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わたモテ感想 26巻 ネタバレ有り|ねえちゃん を考える

※ハチャメチャにネタバレしているので未読の方は非推奨。

26巻が発売されました!
久々に主人公の単独表紙(?)です!
(背景のうっちーたちは別として……これまさか最新話で涌井さんに汚いっ!!されたマクゾーじゃないよね?3巻と対になってるし……)

本は2冊買いました。
特典いえーい 電子版特典はヨドバシだとついてなかった……

色々と修正されてたり本体表紙もエモかったりもしますが、今回は細かな具体的なところはさておいて、智貴の「ねえちゃん」呼びへの恥ずかしがり方について感想というか考察してみようと思います。
解釈違いなどあると思いますが、お手柔らかにお願いします。

無粋かなとも思いましたが、今週都市伝説解体センターをやったので物事を”解体”したい欲が高まってて……。


呼び名の重要性

まず前提として。
読者の共通認識かなと思いますがわたモテという作品を通して、呼び名=誰が誰をなんと呼ぶか、というのは、それがテーマの回が沢山ある程度には非常に重要性をもって描かれています。

ゆうちゃん↔もこっち
ゆりちゃん↔智子
ネモ↔クロ
明日香↔智ちゃん
クロキ>黒木↔絵文字(呼んだの捨て台詞だけだからまだ正式ではない、かな……)
ゆり↔真子
多数→まこっち
陽菜↔茜(あー)ちゃん
加藤さん↔根元さん
明日香↔茜
よっちゃん↔陽菜
よし↔茜
例のあの人>黒木さん
サチ↔ブタ小陽ちゃん
伊藤さん↔琴
こみさん こみなんとか こみなん コオロギ
お兄ちゃん(と呼んで欲しい)
和田さん
などなど

特にゆりちゃんをはじめとする智子周りは、”関わりの薄い人の本名を覚えない”という本人の特性もあって、呼び名付は”親友”になるための通過儀礼といった様相です。メタ的にも、どう呼んでいるか、は各キャラの仲の良さを読者に一発でわからせる手段として活用されているように思われます。一部、”あだ名を使わない”個性をもっている子もいますが、それでも微妙な違いは顕れています。

そして呼び名はそのまま呼ばれる側のペルソナにつながっているようであり、呼ぶ側にとっての相手の(好ましい)姿を規定している具合です。必殺技に名前をつけると威力が上がる理論 役職で人を呼ぶことでそのように振る舞うのとか、芸名とか、あと名前ではないですがかわいいって言い続けるとかわいくなっちゃうのとかと通じる構造ですね。

さらに、”クロちゃん”呼びを嫌がった明日香(※)あたりが顕著ですが、一部の関係では独自の呼び名を使いたがります。人の作ったあだ名を使いません。”自分にとっての〇〇は自分だけのものであって欲しい”、そんな気持ちの顕れを感じますね。ちょうど今巻で明日香が言うように、”私が一番〇〇のこと思ってる”とみんなが思ってる。
現実でもそういう意識はあるでしょうが、あだ名を共有することで結束を高めることのほうが優先されることが多いように思われます。作中でもいわゆる雌猫組のような、”普通の女子”はそういう傾向を持って描かれてますね。またまこっちみたいな大勢が共有している呼び名は、呼ばれる側のその人達との一歩引いた関わり方を暗示してるように見えます。
明確に対比されてることが読み取れます。

※……クロちゃんは芸人を想起させるという小ネタもあるかもですが、ここでは置いとかせてください。
春から夏にかけての明日香は青学の件など、”うまく演る”あまりイジりをしてしまう根元さんに対しては茜に比べてあまり打ち解けていません。逆に茜は日和らない正義の人なので馬が合うんでしょうね。これも呼び名で可視化されてますね。
なので、メタネタフィルターを除いたストーリー上の意図ではそんな根元さんが呼ぶのと近い呼び名は使いたくなかった、そう解釈しています。(あと美保とも被るのでそれもかな)

呼び名を踏まえると清田くんと陽菜茜コンビの関係もやはり気になるところです。夏に茜の自認は描写されましたが……卒業までに何か動きはあるのか。恋愛嫌いの根元さんが絡んでるので悲劇が起きそうで怖いですが。

きりがないので上のリストからは省きましたが、吉田さんは基本あだ名を使いませんし、ヤンキー以外は名字呼びです。そんななかコゾー名前で呼んでる智貴は最初名字を知らなかった&姉と被るというのはあるにせよ、やっぱり特別なんでしょうね。(スパ銭のモノローグで”智”っていったことはあるけどあれは多分驚愕の表現)
真子さんは強引にでも”茉咲”って呼んだりすれば何か変わるんじゃないかな……?
ちなみにこみさんも基本人のことは伊藤さんですら苗字呼びで、智貴だけ”智貴くん”なんですよね。謎の共通点。

かくも呼び名は重要なのです。
(だもんで私は感想noteでもシーン毎に呼称を使い分けています。読みづらくなってしまってるとは思いますが、ちょっとしたこだわりです)


ねえちゃん

で問題の智貴くんです。
※ここから特に仮定・推測多めのガバ理論注意です。

やべー先輩の女に囲まれていっぱいいっぱいのところに救世主のごとく乱入した姉に在りし日の理想の姉の幻影を見た……そんな雰囲気。
ねえちゃん呼びで頭を抱えただけなら、必要以上に姉弟関係を広めたくなかっただけ、という言い訳もまだ立ったんですけどね。おまけがね。もうダメ。この人姉しか見えてない。

ねえちゃん呼び、はっきり言って周りから見れば「ふーん、姉ちゃんって呼んでるのね」程度のもので、実際中庭でも反応は「黒木さんの弟なんだ」というのが支配的でした。客観的には恥ずかしがるほどじゃないです。そして黒木さんの弟であることはスパ銭その他ですでにかなり知れていて、知られることに抵抗もあまりなさそうだったので入学当初の”学校じゃ他人”という意識は本人ももう薄そうです。
そこを頭抱えるほどのやらかしと認識してるのは、おまけも踏まえてやはり”姉本人に聞かれた”、あるいは、”姉ちゃんという言葉自体がタブー”である可能性が要素として大きいと思われます。

黒木智子のことを姉に持つのは黒木智貴ただ一人。
その特別性をもった呼称が”姉ちゃん”です。時を遡ると1巻のおまけ、幼児期?のいちゃつく二人は”おねーちゃん””ともくん”と呼び合っていました。
そして1巻の頃では普通に使ってたらしき呼称でしたが、ぼっちになって加速する奇行に使わなくなってしまって。ただ願書出し忘れのときに償おうとする姉が久々に”智くん”と呼んだときは弟も呼応するように”ねーちゃん”を使っていたり(態度も大幅軟化)。もっともそこで調子に乗りすぎた結果、その後はモノローグまで”あいつ””このバカ”になってしまいましたが……。
というわけで”智くん”と”姉ちゃん”はセットなのです。
セットで”(ちゅーするくらい、どんな罪でも許せるくらい)仲の良い姉弟”としてのペルソナを規定する呼び名なのです。

さてもう少し細かいポイントを。
今回当の姉本人は”お姉ちゃん”と呼ばれた認識でしたが、弟によると”お”の有無は重要なようです。単に恥ずかしがっているだけ、今”お”がついていないのは反抗期の自立心からと考えるのは簡単ですが、ここからさらに深ぼってみます。

”お”が取れた時期は、精査すると姉小4の日光土産やセミの回想から鍋回の回想の間のようです。
どれも時期的にはかなり近しそうに見える外見ですが、日光土産とセミのシーンは姉が弟に施し導く側なのが、鍋会の回想では弟が姉の面倒をみているスタンスの違い。このあたりで姉がダメになり始めている。(実際姉は小4で学校で浮き始めてたりしますね)そんなこんなで、尊敬/親愛度が下がった。それが露骨に呼び名にあらわれてしまったと。やむを得ないことです。”全盛期の(奇行をしない)頼れる姉”=”お姉ちゃん”。
そして”姉ちゃん”期を経て、智貴は高校で姉離れしようとして見事に失敗しましたが、その後は幻滅の果てにきーちゃんに似て保護者のごとき接し方になってしまったので”あいつ”なわけです。
この観点では、今回中庭で”お”をつけていないのは頼れる度が急回復したとはいえ全盛期には遠い、ということになるでしょうか。
うーん、これだけだとちょっと見たまんまのつまらない結論。もっと考えてみます。

周りに目をやるとさらにもう一つ”お”が取れた要因になりそうな存在が見つかります。
黒木智子のことを姉に持つのは黒木智貴ただ一人。と先ほど書きましたが、智子のことを今現在まさに”お姉ちゃん”と呼んでる子が一人いますね。きーちゃんです。
自分よりあとから現れ同じ呼び名を使い出した従妹。まだ幼い智くんは呼び名、ひいてはお姉ちゃんを取られたように感じたんじゃないでしょうか。さりとて”お姉ちゃんって呼ぶな”とは言えない。それで、意識してはいないかもですが自分の方で呼び名を少し変えて独自性を再確保した、んではないでしょうか!時期としても大きな矛盾はなさそうに思います。(ついでにお姉ちゃんと呼ぶ従妹から距離を取った)
"姉ちゃん"="シン・僕だけの黒木智子"というわけです。

いやー姉のこと大好きですね!
封印したねえちゃん呼びが無意識にでてしまったことで、根っこで全然姉離れできてなかったことをやんわり自覚したまであるか……?
あってるかどうかわかりませんが私は後者メインだといいなと思います!


お姉ちゃん?

一方で、姉の方はなぜ”お姉ちゃん”と呼ばれたと認識してるんでしょう?
おそらく相当長い期間”姉ちゃん”だったはずで、そこの区別がついてなかったというのはいくら彼女でも考えにくいように思われます。
鍵になるのは、今回の写植の文字にあると見ます。”姉ちゃん”でなく平仮名、それも”ねーちゃん”でもなく”ねちゃん”。この使い分けには意味があるはず。つまりは口調、硬さのある”姉ちゃん”でもぶっきらぼうな”ねーちゃん”でもなく、わずかに甘えるような”ねえちゃん”、そのイントネーションは”お”がついていた頃にしかしていなかったモノだったのではないでしょうか。
そのせいで姉には実際には発声されていない”お”がついて認識された。
きっとそういうことなんじゃないかな……。


智くん

ついでに、弟が呼ばれる方についても。
智貴のことを”智くん”と呼んだのも姉以外に一人います。そうネモですね。
次の瞬間にブチギレられる。後から”嫌なところに入ってくる”とかの理由を並べてますが、その特徴はそのまま姉にあてはまるモノ。姉だから許せる特徴。
「自分の想定する今の姉の行動パターン(今回のおまけがわかりやすい)に、似て非なる”智くん”と呼ぶ昔の姉の要素をセットにしてしまった存在」が地雷を踏んだんじゃないかと。ネモはそんなつもりはないのに……。(デリカシーがないのはそうなので否はある。)
入試という地雷を持つネモが人の地雷を踏む。原幕は地雷原。

ところで智子は自分も”智”なのにどういう気持ちで智くんと呼んでたんですかね。
彼女はいつからか弟のことを所有物というか自分の一部分みたいな扱いになってるの、 この自分に被る呼び名のせいもあったのでは?
自己同一化で最初は優しく、慣れてきたら手足のように便利に使う(ラジオ体操代返~会話の練習)。そんな扱いされたらああもなるわな。


余談
5巻おまけで、智くんはお父さんを親父と呼んで姉にめちゃくちゃ煽られてますね。かわいそう。はともかく、このシーン鍋会回想より明らかに後なので、"姉ちゃん"から”お”がとれた後もお父さん・お母さんと呼んでいたみたいです。なので、普通だと一番ありそうな、”単に反抗期などでおが取れた”という説は否定できそうです。それなら全部同時期に取れそうなもんなので。

そして、きーちゃん原因説を取る立場からは特に疑問なし。
尊敬低下説としては……まー上ではあえて触れませんでしたけどここ以外でも、ともモテとか見る感じ中学頃の姉はガチのマジで性格終わってる子だったので無理もない……。むしろそれでも姉高1までは姉ちゃん呼びが生き延びてたの、弟のキャパのデカさを褒めたい。サッカーに逃避できたからかな……。


というわけで全然26巻感想じゃなくなっちゃいましたが。
ねえちゃん呼びの一連の流れ、智貴版の”モテないし名前で呼び合う”回と言えるのかも知れませんねー。
以上です。

27巻の表紙はだれかな、涌井さん・今江さん・ゆうちゃんあたりが本命?

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