【ふくろうの目】 🦉
今日は、少し違った角度から、私が大切にしている「生きる哲学」を、あなたにお話ししたいと思います。
ふくろうの目は人間の目と違って、眼球を左右に動かすことができません。
その代わり、首を270度も回すことができます。
哲学的には、これは「一点を深く見つめる集中力」と「周囲をすべて見渡す客観的な視点」の両方を持っている状態といえます。
一つのことにこだわりすぎず、広い視野で世界を見ることの大切さを象徴しています。
物事の本質を見抜き、時代が過ぎ去ったあとに真理を理解する。
そんな姿勢も、ふくろうには重ねられてきました。
日本では、ふくろうは古くから縁起のよい鳥とされ、さまざまな当て字が用いられてきました。
「不苦労」は、苦労しないという願い。
「福来郎」は、福が訪れるという祈り。
「福老」は、幸福に年を重ねるという祝福。
そして「福籠」は、福を籠に集めるという、縁起のよい意味として、古代から伝えられています。
また、ふくろうの目が哲学の象徴とされる理由は、その驚異的な夜視力と、古代からの神話的背景が「真理を追求する哲学者の姿」と完全に一致したからです。
哲学における「光」は理性や知識を、「闇」は無知や混乱を意味します。
だからこそ、私は思うのです。
人生もまた、昼間だけを歩くものではありません。
誰にでも、先が見えない夜があります。
病気になった夜。
大切な人を失った夜。
仕事を失った夜。
心が折れて、生きる意味さえ見えなくなった夜。
私自身、その長い夜を何度も歩いてきました。
そのたびに気づいたことがあります。
人は明るい場所では、多くのものを見ることができます。
しかし、本当に大切なものは、暗闇の中でしか見えないことがあります。
ふくろうは、夜を恐れません。
暗いから飛べないのではなく、暗いからこそ見える世界を知っているからです。
私たちも同じではないでしょうか。
順調な人生では見えなかった人の優しさ。
健康だった頃には気づかなかった、当たり前の幸せ。
苦しみの中で初めて知る、自分自身の弱さと強さ。
それらは、人生という夜が教えてくれる贈り物なのです。
私がうつ病で何も見えなくなったときに、そっと手を差し伸べる人がいました。
思わず涙がこぼれました。
「こんな優しい人も世の中にはいるんだ。」
あの日の光景は、今でも忘れることができません。
私は初めて、人の温もりを心の底から感じたのです。
自分だけを見て苦しんでいたこともあります。
誰もが、悩みを持って生きていることなどに気づきもしませんでした。
それほど、自分という小さな枠の中で、苦しんでいました。
少しずつ視野が広がるにつれ、私の心も回復していきました。
すると、それまでモノトーンだった景色が、少しずつ色を取り戻していったのです。
以前の私は完璧主義で、自分の思いがすべて正しいと思い込んでいました。
「完璧でなければならない」という思い込みこそが、私を苦しめていたのです。
望んでもいない結果、措置入院となり、閉鎖病棟で過ごすことになりました。
それぞれの人が暮らす毎日、人の心には裏表があることを知ったとき、私は悲しみました。
花にも空にも、動物にも、人をだます心はありません。
季節が来たら、花は咲きます。
自然は、何も求めることなく、私たちに癒しを与えてくれます。
空を見上げると、雲や月が静かに力を与えてくれているような気がします。
私は、自分を見つめているつもりでしたが、本当は心の根をしっかり張れていなかったのだと思います。
だから、自らを見つめ直し、また、初心の心を持って歩きます。
そして私は今日も、ふくろうのように生きたいと思っています。
一つの出来事だけで人を判断せず、自分の感情だけで世界を決めつけず、明るい場所だけではなく、暗い場所にも目を向けながら。
首を少し回してみるだけで、昨日まで見えなかった景色が見えてくることがあります。
もし今、あなたが人生の夜の中にいるのなら、焦らなくても大丈夫です。
夜を見る目を持つ者には、朝もまた、誰より美しく見えるのです。
私は、そのことをふくろうから教わりました。
だから今日も、少しだけ首を回して、世界を見つめていたいと思います。

Photo & Philosophy by donchan
いいなと思ったら応援しよう!
有効活用!活きた🩵に、且つ、みなさんのために有意義な事を発信します💪