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金融資本主義化というレッテルの虚妄

 現代のグローバル経済を語る際、「金融資本主義化」という言葉が、あたかも21世紀特有の新しい変質であるかのように語られることが多い。先進国がこぞって量的緩和に踏み切り、実体経済を置き去りにしてマネーが膨張する様を、私たちは未曾有の事態と錯覚しがちだ。しかし、その虚飾を剥ぎ取れば、そこに見えるのは17世紀のオランダや1920年代のアメリカと何ら変わらぬ、普遍的な「過剰流動性の暴走」である。

 1630年代のチューリップ・バブルを支えたのは、貿易の成功と戦時資本の逃避による貴金属流入、そしてアムステルダム銀行による貨幣供給の拡大だった。1929年の「暗黒の木曜日」の前夜も、緩和的な金融政策と過剰な証拠金取引が株式市場にガソリンを注いだ。これら歴史的な投機狂乱と、21世紀の量的緩和(QE)がもたらした資産価格の高騰は、本質において地続きである。低金利によって「現金の価値」が毀損され、行き場を失ったマネーが利回りを求めて資産へ殺到する力学は、対象が球根から株式、暗号資産へと姿を変えただけに過ぎない。

 真に批判されるべきは、この「金融資本主義化」というレッテルが、格差を固定化する強力なイデオロギーとして機能している点にある。「金融の高度化」という装飾は、単に金を右から左へ動かして得た収益を、額に汗する労働と同等、あるいはそれ以上に価値ある「正当な果実」へとすり替えた。この言説は、資本が生む利益への課税や所得再分配の議論を「市場の効率性を損なう」として封じ込め、富の偏在を正当化する盾となっている。

 「今回は違う」という言葉は、過去のあらゆるバブル崩壊の直前に囁かれた呪文である。現代経済を特別なフェーズと捉える虚妄は、歴史の教訓を覆い隠すだけでなく、再分配という政治の責務を放棄させる装置と化している。膨らみ続ける不健全なマネーを「時代の必然」と呼ぶ欺瞞を、今こそ直視すべきである。

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