大雪の日、唐突に囁かれた警告の巻っ!Hungarian Rhapsody (53)
↑ ここからの 続きっ!
☆ 旧東欧、撮影禁止場所が多く、西側へ出ても、古いフィルムカメラとはいえ、写真が少なく🙇 皆さんご存じ、有名な場所等には リンク貼りましたので 許してくださいませ~
☆ 主な登場人物(海外友人、先生方)は、「固定ページ」の中に 写真、簡単な紹介を入れてあります。⇓ お手数ですが「この人、誰!?」という時に、ご参照いただけると 幸いです💗
(💗 この記事を 読んで下さる方たちに。2026年の私から・・)
この日のことを、詳細含めて記事にして大丈夫だろうか?
迷いもあったけれど、あれから45年の歳月が流れ、
今なら 書けるかもしれない。
いや、今だから「書き残しておきたい」が私の本心。
(もちろん、問題があれば、即、記事を削除する覚悟の上)
留学中、スケジュールがタイトでも、
時に睡魔と格闘しながら、
A5サイズのノート紙面、1ページは書く、という
自分のルールを守り続けていた。
ノートには「その日見聞きしたこと」を書いてある。
さすがに疲れて 端折ったたことも。
旧東欧、当時のハンガリーで、
これは たとえニホンゴでも
ノートに書き残さない方がよいかもしれない、
そう思って あえて文字にしなかった記憶も 実は少なくない。
先日の「ウィーン行き(往路)、ハンガリーの通貨
フォリント没収事件? もそのひとつ。
これから書く 1980年12月1日のことは、
当時の旧ソ連と 旧東欧(ワルシャワ条約機構=ソ連圏にあった国)
の政治が絡み、ポーランド一国だけの問題にとどまらないほど大きくなっていたと 後から知る。
西側の諜報機関、
USA大統領府などにも
緊迫した情勢が、この日、秘密裏に届いていたという。
そんな背景があったという事実を、ずっと後になってから知り、
母が私家本として 出版(一応、国会図書館には入っているはず)してくれた際も、加筆修正せず、日記に書いてあるままにした。
ハンガリーに暮らしながら学び、カタコトで 必要最小限、
ありきたりのハンガリー語は使うようになっていたが、
私たちが情報を得られるTVやラジオはなく、
新聞や雑誌(学校に新聞はおいてあったけれど、
掲載記事等も、検閲、情報統制されていたと思う)
いずれにせよ、聴きとりも、難しい文章の
ハンガリー語読解も 不自由だった 外国人学生の私(他国友人たちも)は
今でいう「情報弱者」
というより情報を 遮断されているに等しかった。
*************
この日、商社の I さんから聞いた ショッキングな話。
その裏側にある事実を知ったのは、ベルリンの壁崩壊、
東欧革命が始まった 1989年より、
さらに ずっと後。
とくに 外交問題が絡んでいた事実に関して、
自分で調べてわかるくらい 明らかにしてもOKになったのは、
21世紀になり、
これらが「過去の歴史上 事実」と認められてからだと思う。
*******
改めて 事実を再確認すると、戦慄!
よく無事でいられた、と Iさんにも、
幸運にも、すべてに感謝している。
この大雪の日のできごとを、
ネット上で記事にするなら、
歴史背景を知ってから書きたいと思っていた。
それを 今、 ここに書いてみる。(→削除の可能性も覚悟しつつ)
💙何も知らないまま迎えた12月。大雪の朝
12月1日 (月) 雪 のち 曇

♪ 昨日の ドカ雪で本当に Budapest へ行かれるかなと 訝っていた。
それでも、朝 みんなで雪かき❄
コリンの車が 学校裏手から街の道路に出られるように。
ダイアン スーザンと一緒に コリンの運転、いつものステーションワゴンでで出発。
♪ Budapestに向かう 国道5号線には、
ハンガリーの軍隊が動員されて、
滑り止めに 砂を撒いたり、多少 雪かきはしてあるものの、
まだ雪が降り続いている。

♪ ここ1ヶ月ほど 体調不良が続いているダイアン。
不意にみまわれる腹痛の原因を診てもらいに、
Budapestの大きな病院受診を決めた。
親切に、ダイアンの付き添いを申し出たスーザン。
二人を病院前で降ろし、再会場所を確認して一旦別れる。
*******
♪ 私はBuda側、商社オフィスの前で 降ろしてもらい、やはりコリンと再会場所(歯医者に行くので)と時間の確認して別れる。

♪ 懐かしい、ホテルゲレールトのロビーに入り、
何だか 市内電話は少し慣れたのか? 抵抗なく商社オフィスへ電話📞
なかなか繋がらなかったが 、
何度目かのチャレンジで、ついに I さんを呼び出せた。
彼はとても機嫌のよい声で、「食事しましょう!」と。
11時50分にホテルゲレールトの前へ 車で迎えにきてくださる由。
♪ その15分の間に、これまた懐かしい、ホテル近くの郵便局へ行って手紙を1通 投函 。✉
*******
♪ 迎えに来てくれた Iさんの車。こちらは きちんと
雪対策がされたタイヤ🚙
♪ Iさんは 私を、当時最高級ホテル、
ドゥナ・ インターコンチネンタルのレストランへ
連れて行ってくださった。
ハンガリーに来た直後、日本人のビジネスマン お二人に
ランチに連れてきていただいて以来。
♪ ランチ だが・・・奨学金生活、留学生の私には、非常に贅沢な食事。
ハンガリーの定番、グヤシュ(パプリカたっぷりの肉、野菜、赤いシチュー)と、
🐟魚のフライ、タルタルソースがけ をごちそうしてくださる。
見た目も美しく 本当に久々に上質な食事に感激!

💚突如知らされた ”外の世界、衝撃の現実”
♪ Iさんの提案で、食後のコーヒーは、別な所に移動しましょう、と。

♪ 第二次大戦で破壊されたという 歴史ある建物。
長い年月をかけて再建築されたそう。
この年、新装なったばかりの VIGADO(ヴィガドー)
2階のカフェでコーヒー をいただく。☕

♪ いつも明るく、ジョークも交えて会話するIさんの 声色が違う。
小声になった。
(政治が絡む問題は やはり どこにいても 注意する必要があった)
彼の表情も 今まで見たことのない 真剣さで 思わず身構える。
Iさんが 私に話してくれたのは、驚愕の事実だった🔥
「今、ポーランド情勢が かなり深刻になってきている。
(旧)ソ連がポーランドの国境付近に軍隊 、主に 戦車 を配備している。
もしも、 ソ連がポーランド国境を越えて侵攻するようなことがあれば
このハンガリーも 直ちに危険な状況になるだろう。
過去の例もあり、ソ連は、一度火がつくと、
本気で軍事介入する可能性がある。
(前年、旧ソ連は アフガニスタンに軍事侵攻。
過去にも、ハンガリーに軍事介入した「ハンガリー動乱」(1956年)、
「プラハの春」(1968年) いずれも軍事介入で、
民主化の芽は ことごとく 旧ソ連によって摘まれていた)
♪ 食事の時、私は、カナダの友人2人と一緒に、クリスマス休暇に
イタリアへ旅行する予定もIさんに話してあった。


I さんの助言:
西側(イタリア)へ出発する前に、必ず大使館と連絡を取り
大使館に 日本への 帰りの航空券を預けていくこと。

大使館へ預けていった。
旅行中に、万が一のことがあった時は、ウィーンまで戻る。
ウィーンの大使館経由で 航空券を受け取り、
日本に向けて、そのまま帰国できるようにしておくこと。
ハンガリーに置いてある荷物などは 全て忘れること。
自分の身は 自分で守らなければならない。いいね?」

*******
♪ 生まれてこの方 、国境や軍事侵攻 など
微塵も感じない日本で 安穏と過ごしてきた 私にとっては
本当に初めての経験。
Iさんの話に、かなりのショックを受けた。
けれど、ネットも TVもラジオも、言葉の不自由さゆえに、
私たち 外国人留学生は「情報を ほぼ遮断されているに等しい」=
何も知らなかった。
おそらく イタリアに一緒に行こう、と言っている
カナダの友人達、学校の学生仲間たちは 知らない可能性が高い。
I さんに教えられ、警告をうけた事実は、カナダの友人達にも
伝えなければ・・・
身の引き締まる思いで、私は I さんの言葉に 黙って 頷くほかなかった。

********
💛(参考)1980年11月半ば以降の
ポーランドをめぐる 世界情勢 後日談
🚙 商社駐在員のように 西側、東側を往来して仕事をしている人たちは、
BBCの短波放送や、ウィーンなど 西側で 世界情勢に関する情報に
触れる機会があったはず、と 調べてみてわかった。
☆ そして この12月1日。
旧ソ連の首脳(ブレジネフ書記長を中心とする政府)は、
ポーランドで この1980年夏に 初めて「ワレサ」が結成した
労働者層の組織「連帯」が
急拡大していることを 非常に懸念していたという。
ワルシャワ条約機構(旧東欧諸国)から ポーランドが抜けてしまうのではないか? という焦りもあって💦
本当に ポーランド国境をぐるりと 取り囲むように、ソ連だけでなく
ワルシャワ条約機構の国から 軍隊、戦車などを配備するように
命じて、いつでも ポーランドに侵攻できるように 準備を完了した・・・
その極秘事項が、CIAなどの情報機関を通じて、USA ワシントンの大統領府にも 緊急告知された「その日」だったという。
(調べてみたら そのような日付まで 出てきて 戦慄!)
♪ 12月5日には、モスクワに 旧ワルシャワ条約機構の国々のトップが
極秘で緊急招集され、
その場で、ポーランド政府は、ソ連(ブレジネフ)から
これ以上「連帯」を のさばらせてはいけない。何とかしろ! と
強く命じられた由。
♪ けれど、実際には USAなどの動きもあり、
さいわいにも この時は
ソ連が ポーランド国境を越えて
軍事介入することは なかった。
私たちも 無事に クリスマス休暇を イタリア (陸路で)で
過ごすことができた。(また いろいろエピソードは満載だが💦)
♪ ちょうど1年後、1981年12月に、ポーランド政府は、自ら
ワレサを拘束、連帯を 自国でつぶしにかかったのだが・・・
それから 8年後。
ベルリンの壁崩壊に代表される、東欧諸国の
民主化が 一斉に始まる。

💗 I さんの 思いやり
♪ Iさんとお会いした この時は その背景、
詳細まで 理解できず、
I さんも(たとえ ご存じだったとしても)
私を過度に怖がらせないように、詳しい情勢を
そこまで 私に伝えることを
あえて控えてくださったのかもしれない。
今思えば「東西冷戦の危機」に初めて対峙した私への
心からの気配り、だったと感じる。
*******
♪ 怖い話を聞いた 23歳の私=
これが現実、というのはショックだが、本当に
今日、I さんに お会いできてよかった。
全て ご馳走していただいた上、
クロークではコートを着せてくださる 気遣い。
私の壊れた腕時計の修理はまず ブダペストで試すべし、のこと。
おまけに差し入れ! と、
昨日のウィーン 出張で仕入れてきたばかり という
カレーうどんと味噌ラーメン 2袋ずつ。
チョコレート 1枚とりんごの入った袋まで頂いてしまった。


もう言葉に尽くせないくらい感謝💗
帰りは ヴァーツィ(Wienの意味)通りの入り口あたりで、
私なり、精一杯の お礼の言葉を伝え、I さんとお別れした。
I さんの「無事でいてほしい・・・」 という
温かい気持ちが 言葉を介さずとも
十二分に伝わってきて
涙が出そうだった。
♪ 雪のBudapestの街角、
Iさんの車が見えなくなるまで、
私は 心の中で「ありがとうございました」 と
何度も何度も
繰り返していた。

♪ Iさんとお別れした後、私は待望の ミュージックショップへ
ここで ここでダイアン 、スーザン とも 合流できた。
今日はポケットスコア 17冊で日本円 6165円くらい !
(日本では信じられない低価格)
🦷歯医者さんへ
♪ VIGADOの脇で コリン と待ち合わせていた。
車に乗せてもらい、例の「犬のいる歯医者さん」へ。
前回みつかった「虫歯」の治療1本終了。
あともう一回だけ受診が必要。
お支払いは完了時に、だそう。

♪ 歯医者さんの後、
私を乗せた コリンの車は、リストアカデミーの前で、
再び ダイアンとスーザンも拾って、Kecskemetへの帰路につく。
💜雪の中、タイヤがパンク!!
♪ ところが、その直後、なんと 雪道でタイヤがパンク !
雪は、ほぼ止んだけれど、夕闇が迫る 極寒の中、みんなで協力して
パンク修理をした。

♪ パンク修理途中 、わけのわからないハンガリー人の
おじさんが通りがかる。
私のことを 突然 「日本人形!」=Japán babaと言って立ち去っていった
♪ flat tire(パンク)修理は 無事に終えたが、日が暮れて暗くなった。
♪ 再び 凍りついてツルツルの道。
時々 少し左右にスリップしながら帰ってきた。

💖 無事 帰ってこられた!
とにかく怖くて、ひたすら無事につけますようにと祈り続けた。
♪ 何しろ 国道と言ってもガードレールもない部分が 結構多く、
今朝も スリップして 路肩から1~2m 下の畑へ転落したトラックを目撃💦
♪ 本当に怖かったけれど、無事に寮に戻れて よかった。
コリンも恐ろしい運転、どうもありがとう。
パンク修理までしたから、疲れ方も 普通ではないと思う。
♪ 実家の妹から手紙 ✉
なんと2週間もかかっている!
こんなに遅れている郵便事情は、この雪のせいだろうか?
♪ すさまじい一日だった。
今日、I さんから 聴いた話は、明日、カナダの友人たちに話すつもり。
いろいろありすぎて、自分の頭の中の整理が 追いつかない。
また明日 授業で早いので今日はこれで おやすみなさい💤
明朝、指揮法授業、うまくいきますように。
(続く)
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