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社会人40年目にして初めてクビになった話

2ヵ月前に勤務先から即日解雇の通知が届いて、社会人になって40年目にして初めてクビになった。

大きな理由はなく、相談すれば解決できるはずの細かい理由をいくつかまとめて休日にメールしてきたので、まぁ、僕の存在がどうも邪魔になっていたのだろう。

現在住んでいるイギリス北東部で人気のパン・アジアン(アジア各国の料理をミックスして提供する)レストランチェーンで、経営者である40代の現地の夫婦は、たった10年で一台のキッチンカーから9店舗を築き上げたという、なかなかのサクセスストーリーなのだ。

一昨年、僕が修士課程の勉強のために音楽活動を休止し、ロンドンからこの地方に引っ越してきた際にアルバイトとして入社し、一年ほど週末だけ勤めたのだが、修士を終えてから音楽業界に戻らず、将来のことを考えながら、しばらく「普通の仕事」をしようと思い、ある店舗のマネージャー求人に応募したら正社員として採用された。

その店舗の先代のマネージャーはかなり短気な性格で、仕事現場に於いて従業員に対して怒鳴ったりしていたので、働きにくい環境を生み出していたのだが、僕が入ってからの役目の一つは穏やかで仕事しやすい環境を取り戻すことだった。

そんな役目を託されたのは、年配で20代前後の従業員たちより人生経験を積み重ねてきたこともあったが、更にかつて飲食業界で経験を積んできたからなのだ。

僕は20歳の時から16年間ずっと日本人経営の飲食店に勤めていた。

最初の頃は日本語が流暢でなかったせいのみならず、世間知らずの子ども同然だったのでたくさん怒られて、先輩による苛めも多かった。しかし、どの店も組織として従業員の面倒をちゃんと見る方針で、どの経営者も従業員を「家族扱い」してくださった。

日本食歴2年目で、22歳の時にオーストラリアのパースにあるレストランでバーテンダーとして勤めさせていただいていたのだが、家族の事情で故郷のアデレードに帰ることになり、そこで一人の常連さんの紹介でアデレード市内の家族経営の店で働くことになった。

入社した当初はうんと安い給料で厳しい指導を受けながらうんと長い時間働き、最初の半年ぐらいは料理長に怒鳴られっぱなしだったが、美味しい賄いを食べさせてくれるし、日本語を練習する重要な場所を与えてくれるし、仕事は全くできないのに雇ってもらえて訓練を受け、一人前の「社会人」にしてくれるのをその当時でも有難く思っていた。今振り返るとなおさら、あの経験があって現在の自分があると思うほど尊い経験だった。

バーテンダー・ウエイターとして修行し、しばらくしてからフロアマネージャーになって、更に店のアシスタントマネージャーに昇進し、努力と店に対する忠誠心は報われることを覚えた。金銭的にも報われたのはいうまでもない。

日本文化に於ける仕事現場は確かに西洋に比べて厳しい環境だが、僕の経験では大概の現場に於いて従業員は一人の「人間」として尊重されているのが明らかなのだ。従業員からしたら「働かせてもらっている」のは無論のことで、経営者のほうにも「働いてもらっている」という気持ちがあり、そういう「相互依存」を意識しながら一緒に仕事する点が西洋の経営方針との大きな違いだった。日本のドラマに会社が危機的状況に陥る場面が出たら、社長の決まり文句の「従業員の家族の生活が懸かってるんだ!」は西洋では必ずしも聞かない台詞なのだ。

20年以上前にオーストラリアを離れてイギリスに移住して以来、違う業界で少し働いてから結局自営業でずっと音楽をやってきたので、気づけば飲食業界で日本人ではない経営者の下で働くのは今回が初めてだった。しかし、突然クビになったことで西洋と日本の文化の大きな違いを痛いほど実感した。今回の経験は日本食レストランに勤めた頃とは正反対で、努力も忠誠心も認められず、報われることもなかった。

結局、託された「働きやすい雰囲気を取り戻す」という役目を果たしたところで解雇の通知が届いたのだが、クビになったのは神様からの「飲食業界を辞めなさい」という通知だったと思い、ほぼ2年の活動休止を経て、もうそろそろ音楽業界への復帰を考えているところだ。

しかし、3月に日本に行って神社に参拝した際に、今年が自分にとって厄年だと気づいた。日本国外に住んでいると、そういう伝統的な風習を意識せずに生活しがちだが、厄年に今回のような出来事が起きたのは「風習を馬鹿にするな!気を付けろ!」という合図だと思い、今年中は慎重に前へ進もうと思う。

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