課長オンライン継続中
課長、会議を切り忘れる
オンライン会議が終わった。
「では、本日は以上です。お疲れさまでした」
課長がそう言い、参加者たちは次々と退出していく。

僕も画面を閉じようとしたが、資料を保存するため少しだけ残っていた。
画面には課長のアイコンだけが残っている。
課長はまだ会議を切っていない。
数秒間、何も聞こえなかった。
そして突然、課長の小さな鼻歌が始まった。

最初は何の曲かわからなかった。
しかし、徐々に声が大きくなっていく。
尾崎豊だった。
しかも、かなり本気だった。

普段の課長は冷静である。
会議中も表情を変えず、
「進捗率は何%ですか」
「そのリスクは誰が持つんですか」
「結論からお願いします」
と、社員の心を静かに削ってくる。
その課長が今、部屋のどこかを歩き回りながら、魂を込めて尾崎豊を歌っている。
サビに入った。

声量が一段上がった。
机を叩く音まで聞こえる。
どうやら課長の中で、何かが完全に解放されている。
僕は退出するタイミングを失った。
ここで抜ければ、課長に「聞かれていた」と気づかれるかもしれない。
しかし、残り続ければ最後まで聞くことになる。
僕は無音のまま、課長の熱唱を見守った。
すると、退出したはずの同僚が一人戻ってきた。
続いて、もう一人戻ってきた。
画面の参加人数が、少しずつ増えていく。

誰もしゃべらない。
誰もカメラをつけない。
ただ全員で、課長の尾崎豊を聞いている。
二番に入った。
課長はもう止まらない。
部長まで戻ってきた。

そしてチャット欄に一言だけ書き込んだ。
「声、出てるね」
その瞬間、歌が止まった。
長い沈黙。
課長のマイクから、かすかな呼吸音だけが聞こえる。
誰も何も言えない。
すると、若手社員が勇気を出してチャットに書き込んだ。
「課長、今度みんなでカラオケ飲み会に行きましょうか」

少し間があって、別の社員も続いた。
「尾崎縛りですか?」
「私は『15の夜』いけます」
「部長は何を歌うんですか?」
チャット欄が急に盛り上がり始めた。
課長はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で言った。
「……尾崎縛りにはしません。皆さんの好きな曲で」
その声は、会議中より少しだけ優しかった。
翌週の金曜日。
僕たちは全員でカラオケに行った。
課長は最初こそ遠慮していたが、三杯目のハイボールを飲み終えると、静かにマイクを握った。

イントロが流れる。
全員が笑顔で手拍子を始める。
あの日、課長が会議を切り忘れたおかげで、
僕たちの職場には、少しだけ歌いやすい空気が生まれた。

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 