トイレの貼り紙はいつ消えたのか〜ハンドドライヤー復活の三年〜
最近、商業施設のトイレでハンドドライヤーが動いているのに気づいた。
数年ぶりだ。「使用中止」の貼り紙が、いつの間にか剥がされている。手をかざすと、ちゃんと風が出る。その当たり前に驚いた自分が、慣れの怖さを物語っていた。
止まっていた期間が、あまりに長かったからだ。
止めた根拠
きっかけは2020年5月の経団連ガイドラインだった。ハンドドライヤーの利用を止め、ペーパータオルか個人用タオルに切り替える。そう明記された。専門家の意見を踏まえた政府の方針もこれを後押しし、全国のドライヤーが一斉に止まった。
理屈は単純だった。乾燥機の風が飛沫を撒き散らす恐れがある。それだけだ。
日本のトイレに設置されたドライヤーは100万台を超えると言われる。その大半が、この一片の要請で停止した。海外メディアには「世界唯一のハンドドライヤー禁止国」と報じられた。外から見れば、相当に奇妙な光景だったらしい。
ただ、止めた時点で科学的な裏付けはなかった。
感染リスクを立証するための検証実験は、止めた後から行われている。順番が逆だった。先に止めて、根拠は後から探しに行った。
半年で撤回
奇妙なのはここからだ。
止めた当の経団連が、2020年秋には「ハンドドライヤーは感染拡大につながらない」と言い始めた。政府に見直しを働きかけ、2021年4月には指針から利用停止の記述そのものを削除した。
止めてから一年も経たずに、前言を撤回している。
撤回の周辺では、製紙業界の動きも報じられた。ドライヤーが止まればペーパータオルが要る。誰が得をするかという話を抜きに、この一件は見えてこない。科学だけが事態を動かしていたわけではなかった。
なのに、現場の貼り紙は残った。商業施設も、オフィスビルも、止まったままだった。公式の根拠はとっくに消えているのに、誰も剥がさない。
誰も先に動かない
止めるのは一斉にできる。号令があるからだ。戻すときは、その号令が来ない。
「再開していい」という通達は、基本的に出ない。各施設の総務は、自分が最初に戻して何か言われることを嫌う。止めっぱなしにしてもクレームは来ないが、戻して何か起きれば責任を問われる気がする。リスクが釣り合っていない。
だから皆、横目で探り合った。どこかが先に再開して、何も起きないのを確かめてから、ぞろぞろ追従する。一台目になりたい者がいない。号令で止まった集団は、号令がないと動けない。
止めるのに要したのは要請ひとつ。戻すのに要したのは三年。街からマスクが消えていった過程と、構造は変わらない。
ここから先は、この空白がなぜ三年も続いたのか、そして最も意外な「最後尾」について書く。
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