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香港民主党が解散した理由と中国の「一国二制度」崩壊の真実

香港から民主派政党が消えました。

2024年12月14日、香港民主党が正式に解散を決定。1994年の結党から31年、香港で最も歴史ある民主派政党の幕引きです。

このニュース、日本ではあまり大きく報じられていませんが、実はかなり重大な意味を持っています。「一国二制度」という中国の約束が完全に破られたこと、そして台湾や日本にとっても他人事ではないということ。今回は香港情勢を入り口に、中国という国の本質について考えてみます。


香港民主化の歩みと挫折——27年の流れ

まず、香港がたどってきた道のりを整理しておきます。

返還からわずか27年。「50年間は変えない」という約束は、半分も守られませんでした。


香港民主党とは何だったのか

押さえておきたいのは、香港民主党は「反中国」の政党ではなかったという点です。

1997年の香港返還時、民主党は「祖国復帰を支持する」と表明しています。彼らが求めていたのは、普通選挙で香港のリーダーを選ぶ権利や、言論・集会の自由といった民主的な権利。中国からの独立を主張したわけではありません。

党を率いた李柱銘(マーティン・リー)は「香港民主主義の父」と呼ばれた人物。民主党は穏健路線で知られ、過激な民主派からは「弱腰」と批判されることもありました。それでも立法会(議会)では一時最大勢力を誇り、2016年の選挙では民主派政党として最多の7議席を獲得。香港市民の声を代弁し続けてきた存在です。

穏健な改革派ですら存続できなくなった。 これが今回の解散の持つ意味といえます。


約束された「50年」はどこへ

1997年、イギリスから中国へ香港が返還されたとき、「一国二制度」という約束がありました。

50年間は香港の資本主義体制と高度な自治を維持する——これはイギリスとの国際条約に基づく正式な取り決めです。当時の鄧小平が掲げたスローガンは「港人治港」、つまり香港人が香港を治めるという意味でした。

ところが習近平政権になって、このスローガンは「愛国者治港」へと変わります。「愛国者」とは何か。共産党の方針に完全に従う者だけを指します。

転機となったのは2019年の大規模デモ。翌2020年には香港国家安全維持法(国安法)が施行され、民主派の幹部が次々と逮捕されました。民主党の元党首アルバート・ホーや胡志偉も投獄されています。

2021年には選挙制度も改革され、「愛国者」しか立候補できなくなりました。民主党は候補者を立てることすらできず、議会から完全に締め出されたのです。今月行われた立法会選挙も「愛国者のみ」の選挙で、投票率は31.9%に低迷しました。

報道によると、民主党の解散は北京からの圧力で加速したそうです。「解散手続きを始めなければ当局から禁止される」という警告があったとされています。

返還から30年も経たないうちに、50年の約束は反故にされました。

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