【日本歴史の欠片"kakera" vol.17】軽井沢と知床、二つの"涼"の物語 ~外国人が"発見"し"育んだ"涼、自然と市民が"守り抜いた"涼~
連日の酷暑が続いていることもあり、前回に続き「涼」をテーマにお届けします。
今回は 日本屈指の避暑地・軽井沢と、北海道・知床という、二つの"涼"を紐解きます。一方は 外国人が"発見"し育んだ涼、もう一方は自然と市民が"守り抜いた"涼——同じ日本の 涼しい場所でも、その成り立ちは驚くほど対照的でした。
軽井沢を"発見"したのは、日本人ではなかった
軽井沢が避暑地として名を馳せるようになったきっかけは、実は日本人ではなく、 一人の外国人宣教師でした。カナダ生まれの英国国教会宣教師、アレキサンダー・ クロフト・ショーです。
明治19年(1886年)の夏、軽井沢に長期滞在したショーは、 その涼しさと美しさに感激し、軽井沢を「屋根のない病院」と絶賛しました。1888年には 自ら旧軽井沢の大塚山に別荘を建設。これをきっかけに、多くの外国人宣教師や外交官が ショーの後を追うように別荘を構えるようになり、軽井沢は日本有数の避暑地として 発展していきました。今の"軽井沢らしさ"の原点は、日本人の避暑文化ではなく、 外国人の目線から始まっていたのです。
実は世界共通だった、"外国人が避暑地を作る"というパターン
ショーによる軽井沢開発は、日本だけの特殊な出来事ではありませんでした。19世紀、 イギリス統治下のインドでは、軍が避暑・療養・子弟教育のために涼しい山岳地帯へ 拠点を築く「ヒルステーション」という都市開発が行われていました。代表格が、 ヒマラヤ山麓のシムラです。イギリス軍がインドとチベット・中国を結ぶ戦略ルートを 調査中に"発見"したことがきっかけで駐屯地となり、植民者たちは沿岸都市の酷暑と 多湿から逃れるため、自らのバンガローを建てて避暑地を築いていきました。この 避暑の慣習は、後にインドネシアやマレーシア、ベトナムなど、東南アジアの 欧米植民地にも伝わり、各地に高原避暑地が形成されていったといいます。
つまり、19世紀から明治期にかけて、"外国人が涼しい山を見つけ、別荘を建て、 避暑地を作る"というパターンは、インドのシムラから軽井沢まで、世界各地で 繰り返されていたのです。
軽井沢もまた、そうした世界的な"避暑地の作り方"の 一例だったと考えると、日本の避暑文化の見え方も少し変わってきます。
なぜ軽井沢は涼しいのか
軽井沢の別荘地の多くは、標高およそ1000m以上に位置しています。関東平野から 吹いてきた風が、碓氷峠の標高差およそ600mを一気に駆け上がることで上昇気流となり、 気圧が下がって空気が膨張、温度が下がることで霧が発生します。この"霧下気候"の おかげで、軽井沢は年間およそ100日も霧に包まれ、特に7月は23日間、8月は20日間が 濃霧の日。8月の平均気温は20.5℃と、東京より5.5℃も低く、これは東京の5月下旬〜 6月上旬に相当する涼しさです。標高と地形が生み出す、自然の"天然クーラー"でした。
軽井沢が育んだ、二つの有名な物語
避暑地としての軽井沢は、数々の有名なエピソードの舞台にもなってきました。
一つが、上皇陛下と美智子さまの"軽井沢テニスコートの恋"です。1957年8月18日、 軽井沢会テニスコートで行われたハンディ・トーナメントで、当時皇太子だった 明仁殿下と、正田美智子さんがペアの相手として対戦したのが出会いのきっかけ でした。粘り強い美智子さんのテニスに苦戦しながらも意気投合したお二人は、 その後も試合の後にお茶(ココア)を共にするようになり、1959年4月にご結婚。 軽井沢という避暑地文化が育んだ、日本を代表するロマンスの舞台でした。
もう一つが、ジョン・レノンと軽井沢の物語です。1976年、オノ・ヨーコの母・ 小野磯子さんから万平ホテルに「私の娘と婿がいきますからよろしく」という 電話が入りました。ホテル側は、ごく普通の小野家の親族が訪れるものと 思い込んで待っていたところ、現れたのはジョン・レノンとオノ・ヨーコ本人 だったといいます。以来、レノン一家(オノ・ヨーコ、息子ショーンとともに)は アルプス館128号室を定宿に、1976年から1979年まで4年連続で夏を軽井沢で 過ごしました。
カフェテラスのお気に入りの席では、必ず伝統のアップルパイと ロイヤルミルクティーを注文。ロイヤルミルクティーは実は元々メニューになく、 レノン自身がレシピを教えたことがきっかけで定番になったという逸話も。 ホテルのピアノを気に入り、何度も弾いていたレノンが「譲ってほしい」と 申し出たという話も残っています。町では自転車で散策する姿もたびたび 目撃されており、地元の人と交流していた記録も残っているそうです。

知床:開発を跳ね返した土地
一方、まったく違う成り立ちで涼を保ってきた土地が、北海道・知床です。平成17年 (2005年)7月17日、知床は世界自然遺産に登録されました。評価されたのは、大きく 二つの登録基準です。
一つは「生態系プロセス」(登録基準ix)。流氷が運んでくる栄養分がプランクトンを育て、 それがアザラシや海鳥、オオワシといった命へとつながっていく、海の豊かな食物連鎖です。 さらに、川を遡上するサケが山の生き物たちの餌になり、死んだ後もその亡骸が森を 豊かにする——海と陸の生態系が、切れ目なく繋がり合っている点が評価されました。
もう一つは「生物多様性」(登録基準x)。シマフクロウやシレトコスミレといった 世界的な希少種、サケ科魚類、トドやクジラなどの海棲哺乳類、希少な海鳥や渡り鳥に とって、知床は世界的に重要な生息地とされています。
こうした"手つかずの自然"は、放っておいて自然に残ったものではありません。 実は知床は、二重の意味で開発を跳ね返してきた土地でした。まず1914年、 知床半島の岩尾別地区に最初の開拓者が入植します。しかし水利の悪さと、 地中を覆う無数の転石のせいで、畑として使える土地はごくわずか。1925年には 一度全戸が撤退し、その後も1935年、1949年と、戦前・戦後を通じて合計3度の 入植が試みられましたが、いずれも失敗。1966年には岩尾別開拓地に残っていた 24戸が集団で移転し、この地から人の手による開拓はすべて姿を消しました。 52年にわたって挑まれた開拓を、土地そのものが跳ね返し続けていたのです。
そして、この撤退のあとに残された放棄農地に、今度は人間の意志が動き出します。 1960年代以降、知床にもリゾート開発の波が押し寄せ、業者による放棄農地の買い占めが 進んでいました。これに対し1977年、当時の斜里町長・藤谷豊四郎が提唱したのが、 イギリス発祥の「ナショナル・トラスト運動」に着想を得た「しれとこ100平方メートル 運動」です。100平方メートルあたり8,000円の寄付を募り、幌別・岩尾別地区の 放棄農地を買い取って森に還すという、市民参加型の土地買い取り運動でした。
1987年には、保護区に隣接する国有林の伐採計画が林野庁から発表され、大きな 反対運動が起こる場面もありました。一部伐採は実施されたものの、その後計画は 撤回され、1990年にはこの一帯が「森林生態系保護地域」に指定されています。 1997年までに約49,000人、5億2000万円もの寄付が集まり、対象地のほぼ全域を取得。 2010年には目標地の100%取得を完了しました。今、世界自然遺産として輝く知床の 景観は、市民が"買い取ってでも開発を止める"という意志を貫いた結果、守られてきた ものだったのです。

なぜ知床は涼しいのか
知床が涼しい理由も、軽井沢とはまったく異なります。標高ではなく、北海道の 北東端という高い緯度と、隣接するオホーツク海の存在が鍵です。知床半島は 世界で最も南に位置する海氷(流氷)エリアとされ、冷たい海からの影響で夏も 冷涼な気候が保たれています。標高で涼を得る軽井沢に対し、知床は緯度と海で 涼を得ている——同じ"日本の涼しい場所"でも、成り立ちがまったく違うのです。
筆者自身、10年近く前に知床を旅行した際、星空観測のアクティビティに参加させて もらったことがあります。夏だというのに、震えるほどの寒さだったのを今でも 覚えています。あの体感は、緯度と海がもたらす知床ならではの涼しさを、身をもって 実感した瞬間でした。
二つの涼、二つの成り立ち
外国人宣教師が"発見"し、別荘文化として発展した人工的な避暑地・軽井沢。 市民が開発の波を買い取ってでも押し返し、手つかずの自然を守り抜いた知床。 一方は人の手によって作られた涼、もう一方は人の手によって守られた涼—— アプローチは正反対でありながら、どちらも「日本の涼」を代表する場所として、 今も多くの人を惹きつけています。
実際に訪れる
軽井沢へは、東京から北陸新幹線で最短約65分。旧軽井沢のショー記念礼拝堂や ショーハウスなど、避暑地としての歴史を今に伝えるスポットのほか、夏らしい 定番スポットも豊富です。「スワンレイク」の愛称で親しまれる雲場池は、1周 20分ほどの静かな散策路。ショッピングを楽しみたいなら、軽井沢・プリンス ショッピングプラザや旧軽井沢銀座。塩沢湖のほとりに広がる軽井沢タリアセンは、 美術館やアクティビティも揃う複合スポットで、涼しい木陰で四季の花々も 楽しめます。轟音とともに流れ落ちる白糸の滝も、夏場は特に涼を感じられる 定番スポットです。
軽井沢はショッピングや友人の結婚式などで訪れることが多いのですが、 避暑地・別荘地としての雰囲気が色濃く、ゆったりとした時間が流れている場所の印象がありお気に入りの場所です。いつかお金持ちになったら別荘を……なんて現実逃避は、少し野暮ですね。
一方、知床へは、女満別空港や中標津空港から車で移動するのが一般的。知床五湖の散策や、原生林と海が織りなす景観を船上から眺めるクルーズなど、夏ならではの 雄大な自然を体感できるアクティビティが揃っています。
標高で涼むか、緯度と海で 涼むか。この夏、どちらの"涼"を選びますか。
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