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【日本歴史の欠片"kakera" vol.14】1000年の切実な祈りが息づく、日本の夏祭り(前編) ~その正体は"三大怨霊鎮め"だった~

夏といえば、以前vol.12で花火を紹介しましたが、今回のテーマも夏の風物詩、「夏祭り」です。 太鼓の音、屋台の匂い、浴衣姿の人たち——夏祭りと聞くと、多くの人が楽しく賑やかな 情景を思い浮かべると思います。けれど、その起源をたどってみると、実は正反対の、 かなり切実な理由から始まっていました。今回は内容が盛りだくさんなので、前編・後編の 2回に分けてお届けします。

日本三大祭りは、実は"三大怨霊鎮め"祭りでもあった

平安時代、疫病が流行すると、それは非業の死を遂げた人々の怨霊による祟りだと 考えられていました。そこで、その霊を鎮め、慰めるために行われたのが「御霊会(ごりょうえ)」 という儀式です。そして驚くことに、日本三大祭りと呼ばれる「祇園祭」「天神祭」「神田祭」は、 いずれもこの"怨霊鎮め"を起源に持っています。

祇園祭(京都・八坂神社) 貞観11年(869年)、都で疫病が大流行した際、当時の国の数にちなんで66本の矛を立て、 祇園社の神輿を神泉苑へと送り、疫病を封じ込めたのが始まりです。祀られているのは、 荒ぶる神「牛頭天王(ごずてんのう)」。その強大な力で、他の悪疫を退けてもらおうという 発想です。天禄元年(970年)からは毎年の恒例行事となり、今や"動く美術館"と称される 豪華な山鉾巡行へと発展しました。 祇園祭ならではの見どころが「粽(ちまき)」。笹の葉で包んだお菓子を想像するかもしれませんが、 実は食べ物ではなく厄除けのお守りです。各山鉾町が独自のデザインで手作りし、玄関先に 一年間飾ることで、厄病や災いから家を守るとされています。人気の山鉾のちまきは、 早々に売り切れてしまうこともあるほどです。

天神祭(大阪・大阪天満宮) 祀られているのは、学問の神様として知られる菅原道真。しかし道真は元々、 政争に敗れて太宰府へ左遷され、失意のうちに903年に亡くなった人物です。 その後、都では疫病や異常気象が相次ぎ、道真の左遷に関わった貴族たちが 次々と亡くなり、930年には御所に落雷が起きて多くの死傷者を出す事件まで 発生しました。これらはすべて道真の祟りだと恐れられ、その怒りを鎮めるために 天神として祀られたのが始まりです。学問の神様という親しみやすいイメージの裏に、 実はこれほど激しい"怨霊封じ"の物語が隠れていました。 天神祭ならではの見どころが「御迎え人形(おむかえにんぎょう)」。船渡御を迎える船に 飾られた大型の人形で、江戸時代に流行した歌舞伎や浄瑠璃の登場人物をかたどっています。 江戸後期には50体以上が作られましたが、現存するのは16体のみ。今は令和の祭りに、 江戸の流行がそのまま姿を残しているのです。

神田祭(東京・神田明神) 祀られているのは、平安時代に関東で反乱を起こした武将・平将門です。京都で 討たれた将門の首は晒されましたが、伝説では、その首が東国の身体を求めて 空を飛び、関東まで戻ってきたとされています。以来、その首塚の周辺では 疫病や異変が相次ぎ、将門の祟りだと恐れられました。1309年、その霊を鎮めるために 神田明神に祀られたのが、神田祭のルーツです。 神田祭ならではの見どころが「附け祭(つけまつり)」。仮装行列や踊り屋台からなる 出し物で、江戸時代から各町会がその時々の流行を取り入れて競い合ってきました。 2015年には、江戸時代に人気だった「浦島太郎」の演目をアニメ調のデザインで 復活させるなど、時代の流行を映し続けるという性格は、令和の今も変わっていません。

牛頭天王という荒ぶる神、学問の神となった菅原道真、そして武将・平将門。 祀られる存在はそれぞれ違いますが、"恐ろしい力を鎮め、味方につける"という 発想は共通しています。今、華やかな夏の風物詩として親しまれている祭りの奥に、 これほど生々しい"怨霊"の記憶が眠っているとは、調べていて驚きました。

盆踊りも、実は死者供養だった

祭りといえば欠かせない「盆踊り」にも、同じような背景があります。盆踊りのルーツは、 平安時代に空也上人が始めたとされる「踊り念仏」。念仏を唱えながら踊るこの修行は、 やがて民間に広まる中で、歌に合わせて踊る「念仏踊り」へと形を変えていきました。 これがお盆の行事(盂蘭盆会)と結びつき、ご先祖様の霊を迎え、供養し、 あの世へと送り出すための踊りとして定着したのです。

踊りながら足を強く踏み鳴らす仕草にも、意味があります。これは、悪霊や死霊を鎮め、 死者を極楽浄土へと導くための所作だと考えられていました。今、盆踊りの輪に入って 楽しく踊っている足取りが、かつては死者を送り出す祈りの動作だったとは、 なかなか想像がつきません。

盆踊りの中でも特に有名なのが、徳島県の「阿波おどり」、岐阜県の「郡上おどり」、 秋田県の「西馬音内(にしもない)盆踊り」の"日本三大盆踊り"です。同じ盆踊りでも、 それぞれ驚くほど個性が違います。阿波おどりは、二拍子のシンプルな動きで前へ前へと 進む"行進型"。「連」と呼ばれるチーム単位で踊り、パフォーマンス性の高さで 全国的な人気を獲得しました。郡上おどりは、江戸時代から続く"参加型"の盆踊りで、 誰でも自由に輪に飛び込める気さくさが魅力。夜通し踊り明かす「徹夜おどり」でも 知られています。一方、西馬音内盆踊りは"鑑賞型"。少女がかぶる黒い頭巾と、 大人の女性がまとう端縫い衣装が独特の妖しさを漂わせ、「亡者踊り」の異名を持つほど。 700年の歴史を持つとされ、死者供養という盆踊り本来の空気を、今も色濃く残しています。

神輿は、神様の乗り物

祭りでよく見かける「神輿(みこし)」も、名前の由来を知ると納得です。複数人で担いで 人を乗せる乗り物を「輿(こし)」と呼び、そこに神様を乗せることから「神輿」と 呼ばれるようになりました。祭りの日、神輿が地域を練り歩くのは、普段は神社に鎮座する 神様が、その日だけ町へと"お出かけ"している姿なのです。

浴衣は、元々"お風呂の中で着るもの"だった

夏祭りに欠かせない「浴衣」にも、少し意外なルーツがあります。名前の由来は 「湯帷子(ゆかたびら)」。平安時代、貴族が入浴する際に着ていた麻の着物のことで、 当時の入浴は蒸し風呂が主流だったため、火傷や裸を見られることを防ぐ目的で 着用されていました。つまり浴衣は、元々"お風呂の外で着るもの"ではなく、 "お風呂の中で着るもの"だったのです。

その後、安土桃山時代あたりから、通気性や吸汗性の良さから湯上がりに着る、 今のバスローブのような使われ方に変化。江戸時代に入ると、木綿が普及し、 銭湯文化が庶民の間に広がったことで、湯帷子はやがて「浴衣」として定着し、 銭湯の二階で汗を拭うための室内着から、次第に外出着へと役割を広げていきました。 お風呂の中の着物が、時代を経て夏祭りの晴れ着になったとは、なかなか面白い変遷です。

実際に訪れる:日本三大祭り

祇園祭は、毎年7月1日から31日まで、京都市内で1ヶ月にわたって行われます。 最大の見どころである山鉾巡行は、前祭が7月16日・17日、後祭が7月23日・24日の 2日間ずつ。前夜祭にあたる「宵山」は、前祭が7月14日〜16日、後祭が7月21日〜23日で、 特に前祭の宵山は祇園祭最大の人出を記録し、四条通・烏丸通が歩行者天国になり、 約180もの露店が並びます。混雑を避けたい場合は、人出が比較的少ない後祭の宵山を 狙うのも一つの手です。

筆者自身、実際に祇園祭で京都を訪れたことがありますが、とんでもない人出と暑さで、 なかなか"熱い"夏を過ごしました。そんな時は、vol.6で紹介した京都の「川床」で涼みながら、 祭りの合間に一息つくのもおすすめです。

天神祭は、毎年7月24日・25日の2日間、大阪天満宮を中心に行われます。25日の 本宮では、約100隻もの船が大川を行き交う「船渡御」と、19時半から打ち上げられる 奉納花火が最大の見どころ。水の都・大阪らしい、川を舞台にした華やかな夏祭りです。

神田祭だけは、少し事情が異なります。実は隔年開催で、大規模な「本祭」は 奇数年のみ。2026年は本祭のない「蔭祭(かげまつり)」にあたり、5月14日・15日に 献茶式や明神能といった神事が中心に行われます。開催時期も5月であるため、 厳密には"夏祭り"ではありませんが、江戸を代表する祭りとして今も受け継がれています。

後編では、七夕のルーツや、世界各地の夏祭りとの比較、そして筆者自身の 夏祭りの思い出をお届けします。お楽しみに。

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