見つからないサイン
(久しぶりのサインの話です)
先日、地元の大きな大学病院へ知人の見舞いに行った時のことです。目的の病室は15階。ところが1階のロビーに着いた瞬間から、案内のサインがほとんど見当たりません。「本当にたまたま」1階で偶然その知人と出会えたおかげで一緒に向かえましたが、そうでなければ、私は間違いなく迷子になっていたと思います。この体験から感じたことを、少しコラムにしてみます。
サインが「無い、欲しい位置にない、小さい」の三重苦
病院内を歩いてまず感じたのは、サインの絶対数の少なさでした。加えて、あったとしても曲がり角の手前ではなく、通り過ぎたあとに気づくような位置にあったり、文字が小さくて遠くから読み取れなかったりします。
これは例えるなら、道案内をしてくれる人が「え、もう通り過ぎちゃったよ」というタイミングで声をかけてくるようなものです。教えてくれること自体はありがたいのですが、そのタイミングでは遅い。サインは「今から進む方向」を示して初めて意味を持つのに、「今来た方向」を確認させるだけの配置になってしまっているのです。
初めて来る人は、必ず迷う前提で設計されているか
病院という場所は、常連のお客様がいる商業施設とは違い、来る人のほとんどが「初めて」か「久しぶり」です。知人いわく、見舞客はまず一度で病室にたどり着けないとのこと。これはつまり、サイン計画そのものが「利用者は道を知っている」という前提で組まれてしまっている可能性があります。
道路標識で例えるなら、初めて走る道なのに、地元の人しか分からないような略称や通称だけで案内されているようなものです。地元民には便利でも、旅行者にはまったく役に立ちません。病院のサインも同じで、毎日そこで働くスタッフの感覚のまま設計されてしまうと、初めて訪れる患者やご家族には全く届かないものになってしまいます。
エレベーターホールという最大の分岐点
特に大きな病院で迷いやすいのが、エレベーターを降りた瞬間のホールです。何本もの廊下が四方に伸び、しかも似たような色調の壁が続くため、方向感覚が一気に失われます。ここでサインが小さかったり、位置がずれていたりすると、まさに迷路の入り口に放り出されたような感覚になります。
エレベーターホールは、いわば道の「交差点」です。交差点にこそ大きくはっきりした信号や標識が必要なように、人の動線が複数に分かれる場所にこそ、最も分かりやすいサインが必要です。ここが手薄なサイン計画は、残念ながら二流、三流と言われても仕方がないのかもしれません。
誰が作ったのか気になる、その先にある責任
正直なところ、「これは一体どこが手がけたサイン計画なんだろう」と気になってしまいました。病院という、心身ともに余裕のない人が多く訪れる場所だからこそ、サインの分かりやすさは接客と同じくらい重要なはずです。案内板一枚の不親切さが、患者やご家族の不安をさらに大きくしてしまうこともあります。
サイン計画は、建物が完成した後に取ってつけるものではなく、動線設計の段階から一緒に考えるべきものだと改めて感じました。
まとめ
初めて訪れる人が迷わず進めるかどうかは、サイン計画の質を映す鏡です。
