人が存在するだけで価値がある3つの理由
よく人は存在するだけで価値があるっていう。
でもさ、それ、本当に信じられてるか?
ぶっちゃけ、私はその言葉を聞いてから15年くらいは、そう思えなかった。
そう思おうとしてアファメーションしたこともあったけど、いつも
「でもさ、自分にそんな価値なんてあると思えないけどな、てか、価値ってなに?」
「つーかさ、仕事もしないで年金もらってテレビに悪態ついてる毒家族たる祖父、あれも価値あるのか?何の価値よ?」
とか思ってた。
だから正直、人間というかすべてのものは存在するだけで価値があるってのはよくわからなかった。
こういう袋小路に入るのは、まず価値の意味を誤解していること。
価値ってのは社会的に言えば「役に立つかどうか」だ。
私はこの考えが強かったから、テレビの保育係をしている祖父に価値がないと思ったし、対してお金を稼いでない自分も価値があると思えなかった。
でも、価値にはもう一つの側面——存在価値というのがある。
よく心理学とかで言われる「人は存在するだけで価値がある」っていうのは、文字通りこの存在価値のことだ。
最近は違うのかもしれないけど、日本の親や学校は、「こうすべき」とか「こうしてはいけない」というルールを教えることは得意だけど、「あなたのままでいい」という愛情を示すのは下手な傾向がある。
だから、「私は私のままでいい」という体験をあまりできないで大人になった人も多いのだと思う。
そんな状況で育たばどうしても「役に立つかどうか」で自分の価値を測ってしまうのは当然だ。
でも、存在価値というのはそもそも「役に立つかどうか」とは別の話だ。
じゃあ存在価値って何なのか。私なりに考えた結果、三つの理由にたどり着いた。
理由① 今この瞬間の絵を作る唯一のパーツとしての価値
世界を一枚の絵だと思ってほしい。
あなたがいなくても世界は成り立つ、それは事実だ。
でも、今この瞬間に描かれているこの絵は、あなたというパーツがいなければ永遠に存在しない。
例えばあなたが海沿いを走る電車に乗って、窓の外の景色を眺めているとしよう。
あなたがいなくなってもその電車は走るし、外の海の景色は美しいままだ。
でも電車の椅子にあなたが座っているという絵は、あなたがいなければ描かれることはない。
永遠にだ。
その意味で、あなたは代替不可能だ。だからこそ、あなたには存在の唯一性という価値がある。
理由② この世界を観測し創造する存在としての価値
あなたの意識が世界を観測することで、あなたが見ている世界ができあがる。
あなたの目の前にある世界は、あなたにしか見えていない。
例えば友達と小学生の頃の話をしていて「校庭の隅にひまわりが咲いていたよね」とあなたが言ったとしよう。
けれども友達はそんな花はなかったと言ったとき、小学生の頃、校庭の片隅で咲いたひまわりは、あなたの世界だけで咲いていたということになる。
それはあなたが存在することで、校庭の片隅にひまわりが咲いていた世界が一つ創造されているということだ。
あなたがいなくなれば、あなたの見たひまわりの世界は永遠に失われる。
つまりあなたには、観測者としてこの世界を創造しているという価値があるのだ。
理由③ 自分以外の何かに変化を生む価値
道に転がっている石ころでさえ、地面を押すことで何がしかの変化を地面に与えている。
あなたが存在するだけで、周りに影響を与え、変化を生んでいる。
例えば呼吸をして周りの空気を動かしているとか。意図しているかどうかは関係ない。
つまりあなたには、現在進行形で、世界に変化という動きをもたらしているという価値があるのだ。
最後に
存在価値とは、信じるものではなく、構造としてそうなっているものだ。
あなたがそこにいるだけで、今この絵は一枚描かれている。
あなたの見ているひまわりは、あなたが見ていることでこの世界に存在している。
信じられなくていい。ただ、それだけ頭のどこかに置いておいてほしい。
