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電車でエロ動画見てた壊れた友達

私はずっと毎日が、例えるならば『一人緊急事態宣言』みたいなものでした。

そしてハラハラドキドキからやっと安定したら、恋人の前でどもってろれつ回らなくなるくらい今度は不安になりました。
安吾の堕落論で空襲のない日は退屈ね、といった主婦の話がありましたが。

その関係の終焉の記憶をかき消すようにセックス漬けの日々を送りました。
セックス=自分の価値。
元彼よりガタイよくて、かつ痩せっぽちの元彼では相手にすらされないノッポ男とやりまくる。結局それが自分を傷つけるのに、そうするしかありませんでした。
でも、その循環構造にも結局飽きてきたのです。

恋愛はもううんざり。依存にならない程度にたまにセックスして買い物してるだけで十分満たされる自分、になりたいです。

去年の別れをひきずっている〜。百恵さんかよって話だけど。

会う前日、好き過ぎてドキドキして眠れなくて、デート中疲れたって言ってムットされました。懐かしい。
いっつも疲れた疲れた言って!と。

仮にそこで、お前のせいでドキドキして眠れなかった!とか言って怒ったら控えめにいって狂ってる…キレデレ?


酒と性の日々を送ったゲイの同志が、友達のような、同級生のような形で近くにい続けてくれてます。
それはしあわせな事だと思います。スネに傷あるセクマイが3人集まったら連帯感あって無敵。
泣きたい過去があっても傷ついた過去があっても、強くなれるし笑えます。

一人はチンコにピアスしすぎてピアス痕グロいとか言ってるし。

もう一人は電車で、堂々とゲイ動画みてた。見てんじゃねえよとか悪態ついて。

ヤンキーとか武闘派になるとかわかりやすいグレ方ではなくて、性に埋没して自分を傷つけ続ける悲しい人生でした。

家族も世間も誰も助けてくれませんでした。
別にアル中にもセックス依存症にもならなくても、皆このような呪われた世界の中で苦しみ続ける昨今、『依存症でよかった』という時たま自転車でやってくるジジイがいました。
こんなところで出会わないに越したことはないのですが、確かに依存症者同志の連帯感やフェローシップはあります。

でも、(私はあんまり老後のこと心配してないんだけど)依存症者ネットワークの中で生きて情報交換して、最低立川あたりの都営にでも住めばいいやって思ってます。
一度上げた生活水準は下げられないといいますが、嘘だと思います。工夫次第。友達次第。

依存症や精神疾患を持ってる人間はだらしなくて怠け者で、とか思われてるんだろうし、医師や支援者ですらワガママ言うなみたいなひとがいます。
で、自分でもそう思っていました。

病気と、障害という大きな違いはあれ、この前知的障害の21才男子とあそんでいたのですが、彼は隣の人のおもちゃを盗んで隠したり、トイレに閉じ込めたりします。
どうしてそんな事をするの?と聞いても『わからない』、『無視』、『逆ギレする』『加減を知らない悪ノリ』とかしちゃいますが、うまく自分の気持ちを表現する言葉をもってないからで、そのせいで侮蔑的に差別されたりします。

彼をみて、なにかしら私にも彼にも見えない壁があり、どのように振る舞えばのよいのか固まってしまいます。
めちゃくちゃなたとえですが週刊大衆愛読者がいきなり英語でBBC視聴するような感覚でしょうか。

怠けてるのではなくて、わたしもやっぱりどこか健常者と同等に暮らすのは限界があるということを彼らに教えてもらいました。

だから今までプールで溺れながら泳ぎ続けるみたいな日々だったんだと気付きました。


辛かった。






 

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