合の良い理由(正当化・言い訳)を捏造して精神的安定を図ろうとする。

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